まやかしと言ったら、言葉巧みな売り文句で期待を煽るけれども中身があんまりないとか、最悪の場合嘘である、というようなものを指すと思うんですが、スピリチュアリティというのは基本的に目に見えないものを取り扱っている以上、まやかしと本物を区別するのに何年もかかるのが普通ではないでしょうか。しかも、具体的に何かに成功するといった結果が伴った場合でも、努力して自分が何者かに「なる」とか新しい要素が加わってパワーアップするというようなことは、心理学などで言う「アイデンティティの確立」や「自己実現」の範疇であり、人にもよりますがスピリチュアリティ本来の方向性を妨げてしまう可能性もあります。と言いますのも、スピリチュアリティで「本質」と言ったら、生まれる前からある性質を意味します。それが不変のものかどうかは哲学の議論になりますが、ともかくそれに「なる」ための努力は必要ありません。問題は自分がそれだと思ってないことだけです。で、あいのほしの解釈をお話ししますと、あなたの本質は何かをやりたくて、その目的のために作り出されたペルソナと言いますか仮面を着けて生まれて来ているわけです。仮面と言いましても、生年月日やどこの誰として生まれたというような刻印のことでありまして、今の常識では生きている間に取り外すことは出来ないものです。やりたいと思っている役割を演じるために始めからペルソナを与えられている上に、さらに輪を掛けてあなたはあれだこれだと定義を付け加えて行ったら、それが外面的な定義であろうが内面的な定義であろうが、本質にとっては邪魔になってしまいます。ペルソナとしての自分を強化する動機になる付け足しはすべてこだわりであり、本質の意志を素直に実行しようとする上での妨げになるということでございます。生まれる前からある本質があなたなのだとしたら。スピリチュアル的に自己を完成させるための定義もすべてまやかしなのかも知れない、という話になって参ります。誤解のないように付け加えますと、本質の意志を実行するとは、関わる人全員を幸せにする生き方のことです。