人生

あなたがまだ小さな子供だった頃・・・世界は驚きに満ちていました。

両親や、その代わりをしてくれる人たちや、面倒を看てくれる大人たちに、ものごとや世界の仕組みを尋ねてみては、その不思議さにわくわくします。

自分にはいろいろな可能性があり、何にでもなれると思います。

でも、ふとした瞬間に、両親や周りの大人たちが不安そうな表情をしたり、泣いたり、他の誰かを非難したり、争ったりするのに気づきます。

あなたはとてもこわくなります。

あまり楽しそうには見えません。

大人たちはみんな、我を忘れて自分の役割を真剣に演じているのに気づきます。

世界のことをもっと教えてもらうにつれ、ますますこの世界が大きくて複雑なゲームであることを実感します。

大人たちの真剣さが肌で伝わって来るのです。

なりたいものになるのはそんなに簡単じゃないのかも知れない、とあなたは思い始めます。

大人たちのゲームに参加するには、難しいルールをたくさん憶えなければいけないのだと分かります。

あなたはいつか大人になりたいと思っているので、大人のルールを勉強することに決めます。

そしていつの間にか、自分のことや、一番大切なこと・・・愛の真実・・・を忘れて、大人になり・・・今に至ります。


「自我の目覚め」とは、子供が大人のルールを憶え始めることを意味します。子供は自発的にものごとの仕組みを理解しようとし、早く大人になりたがったりしますが、社会のルールはある程度大人に強制されて憶えるものでもあります。「自我」や「性格」は、この世界のルールに適応して生きて行くために、言葉を憶え始めるあたりから、脳が発達する過程で作り出されるものです。言うなれば、その場しのぎのインターフェイスなのです。ところが、私たちは後から作り出された自我や性格の方を、いつからか自分自身だと思い込んで、本来の自分・・・魂・・・を忘れてしまいます。本来自分が持っている愛を、外の世界、すなわち他人の中に見つけようとし始めます。恋愛関係の中に永遠の愛を見つけようとしてもあまりうまく行きません・・・そうではないでしょうか? 一時は手に入れた!と思っても、いつの間にか失っているという具合です。大人になって心無い決断や行動をすることを「魂を売る」と言ったりしますが、本当に魂を売ることはできません。私たちはどんな時も魂を持っているということを忘れているだけです。

あなたは、この世界は壮大なゲームのようなもので、誰もが自分の役割を演じるのだということにうすうす勘づいていたはずです。でも、ゲームのルールそのものを疑っても良いということは誰も教えてくれませんでした。だからあなたはルールに従うことにしたのです。そうでしたね? 実際は、ルールは変更可能です。変えられないルールなど一つもありません。多くの私たちは、この世界の既成事実にあまりにも馴染み過ぎていて、それを絶対的な真実として受け入れています。そのことについては、なるべく考えないようにしています。ルールに従わない人は、この世界では、罰を受けます。この世界を変えようと苦闘する活動家もいます。ゲームのプレイヤーでありながら、内部の何かを変えようと試みると、ルールを破って無理矢理進まなくてはいけない場面があったりして、非常な混乱や抵抗が起きます。それはとても困難な方法です。ルールを変える方が、むしろ簡単なのです。ルールを変えて、エネルギーの効率性が上がれば、ものごとはとても速く動き出します。私はルールを変えて人生を設計し直す方法について具体的にお話しします。それは自らの内に深く降りてゆくことについてです。ルールはまず個人の中で変えなければいけません。それから、おそらくは世界人口の一パーセントくらいの人がルールを変えることを選択するとしたら、世界の枠組みに影響を及ぼし始めることができると思います。すべては個人の選択によります。今は、ものすごい数のみなさんが霊的な知識を求めている時代です。ですから人類をより善いステージへと押し上げるチャンスです。人生を自らの意志で設計し直すための知識は、まず自分が体験してマスターする必要があり、それから人から人へ、親から子へと大切に伝えられるべきものです。ですから世界を進路変更するにはとても時間が掛かるものだということです。


現在起きつつある意識のパラダイムシフトは、科学の世界でニュートン物理学から量子物理学へとシフトしつつあることと直接関係があります。ニュートン物理学のモデルでは、まず意識と物質を切り離します。計測可能であり、実験によって再現可能な現象だけを、現実として受け入れます。異なる力と力の関係が最も重要であり、科学的探究は人間の外側へ、外側へと向かって行くのです。ところで、量子物理学では、意識と物質が一つに結び付きます。「観察者効果 (observer effect) 」と言って、観察者の意識が実験の結果に影響を及ぼすことが認められています。量子物理学のモデルでは、不確実なエネルギーについての理解があり、現実はそれほど固定したものではなくなります。原子のもとになる素粒子などより小さなもの、人間の内側へ内側へと向かって行きます。意識が物質に影響を及ぼすということについて少し考えてみると、それが科学にとっていかに大きな衝撃であるか分かると思います。そしてこの科学界の認識の変化こそが、私たちの生き方に決定的な転換をもたらす文化的背景なのです。

これまで、大部分の私たちの意識は自分の外側にある世界へと向けられて来ました。外へ外へと探求して行く傾向があったのです。これを「今までの生き方」と呼んでみましょう。今までの生き方は、ニュートン的です。今までの生き方では、直線的な時間をもとに人生を設計します。目標を設定して、それをうまく達成するために計画を立てます。人生は勝負であり、自由競争を勝ち抜いて幸せを手にするには、目標に向かって一歩一歩、勤勉に努力しなければいけません。苦難や抵抗に遭ったなら、力ずくで道を切り開きます。道を譲ってしまったら、他の誰かが自分の替わりにその道を行くだけのことです。力と力の駆け引きを憶えるかも知れません。人生の評価基準は、目に見えるものや金額や点数など、自分の外側にあって計測可能な基準を使います。人生は足し算のように、たくさん持っていたり、点数が高ければ高いほど幸せだと考えます。あなたは人生のどこかの時点で、こういう生き方に疑問を抱いたはずです。もしそうじゃなかったら、この本を読んだりしないでしょうから。なぜなら、この生き方では、成功できる人の数は限られていて、席の争奪戦になり、しかも往々にして、自分の目標に向かって突き進んでいく過程で他人を不幸に陥れることに、おそらくあなたは気が付いたことでしょう。今までの生き方では、幸せの基盤を限られた地球資源の上に置いている以上、みんなが幸せになることが不可能なのです。自分の外側にある現実世界を思い通りに操作しようとしたら、並外れた知性や力が要求されます。それはとても疲れる作業です。あなたは疲れ果てたり、退屈したかも知れません。そんな時に、いわゆる霊的な知識との衝撃的な出会いを経験したはずです。それが精神世界の本であったか、スピリチュアルなセミナーであったか、あるいは宗教であったか、みなさんそれぞれ違うでしょうが、とにかく、「私が知りたかったのはこれだ!」とか「なぜだか分からないけど、私にはこれが真実だと分かる!」という体験をしたはずです。それはまさに新しい世界へ第一歩を踏み出した、決して忘れることのできない瞬間でした。あなたをその瞬間に連れ出したのは、何を隠そうあなたの人生経験でした。たぶん人には分からないような苦労があったはずです。中でも、あなたを一番悩ませた問題が、他でもないあなたの家族だったのではないでしょうか。多くのみなさんにそういう傾向があります。経験があるからこそ、あなたは霊的な知識に含まれる真実を感じ取ることができるのです。もしあなたがまだ第一歩を踏み出していないなら、この話を単なる冗談だと思うだけでしょう。霊的な知識と初めて出会うことによって、必然的に意識の大きな飛躍 (quantum leap) が起こります。すると人生観が変わり、それまでに人生の目標として定めていたものがあなたの中で価値を見失って、何の情熱もない時期が訪れます。情熱のない時期は、私の印象では、あなたが新しい真実に基づいて「人生を設計し直す」まで続くようです。


さていろいろな本やホームページで語られている目新しい情報があります。あなたもそのうちのいくつかを既に知っているでしょう。これらの情報は、「新しいエネルギー (the New Energy) 」と呼ばれる現象と密接な関係がありますが、時間という観点から見ると、別に新しくはありません。それは古代から連綿と伝えられて来ている生き方でもあるからです。区別するために、それを「今からの生き方」と呼ぶことにしましょう。今からの生き方は、量子的です。意識と物質がお互いに影響を与え合うという事実を認めることによって、あらゆる現実の解釈を再構成します。詰まるところ意識が現実を創造するということです。「信念が現実を構築する礎材である。」もう何度も耳にした言葉ではないでしょうか。これが最も基本的な理解です。例えばあなたが子供の頃に、「男は家族を養うために黙って働くものだ」と聞かされたとしましょう。あなたがそれをルールとして受け入れたとしたら、いつの間にか、大人になり、仕事を見つけ、結婚し、家族のために黙って働く自分を発見するでしょう。信念はそんな風に無意識的に作用します。あなたが幸せであれば何の問題もありません。でも、もしかしたらあなたは芸術家になりたかったのに、その道を選択する自由がなかったと感じているとしたらどうでしょう。自由な選択ができないというのは、常に問題なのです。「信念が現実を構築する礎材である」という考え方は、理論というよりむしろ実体験に基づいたものです。人生経験が少ない人は、これを理解することができません。どんなにうまく説明しても納得してもらえないでしょう。理解の基盤になるような体験がないのですから、仕方のないことです。みなさんは、良くも悪くも、人生は自分が信じた通りになっていることが見えると思います。自分の中にあるルールや限界を超えるような出来事は、望まない限り決して起きなかったはずです。あるいは、意識が現実を引き寄せるのを日常的に体験しているかも知れません。頭に思い浮かべていた人に、奇跡的なタイミングでばったり会うというような体験が、一度ならず何度も起こるなど。いわゆるシンクロニシティですね。直線的な時間の観念が崩れたかも知れません。

今までの生き方では、何かを創造するには、まず外へ出て何かを始める必要がありました。今からの生き方では、まったく違う方法で創造し始めます。「立ち止まって内側を見る。」多くのみなさんは、今までのやり方とあまりに違うので、最初は戸惑います。外へ出て、行動したくなります。今からの生き方は、自分の内側を見つめるために、一日中瞑想するとか、何も行動しないということを意味しません。そんな極端な生き方ではないのです。そうではなくて、自分の中にあって、魂の糧となるような真に満ち足りた人生を経験するのを妨げている障害物を、一つ一つ消し去ってゆくことによって、あなたのエネルギーに自由な動きを取り戻すということなのです。引き算のように、あなたの中で行き詰まり、役に立たなくなっている不毛なルールを取り除いてゆくことによって、エネルギーの効率性を上げます。すると、それまで絶対に必要だと思っていたものが必要なくなったりして、よりシンプルなライフスタイルが実現します。例えば、あなたは人から評価されるためには頑張らないといけないと信じているかも知れません。子供の頃に、両親に無条件に褒めてもらえなかったのが原因かも知れません。すると、あなたは努力家で、常に頑張ることを要求される職場で働いていたりします。敢えて自分に全然向いていない職種を選んでいたり、他人に任せておけば良いことを自分で片付けようとするかも知れません。チャレンジすることが大好きなら、何の問題もありません。でも、努力しないと不安になり、何度も何度も同じような行動パターンにはまり込んでいることに気づいているなら、信念を見直すべき時なのかも知れません。そもそもあなたが頑張ることで、誰が得をしているのでしょうか? 本当にあなたの成長に役立っていますか? あなたの古い信念は、よく検討した上で、変更することができます。そうした下準備のあとで行動を始めると、ものごとが俄然スムーズに進みます。昔経験しなければならなかったような苦闘をしなくても良くなります。

今からの生き方では、人生の評価基準を心の豊かさに置きます。もちろん経済的な豊かさも重要な基準の一つであることには変わりありませんが、多ければ多いほど幸せとは限りません。心の豊かさとは主観的な体験であり、数多くの要素と有機的に結び付いています。健康、経済、家族、愛情、環境、芸術、自己表現、社会の成熟・・・それは個人で完結する範囲を超越して、全体へと繋がってゆきます。「すべては繋がっている。」私たちは、自分の意識や行為が誰かに影響を与えることに気づいています。お互いに影響し合います。結局、自分一人の幸せなどというものは存在しません。ごちそうを一人で食べてもおいしくないのと同じですね。宇宙は全体で一つになる有機体です。個人の欲望を限りなく増幅して行った時に何が起こるでしょうか。それが今までの生き方であり、その結果が「持続不可能 (unsustainable) 」な世界です。今からの生き方では、人と協力し合うことを学びます。コミュニケーションが大切です。良いコミュニケーションには、力や、いかなる形の強制も存在できません。力で押すのではなく、輪を広げるのですね。誰もが幸せを求めているということを理解するのは重要です。今からの生き方を身に付けるためには、自分以外の人をもっと信頼するのに役に立つ機会は何でも利用する必要があります。家庭がコミュニケーションを学ぶ基本的な場所です。家族との関わりを通して、私たちはお互いを信頼することを学びます。

人生に目的はあるのでしょうか。私たちには生きる目的が必要です。今までの生き方の中にも、目的はもちろんありました。ほとんどの場合、それは個人的幸福に根差した具体的なもので、これを達成したら、その次、その次、という風に幾分直線的なプロセスでした。一つの目的に一生を捧げることも珍しくありませんでした。これは一つのドラマチックな劇の主人公を演じるのに似ています。自分の目的に適う人とだけ積極的に関わる傾向があるため、人間関係は閉鎖的です。一方、今からの生き方では、ものの見方を個人から全体の幸福へと拡大することそのものが目的になります。これまでの歴史では、人間は生来利己的であり、「最大多数の最大幸福」の実現は夢物語と考えられて来ました。「意識は常に拡大し続ける。」本当は、私たちの魂は成長し、意識は拡大するのが自然な姿です。インターネットの世界を覗いて見ると、利他的な活動を目指している人の数がとても多いことに勇気づけられます。今、人類は歴史の転換点を迎えています。文明が成熟し、利己主義を捨てて、これまで多くの人が求めてきた利他の精神へといよいよ集団でシフトする時が来た、ただそれだけのことです。ものの見方が多面的になるというのが意識の拡大の意味するところです。それは上演中の舞台で、主人公と同時に脇役も演じるようなものです。他の登場人物の感じ方や考え方が分かるようになって来ます。さらに、他の場所で他の人が演じている劇とも関わりが出て来ます。そのようにしてどんどん世界が拡がって行きます。人間関係は開放的で、変化が多くなります。意識が拡大するほど、私たちは寛容で優しくなり、利己心が原因で道を踏み外すことがなくなります。今からの生き方では、人生の全体図が見えるようになります。魂が成長すればするほど、人生の目的が明確になって来て、自分の意志をもっと反映したくなりますから、その度に人生を改めて設計し直す必要が出て来るというわけです。

宇宙には一つの流れがあります。すべてのものに共通して流れるエネルギーのようなものがあるのです。それが生命の本質であり、古来から神の恵みとか、宇宙意識とか、真如(しんにょ)とか、創造のインパルスとか、タオとかいろいろに呼ばれて来ていますが、同じものだと思います。私はそれをスピリットと呼んでいます。私たちは生きていますから、目には見えない何らかの力によって生かされていることを実感できますが、近代科学の世界では、そのような力の存在を前提に考えて来ませんでした。今ではスピリットの存在は散逸構造論として説明されています。「人は自ら癒される。」あなたが何もしなくても、秋になれば植物が実を付けます。あなたが黙っていても、夜が明けて朝が来ます。スピリットは善であり、人間の限られた知性ではとても理解することができないほど精妙に作用し、完全に信頼が置けるものです。悪は人間の心の中にだけ存在します。人間がスピリットを否定したり、信じられなくなると、自分の身を守るために何でもするようになり、悪が生じます。そういう意味では、悪は無知のなせる業と言えるのかも知れません。人間以外の自然の世界に悪が存在するかどうか観察してみてください。大きな流れに身を任せれば、私たちは必ず善い方向に進みます。ですから私はスピリットは善であると言っています。これも経験なくしては理解するのが難しい概念でしょう。一方、スピリットの流れに逆らって進むことも可能です。今までの生き方では、生命の本質についての知識を大人から教えられる機会がほとんどないため、人間社会に対する不信や抵抗が当たり前の現実になっています。自分自身さえも信じられなくなっています。それが不安や病気を作り出します。不信や抵抗がスピリットの流れをせき止めて、あらゆる困難な状況を生み出します。自分の内側を見て、自分自身や他者や社会への不信や抵抗を取り除くことさえできれば、エネルギーは自然に流れ出します。自分を癒すためには、宇宙を信頼すれば良いのです。今からの生き方では、私たちはエゴの小さなこだわりを捨てて、大きな流れを完全に信頼することを学びます。


さて今からの生き方は、霊的な修行の目的とされる「悟り」や「覚醒」とどんな関係があるのでしょうか? 悟りにはいろいろな定義がありますが、一般には自我による知覚の制限を超越して、真の実在に目を開くことを意味します。私の考えでは、人類の意識は全体としてまだ悟りを開く段階には達していません。と言うのも、人類が経験するべき素晴らしい時代はこれからやって来るからです。ある人が悟りに達するかどうかは、その人の自我が決めることではなく、その人の魂が決めます。魂が人間としての経験を積み重ねている段階では、悟りたいと思って霊的な修行をしたとしても悟ることは出来ません。例えば、魂の側では恋愛関係を経験しようとしているのに、自我の方が「いや、これはただの欲望だ」と勘違いして仏門に入ったりすると、かえって魂の成長を妨げてしまいます。悟りを得るタイミングはあなたの魂が決めます。魂がやりたいことをやり尽くした後に、その時は来るのです。いったん悟りを得たら、あなたの人間としての旅は終わり、新たに別の次元で意識を進化させるべく地球を離れることになります。いよいよ覚醒する準備が整ったら、あなたは人間として経験できるあらゆるものごとに一切執着しなくなるので、それと分かります。ですからその時までは、自らの魂と親密な対話を続けながら、意識を進化させるために生き続けるのです。そもそも誰もがそのために生まれて来ています。体験するためです! 今からの生き方を実践することで、あなたが自分をもっと良く知ることができるなら、あなたは意識の進化の道に乗っています。タイミングは人それぞれですが、いつかは悟りの境地へと辿り着きます。でも、この人生で覚醒する人もきっといるでしょう。


ここで「愛の星 友の会」で使っている意識のモデルをご説明しましょう。私たちの意識の仕組みを理解することはとても役に立ちます。このモデルは、ある程度科学的根拠もありますが、大まかに理解できるように単純化してあります。このモデルは一つの考え方に過ぎないと思っていてください。

では図の下の部分にある大きな丸を見てください。そこには「魂あるいは無意識」と書いてあります。下で切れているのは、魂が比喩的に言ってものすごく大きいことを表しています。これがあなたの意識の本質であり、あらゆる記憶を保持しています。ちなみに、「愛の星 友の会」では輪廻転生を前提にしていますが、生まれ変わりを胡散臭く感じるみなさんは信じなくても構いません。魂はあなたのすべての転生の記憶と、そこから得られた知恵を持っているため、とても賢い存在です。輪廻転生を信じないみなさんは、魂には自分の先祖の記憶が蓄えられていると考えて差し支えありません。あるいは、魂はユングの言う集合的無意識 (collective unconscious) であると考えても良いでしょう。いずれにせよ、突き詰めて行けば同じことです。魂の上部には「潜在意識」と書かれています。そこから細い道を通って上へ行くと、もう一つの小さな丸である「おしゃべりマシーン(自我)」に辿り着きます。おしゃべりマシーンとは、自我はおしゃべりが得意なので、冗談で付けた愛称です。脳波(頭に電極を取り付けて、電気変動を時系列で記録した波形)の状態で、おしゃべりマシーンにはβ(ベータ)波、細い道にはα(アルファ)波、魂の入口にはθ(シータ)波、魂にはδ(デルタ)波が、おおよそではありますけれど、それぞれ割り当てられています。

あなたが目覚めている時間帯では、あなたの意識の大部分を自我が占めています。自我は、始めのほうで触れた通り、社会のルールに適応して生きて行くために、脳が発達する過程で作られるあなたの性格のことです。自我の役割は、生身の人間として自分の安全を確保するために、肉体を維持管理する活動(食べる・飲む・清潔にする・運動するなど)、子孫を残すための生殖活動、身の危険を事前に察知すること、経済的に自立するために何をするべきかの価値判断といった、肉体の存続に関係することすべてです。自我は、もともとの性質から言って自己防衛的です。自我は、人間として生きて行く上で必要な機能ですが、精神性 (spirituality) とは何の関係もありません。実は、今までの生き方は、自我をベースにした生き方でした。生涯教育と言うように、自我はいろいろなものの見方を学んだり、経験を積んだりすることによって一生発達し続けますが、どこまで行っても「自分さえ良ければいい」のです。自分がある程度満足すれば、ではあなたもどうぞ、という風に他人に優しくなることもできます。でも、ご存じの通り、自我の現実の解釈には限界があって、窮地に立たされたり、いわれのない事件に巻き込まれたり、病気になったりしたときに、自分の内部に原因を見出すことができません。なぜって、自我はあなたの小さな一部分でしかないのですから、当然のことです。そこで、外の世界に解決策を見出そうとします。でも、自分が完全に納得する回答を見つけることはできないかも知れません。自我の視点から見ると、世界の紛争の解決策や、あらゆる病気の根本的な治療法を考え出すことは不可能に見えます。興味深いことに、世界で最も知性の発達した人たちが、いろいろ考えて研究して、最終的に辿り着く結論は、「理屈では説明できない何かが、確かに存在する」ということです。ですから、みなさんが今からの生き方を実践して行く動機となるのは、理屈では説明のつかない困難な問題に直面していたり、すでにそれを乗り越えて来たか、自我が高度に発達して、次の段階へ進む準備ができているかのどちらかだと思います。意外でしょうか? 魂の進化がある段階へ達した人だけが、今からの生き方を理解すると、みなさんは考えているでしょうか? あるいは、エゴが強い人は、今からの生き方を決して理解しないだろうと考えていますか? 最初から極めて進化した魂として生まれて来ている人は、私も含めて、みなさんの中にはいません。なぜなら、進化した魂は、啓発された両親の許に生まれて来るので、正すべき偏った考え方を持っておらず、こういう文章を読む必要性がないからです。彼らは人類の教師としてやって来ます。私が思うに、もし適切な教育を受けられるとしたら、人類の少なくとも半数以上が、今からの生き方をすんなりと受け入れる段階まで発達して来ています。意識には発達段階のパターンがあって、今からの生き方は、今までの生き方のちょっと上に存在しているだけなのです。大きな飛躍ではありますが、決して無理なことではありません。ではなぜ?と思うみなさんもいるかも知れません。確かに、自分勝手な理由で人類の意識の進化を妨害しようとする支配勢力があります。正しい情報を遮断することで、私たちが決して団結しないように、分離した状態に留めようと目論んでいます。私たちがお互いに助け合うことが進化への鍵です。

自我はとても賢いので、自分の限界に気づいてしまいます。「私はいつも自分の考えを持って来たし、それによって社会的に成功もした。でもなぜ私は、幸福ではないのだろう? 人生には考慮に入れなければならないもっと他のことがあるのだろうか?」「子供を産み育てることだけが、私の役割なのだろうか?」「まあいいだろう・・・どうすれば良いのか私には分からない。せいぜい人生楽しんで、長生きしよう。」自分自身を疑うなんて面白いと思いませんか? 私たちには、二つの意志があるのです。自我の意志と、魂の意志です。自我の意志は、局在的 (local) であり、常に肉体に結び付いています。魂の意志は、非局在的 (non-local) であり、この世に生まれて来た目的に結び付いています。子供の頃は、早く大人になってやりたいことをやろう!と思っていたのに、いざ大人になってみると、何をやりたかったのか忘れてしまうのですよね。生きていないとやりたいこともできないのですから、自我の意志によって、生活の基盤を固めるのは大事なことです。ではなぜ、自我は自分自身を疑う必要があるのでしょうか? 例えば、左耳からは「結婚したし、子供もできた。仕事もうまく行っている。世間的に見れば、ずいぶん幸せじゃないか。この幸運を、神に感謝しなければ」と聞こえて来て、右耳からは「やりたかったのはこれじゃない。小説を書きたいんだ」と聞こえて来るのを想像してみましょう。どちらが自我の声で、どちらが魂の声か分かりますか? ええそうです。自分の中で二つの意見が対立すると、精神的なストレスになります。これはとても良く起こることです。人によっては、うつ病になってしまいます。結局、魂の意志を実行しない限り、本物の喜びや、本当の達成感を味わうことはありません。お腹がいっぱいになると、とても幸せになりますが、しばらくするとまたお腹が減って来ます。それと同じで、自我の意志が成就すると、一時は幸福になりますが、長続きしません。常に深いところで「何かが違う」という感覚があるとすれば、あなたの自我が自分自身をごまかすことは決してできません。自分の中に二つの意見があって、満たされない何かを感じるとき、人によっては、魂の声を聞かないようにするために、より一層自我の欲望を追求し始めます。お金や、名誉や、恋愛を際限なく追い求めたりします。人によっては、自暴自棄になり、あらゆる種類の依存症を引き寄せます。人によっては、無気力になり、修行の道に入って、自分の選択を放棄します。でも、満たされません。みなさんは、そうではなくて、人生の本当の目的を見つけることに決めたのです。それは素晴らしい選択です。

肉体に関連しないあなたの意識が、潜在意識と無意識です。私は魂と呼んでいます。瞑想に熟達している人の脳波や、私たちが眠りに入る直前の脳波は、シータ波を示し、この状態で魂の入口と言える潜在意識になります。潜在意識の状態に留まるためには、多くの場合訓練が必要です。また、潜在意識から自我の意識に戻った時に、潜在意識での体験の記憶をほとんど思い出せません。自分が潜在意識にいる時には憶えているのですが、通常の自我の意識に戻って来たとたんに忘れてしまうのです。これは記憶が失われているのではなくて、自我と潜在意識の間に大きな隔たりがあるために起きることです。私たちが熟睡(ノンレム睡眠)している時は、無意識になっています。実は、無意識の状態では自我が完全に止まっており、意識が最も拡大しています。無意識で体験している現実は、自我の意識とはまったく異なる性質のものなので、自我は思い出すことができません。逆に、無意識は自我の体験を思い出すことができません。つまり、あなたが目覚めている時間帯は、三次元の世界に暮らしていますが、眠っている時間帯は、もっと壮大な世界に暮らしているということです。この二つの世界は、相互に関連しています。

あなたの魂は意志を持っています。あなたの物理的現実は、あなたの魂が肉体を使って見ている夢だ、と言ったら分かり易いでしょうか。魂は統合された一つの意識であり、明確な意図を持って、あなたの物理的現実を創造しています。私たちが生きているということは、すなわち目的を持って生きているということを意味します。魂は、少なくとも自我よりは遥かに賢い存在です。つまり、本当のあなたは賢いのです。「私には魂の意志はないみたいです。感じたことないもの」と思うみなさんもいるかも知れません。魂の意志があるというのは、あなたには天から与えられた特別な「使命」があるという意味ではありません。確かに特別な使命を持って生まれて来ている人もいますが、全員ではありません。魂は、成長するために個人的な経験を自ら選びます。人として生きることそのものが魂の糧となるので、際立った経験を何も選ばないこともあります。でも今の時期、大きくはないにせよ人類のために何か奉仕するものを持っている人が多いことも事実です。魂の意志はスピリットの働きでもありますから、限られた人間の知性を超えた観点から善の方向へ進みます。自分の魂が苦行を選ぶのではないかなどと心配しないでください。魂の意志の先には必ず、軽やかさと喜びがあるものです。魂の意志に従うかどうかは、常にあなたに選ぶ権利があります。これが自由意志と呼ばれるものです。「邪悪な目的を持つ魂もいるのではないでしょうか?」と質問するみなさんがいるかも知れません。はい、でもみなさんが想像するほど多くはないのです。他人が成長するのを妨害しようと意図する存在がいますが、みなさんはそういう魂と関わる必要はありません。そもそも、そういう妨害の試みはスピリットの働きに反しているのですから、結果的にうまく行くことはないのです。

もう一度図に戻りましょう。魂から矢印が出ていて、魂が現実を創造していることを示しています。それに対して、自我からの矢印は、自我が現実に反応していることを示しています。文字通り無意識のうちに、あなたはあらゆる現実を創造しています。何だか変でしょうか? 魂が物理的現実を創造して、自我はそれを肉体と感情を通して体験するのです。魂は人生の目的を最初から決めているので、それを一歩一歩、あたかも花弁を開くように機会として顕現させて行きます。あなたの魂が「まあいいや。目的は生まれてから決めることにしよう」と決めたと思っていますか? 自分探しのあてどもない旅に出る必要はありません。自我の側で準備が出来ると、人生の新たな局面が目の前に現れます。そういう風になっているのです。人生の目的は途中で変えることができるのでしょうか? いいえ、自我の意志で目的そのものを変更することはできません。それに、計画にはいろんな人がお互いに関わっているわけですから、気まぐれにコロコロ変えられると周りが迷惑してしまいます。それに、もともと大きい部分のあなた(魂)が自分で決めたことです。ですから自我の側から見た選択は、やるか・やらないかの二つしかありません。人間としてのあなた(自我)が、人生の目的とは全然違う方に進むことを選ぶことはできます。魂は自我の意志を最大限に尊重します。あなたの自我が望むならどんなことでも、魂はそれを体験できるようにサポートしてくれます。でも、自我の成長が完全に止まっている場合、せっかくの人生を無駄にしないために、魂が無理矢理ショッキングな出来事を引き寄せることはあります。何かを行動に移す必要があることを自我に知らせようとするのです。思い当たる節がある人もいることでしょう。今からの生き方とは、魂に添った生き方のことです。

自分の魂が悲惨な状況や辛い出来事を勝手に引き寄せるんじゃないかと不安になった人もいるでしょうか。確かに、魂が成長するためにどうしても避けられない場合、そういうこともあり得ます。でも、あなたはこの情報を読んでいるので、あなたには当て嵌まらないことが分かります。この手の情報を受け取ることができるなら、あなたは霊的に自立する段階へ到達しており、もはや無意識的に惨事を引き寄せることはないはずです。意識的に成長し続けることができるなら、極端な出来事を経験しないで済むのです。

図の細い道にあたる部分、ここはあなたがリラックスしている時に、意識がこの部分にあると考えてみてください。リラックスしていると、自分の自我としての意識と、それほど時間に束縛されていない潜在意識の、両方を意識することができます。ちょうど、ボーッとして好きな空想にふけっている状態に当たります。これから説明する方法では、このアルファ波の状態を活用します。意識が拡大するとは、おしゃべりマシーンが拡大したり、無意識が大きくなるのではなく、この細い道がだんだん太くなってゆく過程なのだと想像してみてください。自我は人間として生きるための限定された機能ですので、自我が一定以上に拡大することはできません。自我は、いろいろ知識を学ぶことができますが、自ずと限界があるので、結局は「自分はほとんど何も知らない」ということに気づくだけです。今の段階では、自我の意志と魂の意志はしばしば対立するかも知れませんが、あなたが成長し、意識が拡大した結果、この二つの意志は互いに矛盾することがなくなって、一つになります。最終的には、おしゃべりマシーンと魂は完全に協働するでしょう。

さてあなたは自我と魂の両方であり、自我と魂の相互作用により、無意識の領域から物理的現実を絶えず創り出していることをお話ししました。この全過程を可能にしている根源的エネルギーが、あなたのスピリットです。それはあらゆるものごとの背後に存在します。スピリットを、電気のような単なるエネルギーだと思わないでください。スピリットは、寛大に見守る父のエネルギーであり、無条件に愛し育む母のエネルギーであり、喩えるならば恋人同士の情熱と官能に一番近いと思います。とても甘美なエネルギーなのです。特定の意志はまったく持たないようでいて、「拡大し、すべてを一つに統合する」という方向性を持っています。スピリットは生命力です。スピリットは究極の愛です。スピリットは、あなたの所有物と言うより、あなたの本質そのものです。あなたは、肉体と自我を所有している魂とスピリットです。魂とスピリットより貴重な宝物は存在せず、あなたは既にその宝物を持っています。これは驚くべきことではないでしょうか? だとしたら、私たちは魂とスピリットの正しい使い方を習得すれば良いだけではないでしょうか。

このモデルにはありませんが、γ(ガンマ)波の超意識という状態もあります。超意識は覚醒した後の意識の状態と言われています。私には良く分かりませんので、興味のあるみなさんは調べてみてください。


さて意識のモデルについて長々とお話ししましたが、これから具体的な方法に入ります。私はこれからご紹介する、潜在意識にある制限的な信念を変えて、人生を設計し直す方法を「大人の特権」と名付けました。この方法は子供向けではないからです。あなたの自我が既に確立していて、感情的に安定している必要があります。

大人の特権には、二つのパートがあります。一つは、あなたの魂の意志を知る方法。もう一つは、潜在意識にある信念にアクセスして、それを変える方法です。


魂の意志を知る方法

これは一定期間、毎日行う必要があります。多くのみなさんにとって意外な方法かも知れません。

毎朝このように言って一日を始めてください。「私の最愛の魂よ、私が本当に経験したいと望んでいることをはっきり認識できるように、疑いようのない物理的現実や象徴やメッセージを通して、私の目の前に現してください。そしてそれが正しいことがはっきり分かるように、ハートのフィーリングで知らせてください。」

毎晩寝る前にこのように言ってください。「私の最愛の魂よ、私が本当に経験したいと望んでいることをはっきり認識できるように、夢の中の象徴やメッセージを通して、私に伝えてください。そして私がその夢をはっきり憶えていられるようにしてください。」

書かれている言葉通りでなくても構いません。あなた自身の言葉で言ってください。最も肝腎なことは、あなたが魂の意志を知ることを「望む」ことです。他の誰かがあなたの代わりにすることはできません。あなたが自発的に望まない限り、魂の意志を知ることはできません。そしてそれ以外に方法はないのです。シンプルですね?

あなたが魂の意志を知る準備ができていれば、言葉の通りに本当に知ることになります。もしこういう言葉を言うのに抵抗があるなら、単にあなたはまだ望んでいないというだけです。良い悪いはありません。

魂の意志には、例えば「こういう職業に就く」というような具体的な場合もあれば、「誰もが側に来て安心できるような、寛容な自分になる」というような抽象的な場合もあります。とにかく一人一人全然違うので、一般化することはできません。でも、魂の意志には必ず快いフィーリングが伴います。もしフィーリングが何もないなら、それは魂の意志ではありません。それは言葉や概念のようなものではなく、ハートの「感覚」なのです。それが魂の話し方です。魂の意志に従って行動するのは、スピリットの流れに乗ることでもありますから、楽しいことです。喜びなのです。退屈するなら、あなたは魂の意志に従って行動していません。これは大切なポイントですので、ぜひ憶えておいてください。

何かをしたい「衝動」を感じた場合はどうでしょうか? 衝動は、火山の爆発と同じように、内部の圧力を一気に解決するための感情の動きです。そういう意味では魂の意志の一部とも言えます。でも、ちょっと待ってください。衝動には、現実逃避や同じことの繰り返しが背後に隠れている場合もあります。「今すぐ仕事を辞める!」「昔やっていたことをもう一度やってみよう!」「今楽しめることをもっとやろう!」そういう性急な衝動は、どちらかと言うと、今までの生き方に属する可能性があります(そうではない可能性もあります)。以前持っていた情熱を取り戻そうとしているのかも知れません。意識が進化すると、以前と同じ状態に戻ろうとする方がかえって大きな苦痛になります。ですから、衝動に従って極端な行動を取る前に、次の「信念を置き換える方法」をやってみてください。ここで言っている快いフィーリングは、激しい情動とは違います。とても微妙で優雅なものです。今からの生き方では、目的地に辿り着くために、最も緩やかな道を通ります。ちなみになぜハート(胸)で感じるかというと、そこに魂があるからです。

遂に魂の意志を知ることが出来たら、いよいよ行動するわけですが、あせってはいけません。スピリットには適切なタイミングがあって、早過ぎてはいけないのです。魂の意志に従って行動しても、タイミングが早過ぎると、なお困難や抵抗があります。ですから再び、ハートの感覚を確かめてください。魂への質問はこうです:「今が行動するタイミングですか?」魂に「何月に引っ越すべきでしょうか?」と聞いたりしないでください。実は、魂もスピリットも、いつタイミングがやって来るか知りません。でも「今」がそのタイミングかどうかなら、確実に答えてくれるでしょう。タイミングが来ているとき、ハートは歌い出します! ですから、定期的にタイミングを確かめてください。あなたが魂の意志を適切なタイミングで実行に移すとき、ものごとはとてもスムーズに動きます。簡単で、周囲が協力的で、ものごとが魔法のように進むなら、そしてあなたが心から楽しんでいるのなら、あなたはスピリットの流れに乗っています! それから、他の多くの事とは違って、魂の意志を実行するには、決して遅すぎることはない、ということを知ってください。


信念を置き換える方法

あなたが持っている信念の多くは、子供の頃に大人から教えられたものです。子供の頃は自我があまり発達していないので、見聞きしたことが吟味されることなしに、ダイレクトに潜在意識に入って行ってしまいます。ある考え方やものの見方や価値判断が潜在意識に入ると、それが信念となり、あなたの自我(顕在意識)の働きと魂(無意識)の働きの両方に影響を及ぼし始めます。

あなたの意識の主要な部分が自我(ベータ波)で占められているとき、つまり起きていて昼間の活動(家事・仕事・勉強・運動など)をしているとき、あなたは自分が保持している信念のほとんどに気づくことすら出来ません。信念は潜在意識の中に入っています。あなたが考えることと、あなたの信念が食い違っていることもよくあります。例えば、あなたは表面的には「男女が平等に社会的役割を選択できるようにするべきだ」と考えているかも知れませんが、深いところでは「女は家庭を守るべき存在だ」と信じています。でも、あなたは気づいていないので、自分を進歩的な人間だと思っています。そして、社会へ出て活躍する強い女性を尻目にかけ、なぜか面白くない自分の気持ちに戸惑ったりしているでしょう。「自分は進歩的な考えを受け入れているはずなのに、どうしてこうも腹立たしいのだろう。いや、そんなはずはない。私は腹を立ててなどいないんだ!」

潜在意識にゴムボールがぎゅうぎゅうに詰まっている様子を想像してみてください。「制限的」な信念をたくさん持っている人の潜在意識は、こんな風です。それは自我と魂の通信を妨げます。自我の認識を変質させ、魂が創造する世界を歪めてしまいます。制限的な信念は、現実の本質的理解を妨げ、あなたが欲しい現実を自由に創り出すためには障害になります。たくさんの嘘の欲望(幻想)であなたの目を曇らせます。制限的な信念とはどんな信念でしょうか。それは「本当に欲しいものは滅多に手に入らない」「お金は苦労して手に入れるもの。それ以外の手段で手にしたお金は汚い」「強い者がすべてを手に入れる。人生は勝たなければ無意味だ」「憐れな小市民には世界を変える力などない。権力に盾突けば痛い目を見ることになる」「人生は荒れ狂う海に浮かぶ小舟のようだ。運命は時に私たちを弄ぶ」「人生は闘いだ。本当に信頼できる人間はほとんど皆無に等しい」「もっと強くならなければ。病魔が非情にも私から命の炎を奪い去る前に」「人生に目的はないのだから、私を楽しませてくれるものにしがみついていなければ」といったものです。リストは延々と続きます。最初にお話しした大人のルールは、こういった信念ではないでしょうか? 要するに、「自分には変化を創り出すだけの十分な力がない」という発想に行き着きます。本当にそうでしょうか? 私たちが受け継いだ制限的な信念は、文化と呼ばれています。私たちは文化を大切にするように教育を受けますが、本当に成長しようと思ったら、古い信念を受け継いではいけません。でも、もう既に受け継いでしまいましたよね。私たちの文化の大きな特徴になっている、「男は女よりも偉いのだ」という信念は、人間の魂を汚します。日本は精神性の高い国だと信じているでしょうか。ええ、日本は他の国と同じ程度にスピリチュアルです。

信念というものは、すべて制限ですが、「比較的」制限のない信念というのもあります。文化は、すべてが制限というわけではなく、もちろん素晴らしい遺産もあります。日本人が誇りにして良い精神文化はたくさんあります。比較的制限のない信念とはどういうものか、自分で判断できるようになることが大切です。比較的制限のない信念とは、「内面の認識を変えさえすれば、瞬時に物理的現実に影響を及ぼすことができる」「すべての人が豊かになることを許すなら、お金は自由に流れ出す」「自分の体に気づいていることによって、健康を維持することができる」「準備ができれば、必要なものは向こうからやって来る」「知りたいと思えば知ることができる」「魂の意志を実行して天才になることができる」「自分以外の誰かに依存せずに幸せになることができる」といったものです。これらの信念は、制限的な信念よりも遥かに合理的かつ現実的であることに気づいてください! 制限のない信念は、夢や幻想の世界とは違います。例えば、「私は年間一兆円を稼ぎ出すことができる」とか「私は空を飛んで、アンドロメダ銀河へ行き、大天使と会って、天界のヒエラルキーの頂点に君臨し、地球を救う」とかの信念は、実際には制限的な信念です。不可能です! もしあなたが非現実的なほどたくさん欲しいなら、あなたは「私は持っていない」と信じています。あなたは無価値感の中に閉じ込められているのです。

例えば、あなたは新聞記者になりたいとしましょう。

ケース一:あなたは小学生の時、学校の先生に「あなたの文章はまとまりがないわね」と言われ、国語で悪い成績を取りました。それが原因で「自分は文章を書く仕事には向いていないかも知れない」と信じています。あなたが新聞記者になるという夢を持ったとき、その望みは「文章を書く仕事には向いていない」という潜在意識にある信念に阻まれて、魂まで届きません。あなたは学校へ行き、申し分のない知識と国語力を身に付けました。それから新聞社の就職試験を受けに行きますが、なぜか面接で落ちてしまいます。

ケース二:あなたは小学生の時、学校の先生に「あなたには無限の可能性がある。何でも好きなことをやりなさい」と教えられました。あなたは自分の国語力に関して何の疑問も信念も持っていません。あなたが新聞記者になるという夢を持ったとき、その望みはストレートに魂に伝わります。あなたは「できる」と信じています。すると、あら不思議! あなたは新聞記者の人と知り合います。それで記者になるためにはどういう勉強をすれば良いのか適切なアドバイスをもらいます。あなたはつつがなく準備を整え、新聞社の就職試験を受けに行きます。あなたは面接官と意気投合して和やかな雰囲気で面接を終えることができ、見事合格します。

何が起きているのでしょうか? これは信念がどのように働くかについての一例です。この単純な仕組みはどんなことにでも当て嵌まります。あなたが「自分にはできない」という制限的な信念を持っていなければ、あなたは「無意識の協力」と呼ばれる助けを得ることができます。つまり、あなたの魂が望みを現実にしてくれます。思い付くことが出来るなら、ほとんどどんなことでも実現可能です。この物理的現実では、外側の世界を思いのままに操作したり、二つの矛盾する望みを同時に叶えることは不可能です。でも、私は敢えて言いましょう、「あなたが現時点で想像できる以上のことを、あなたは実現するでしょう。」一瞬で出来るとは言いません。どれほど時間がかかるかは予測できませんが、不可能だという信念を捨て去ることが出来れば、必ず実現します。これは宇宙の法則ですが、そのことをあまり知らない私たちは、制限的な信念に挑戦する前に、早々と望みを諦めてしまいます。もったいないことだと思います。

信念を置き換えるのは、本当はできないと思っているのにできると信じ込む、ということではありません。できない、という信念をなくせば、新しい信念は自ずと生まれます。

この方法は、自分でも意識していない制限的な信念にまず気づくことと、それを意識的に新しい信念に置き換えることの両方を行います。リラックスしたアルファ波の状態で行います。ただ目を閉じるだけで、誰でもアルファ波の状態になりますから心配は要りません。それからあなたの人生の好きな分野を取り上げ、身体の感覚に注意を向けます。そこに制限的な信念が眠っています。あなたは身体の感覚と文字通り「対話」することになります。あなたの制限的な信念は、おそらく子供の姿で現れるでしょう。その信念を初めて受け入れた時の年齢のあなたの心の風景を再び見ることになるでしょう。その年齢で、感情的な成長が止まっているのです。イメージを頭の中で無理矢理作り出そうとしてはいけません。それよりもずっとシンプルなことです。あなたが許せば、「感じる」ことができます。感情も浮上しますが、あなたがそれに飲み込まれることはありません。あなたは感情をコントロール出来ます。若い頃のあなたではなくて、知らないおじいさんやおばあさんの姿が見えて来ても驚かないでください。あなたがその信念を受け入れたのは、「この人生」ではないかも知れません。すべては繋がっているのです。あなたは新しい信念を自分で考え、あなたが対話している相手に分かり易く伝え、心の風景の土の中に「種」として植えてもらうようにお願いします。多くのみなさんはこの方法を難しそうと思うかも知れません。でも、私が言わんとしていることが一旦伝われば、とても簡単であることが分かるでしょう。詳しいみなさんは、「これは、インナーチャイルドと同じですね」と思うでしょう。その通りです。この方法は、インナーチャイルドを癒すことよりももっと野心的であることに、みなさんは気づくことになるでしょう。

ではやってみましょう。

 

☆一時間くらいの間、完全に一人になれる時間と場所を見つけてください。誰にも干渉される可能性がない静かな場所です。電話は切っておきましょう。

☆ゆったりと椅子に腰掛けて、自分が知っている一番効果のある方法でリラックスします。音楽をかける場合は、歌ではないものを選んでください(歌詞が集中の妨げになります)。横になっても構いませんが、途中で眠らないように気を付けてください。眠くならないためにカフェイン入りの飲み物を飲まないようにしてください(カフェインは刺激物です)。

☆あなたの人生で今一番気になっている分野を一つ選びましょう。例えば、あなたは仕事が詰まらないと思っているとしましょう。この例では仕事を分野として選びます。

☆目を閉じてください。ここから先は、ずっと目を閉じたままでいてください。その分野についてしばらくボーッと考えてみましょう。例えば、職場にいるのを想像してみると良いでしょう。

☆体に意識を向けてください。どこかに違和感や不快感がありますか。たぶん、あるはずです。気づいてください。

例:体に意識を向けると、肩が緊張しています。胃がむかむかします。すねの辺りに少ししびれを感じます。

☆感じていることをできるだけ忠実に言葉にしてみましょう。口に出して言ってみるとさらに効果的です。

例:「肩が凝っています。胃がむかむかしています。すねの辺りに言葉にできない妙な感覚があります。」

☆体の感覚の中で、自分にとって一番慢性的な症状だと思われるものを一つ選びましょう。

例:胃のむかむかを選びます。

☆息を深く吸い込みながらその感覚を意識しましょう。十分に体の感覚に気づきましょう。

例:深呼吸しながら胃のむかむかを十分に感じます。

☆十分に意識したその感覚と、対話を始めましょう。その感覚が、あたかも人格のある相手のようなつもりで、話し掛けてください。このように聞いてください:「私に何か伝えたいメッセージがありますか?」

例:胃の感覚に話し掛けます。「私に何か伝えたいメッセージがありますか?」

☆言葉が聞こえて来るとか、何か映像が見えて来ることを期待しないでください。何が起こるか予測はつきませんが、確実に何らかの反応が返って来ます。ただリラックスして、待ってください。おそらく、どこからともなく急に何かが思い浮かんだり、何かを感じたりするでしょう。

例:始めは何も感じませんでしたが、急に、子供の頃に母親に叱られている場面が浮かんで来ます。

☆返って来た微妙な反応を、意識してつかまえてください。すると、もっと具体的になって行きます。

例:母親に言われたことを思い出します。「ぐずぐずしないの。さっさとやりなさい。」その時にまったく同じ胃のむかむかを感じたことを直観します。

☆具体的になって来たその感覚が相手だと思って、こう聞いてください:「あなたは何を信じていますか?」リラックスして待っていると、何らかの反応が返って来ます。その感覚ができる限り忠実に表現されるように、言葉に直して、口に出して言ってみましょう。

例:具体的になって来た子供の頃の記憶に向かって、問い掛けます。「あなたは何を信じていますか?」しばらく待っていると、小さな男の子としてのあなたが、「僕は何一つうまくできないんだ」と言っているような気がします。がっかりするような感覚があります。「私は何一つうまくできない」と口に出して言います。

☆論理的で優しい、分別のある大人として、あなたが今感じている心の風景に語り掛けます。あなたは今や大人で、その制限的な信念を持ち続ける必要はないことが分かると思います。心の風景を相手にして、分かり易く筋が通った言葉で、その信念がもはや正しくないことを説明してください。相手が子供なら、子供の言葉で話しましょう。

例:男の子に優しく語り掛けます。「君は母親に叱られて傷ついたかも知れない。それで自分のすべてがだめなんだと思い込んだんだね。でもそれは正しくないんだよ。大人になった君は、社会人として立派に働いている。のろまなんかじゃない。会社でだって、ずいぶん認められているんだよ。本当は、君がうまくできることはたくさんある。そうだよね?」

☆あなたが対話している相手と一緒に、成長した大人としての新しい信念を象徴する短い言葉を、考え出してください。創造性を遺憾なく発揮して、あなたが現時点で考えることが出来る、最も制限のない一文を作ります(かと言って、あなた自身が受け入れられないような非現実的な言葉を選ばないでください)。新しい信念が決まったら、相手にそれで良いかどうか聞いてください。もし答えがイエスなら、ハートに喜びの感覚がやって来ます。もし答えがノーだったら、もっと言葉を簡単にしてみてください。新しい信念を象徴する言葉の頭に「私の存在の全体性から」という言葉をくっ付けて、声に出して三回繰り返します。どうしても新しい信念が決まらない場合、この言葉を三回繰り返してください:「私の存在の全体性から、私はこの信念を変容させます。」あなたが対話している体の部分に、響かせてください。

例:男の子と対話をします。「君は自分がのろまだと信じているから、大人の僕は仕事でいつもプレッシャーを感じていて、先に進めないでいるんだよね。じゃあ、新しい信念はこれでどうだろう。『僕は人の意見に惑わされず、いつでも自分の才能を完全に発揮することができる。』分かるかな? それでどうだろう?」あなたはイエスのサインをハートの喜びとして受け取ります。「私の存在の全体性から、私は人の意見に惑わされず、いつでも自分の才能を完全に発揮することができます。」この言葉を声に出して三回繰り返します。・・・あるいは・・・今のところは、この感覚をどうしたら良いのかはっきり分かりかねています。「私の存在の全体性から、私は何一つうまくできないという信念を変容させます。」この言葉を声に出して三回繰り返します。

☆あなたが言った言葉が中に入っている種を想像してください。その種をあなたが対話している相手に渡し、それをどこか好きな場所の土の中に植えて来てくれるように頼みます。種を植え終わったら、もう一度戻って来てくれるようにお願いしてください。

例:想像の世界で男の子に種を渡し、こう伝えます。「この種を好きな場所の土の中に植えて来てくれるかな。植えたら戻っておいで。」

☆リラックスして、対話している相手が、種を植える作業を終えて戻って来るまで待ちましょう。すべてが完了したとき、あなたは何らかの合図を「感じる」でしょう。たぶん、それほど時間は掛からないでしょう。

例:男の子がにこやかに戻って来るのを感じます。

☆対話している相手にお礼を言って、お別れします。

例:男の子に「どうもありがとう。君のことを誇りに思っているよ」と伝え、想像の中で抱き締めます。「じゃあ、さようなら。」

☆深呼吸をして、ゆっくりと目を開けます。

 

残念ながら、この方法は一回ですべて解決というものではありません。一日に何度もやらないでください。そうではなくて、日を置いて、同じ分野に何度か取り組むと良いと思います。一回終わる度に、気づいたことをメモしておくことをおすすめします。すると、あなたの信念が実際に変化して行くのを実感できます。それから、ただのお水をたくさん飲んでください。感情の残りかすのようなものは、水と一緒に体の外へ出て行きます。

信念が変わると、すべてのことに影響を与えます。人間関係や、物理的現実が変化しますから、心しておいてください。

慣れて来ると、この方法の肝がつかめるようになると思います。細部にこだわる必要はありません。創造的になって、どんどんアレンジしてみてください。あなた独自の方法が出来上がるかも知れません。


これは新しい知識ではありません。実際、古い知識です。

私たちは、思考によって現実を構築する建築家です。厳密に言い換えれば、大脳新皮質 (cerebral neocortex) の神経細胞 (neuron) の接続によって構築される人格 (personality) を通して、量子場 (quantum field) と呼ばれる、すべての時間と空間が同時に存在する神秘的な場から、エネルギーを絶えず物質へと崩壊させています。それが私たちが現実と呼ぶものの性質です。

電磁コイルを一つ、思い浮かべてください。このコイルは、あなたのある一つの思考を象徴しています。どんな思考でも構いません。この電磁コイルが持つ極性によって、原子や分子が引き寄せられるのを想像してください。一定の時間が経つと、ひとまとまりの原子や分子が凝縮して、回転が遅くなり、固体として現れるのを想像してください。

さて次に、このコイルの芯に、磁石を入れましょう。磁石は、あなたの感情の象徴です。磁石を芯にしたことで、この電磁コイルの引き寄せる力が、何万倍にも強くなるのを想像してください。

これは単にたとえ話に過ぎないのですが、現実の性質をうまく説明しています。

さて、私たちがどんな思考によって現実を建築しているのかを探ってゆくに当たって、一番基本的なところから始めましょう。人生の意義。あなたは、人生の意義、あるいは人生の意味をどう定義していますか? 紙と鉛筆を取り出して、あなたの人生の意義を書いてみてください。何か素晴らしい哲学談義を書くのではなくて、何かとても正直に、自分の人生の意義について「感じて」いることを書いてください。

考えていること、ではなくて、感じていることを書くことには重要な意味があります。あなたが感じていることは、あなたの基本的な信念を表しています。あなたが感じることは、あなたが受け入れていることであり、あなたにとっての現実なのです。私は、特にそれを感情性 (emotionality) と呼ぶことにします。

例えば、もしあなたが、「人生は退屈で詰まらないものだ」と「感じて」いるとします。すると、あなたはそのような観点から現実を創造していて、本当に人生が退屈です。「人生は退屈だ」と信じている人が、毎朝、喜びとともに飛び起きると思いますか? そういう風にはなりません。人生が退屈だと信じていれば、うつ病になるのが自然の成り行きです。ですから、まず人生の意義について、あなたが感じている内容を知る必要があります。

ある思考が、それに関連する体験の記憶と感情に結び付くと、信念になります。信念は、強力な電磁石です。信念は、似たような性質の現実をさらに引き寄せますから、それによって、自らをさらに強化するのです。

次に、自己の定義について、見てゆきましょう。あなたは、自分自身をどのように定義していますか? ここでも、あなたの考えではなくて、感じていることを書いてみてください。あなたは、自分自身をどう感じていますか? あなたは、自分自身に価値を感じていますか、それとも、感じていませんか?

もしあなたが、自分自身をちっぽけな存在だと感じているとしたら、自分の才能を素晴らしく発揮して生きることは無理だろうと思いませんか? 何か素晴らしい機会が目の前にやって来ても、あなたは無意識のうちに、それを避けてしまいます。信念はそのように働きます。

あなたが、人生の意義、自己の定義について何を感じているか知ることが、どれほど大事なことか分かって来るはずです。それらは、あなたの現実の基盤となる「基本的な信念」に属しています。基本的な信念とは、あなたが普通に感じていることです。自分にとってあんまり普通なことなので、その存在に気づくことがありません。あなたは、自分の基本的な信念と自己同一化 (self-identification) しているのです。

ある年齢、おそらくは十二歳くらいまでは、大脳新皮質の神経細胞には可塑性 (plasticity) があって、変化への柔軟性があります。例えば、ある年齢までは、環境に応じてどんな言語も習得することができます。ところが、ある年齢を過ぎるとそれができなくなります。神経細胞の可塑性が減少して、接続がかなり固定化されるからです。一般に、人格の形成期は、神経細胞の可塑性が減少することによって終わります。それ以降は、同じ思考を繰り返し行うようになるのです。ほとんどの人は、自分と自分の人格を同一視しますが、断じてそうではありません。誰が何と言おうが、違います。

私たちが生まれた時、赤ちゃんの時、私たちは人格を持ちません。ある年齢までは、人格にも可塑性があります。私たちが一般に人格と呼んでいるものは、両親(あるいは育ての親)、兄弟姉妹、友人、教師、憧れの存在などからほとんど無意識的に受け継いだ、感情性のことです。私たちが過大評価しているほどには、人格にはオリジナリティがありません。人格は、感情的な態度の「パッチワーク」のようなものです。ある年齢までは、人格自体に柔軟性がありますが、それ以降はある程度固定化されます。では、人格が固定化される以前に存在するのは、一体「誰」なのでしょうか?

人格が固定化される以前にも、もちろん意識はありますし、個性もあります。そこにあるのは、魂の膨大な可能性です。小さい子供を見ていると、一人一人、個性的ではないでしょうか。私たちは大人になるにつれて、没個性的になるのではないでしょうか。私たちは、子供には無限の可能性があることを直観的に知っています。それには、科学的な妥当性があります。人格が固定化されていなければ、自由に思考することができ、変化や成長の機会が無限に広がっているわけです。

私たちは、大人になるにつれ、過度に感情的に条件付けられてしまい、過度に社会に適応して、変化を恐れるようになります。本来、人格は常に変化してゆくものです。子供は、外部のいろいろな影響を受け入れて、その都度人格を成長させてゆきますが、大人になると、柔軟性がなくなって、「自分はこれまで、ずっとこういう自分だった」というフリをし始めます。もちろん、勘違いです。あなたは人格ではありません。そもそも、私たちが自己同一化している人格というものは存在しません。自分と人格を同一視してしまえば、成長はありません。少しでも変化してしまうと、自分が自分じゃなくなってしまうという理由で、人格は変化を恐れます。人格もあなたの創造物で、あなたの一部だと言えますが、ずっと変わらない本質だけが、本当の「あなた」です。

もし、あなたが過去の記憶をすべて失ったとしたら、あなたの人格に何が起こるでしょうか? あなたの人格は、過去の記憶で構成されていますから、過去がなくなれば、人格も消えるのです。では、過去がなくなり、人格が消えたら、あなたはあなたではなくなるのでしょうか? いいえ、です。

もっと深く入って行きましょう。家族について。あなたにとって、家族とは何ですか? どんな意味がありますか? あなたが家族について「感じて」いることを書いてみてください。あなたの家族に対する感情的な態度が、あらゆる人間関係にも反映しますので、それを知ることは重要です。

さて、人生の意義、自己の定義、家族の三点について、あなたの信念を書いてみたでしょうか。ではそのリストを、まったく「あなたのことではない」と仮定してみましょう。どこかにいる、別の人が持っている信念のリストだと思ってみてください。カウンセラーになったつもりで。そして、このリストを見ながら、その人の人生の状況が今どうなっているか、これからどうなってゆくのか、予想してみてください。客観的に、論理的に。このような信念を持っている人の人生は、どんなだと思いますか? 何か新しい洞察が得られるでしょうか。

私が、声を大にして言いたいのは、次のことです。別に信じなくても構いません。

 

あなたは、あなたの思考と同じではありません。

あなたは、あなたの感情と同じではありません。

あなたは、あなたの信念と同じではありません。

あなたは、あなたの思考と感情と信念を、

意識的に変える能力を持っています。

 

もし、私たちの信念が現実を創造しているのであれば、一番最初に変えなければいけないのは「すべてのものごとは、私の思い通りにはならない」という信念ではないでしょうか。誰でも、程度の差こそあれ、持っている信念です。思い通りにならないと信じていれば、本当に思い通りにならないのではないでしょうか。ですから、私からの新しい提案はこれです。

 

すべてのものごとは、あなたの思い通りに実現して来ています。

変容

「変容する」という言葉があります。色々な意味で使われますが、「愛の星 友の会」では良い意味で「昨日とは別の自分になる」という意味で使います。これは単に自分自身についての見方を改めるというだけに止まりません。芋虫が蝶に姿を変えるように、実際にものごとの変化を伴う場合のことです。私たちの才能が大きく花開くこと、それが変容です。

私たちはこの世界に差し出すための自分だけの才能を持って生まれて来ていると言われていて、それは本当のことです。自分の意志の力だけでその才能を開花させられる人もいますが、種々の障害物のせいで自分だけでは出来ない人もいます。一生眠らせたままの人もいます。障害物の一番の代表は、「そもそも自分の才能が何なのか分からない」というものです。それもそのはず、多くの場合その才能は具体的なものではないからです。それは「きめ細やかな気配り」とか「集中力」とか「諦めずに続ける」とか「ユーモアのセンス」といった才能かも知れません。自分にとっては当たり前のことが、実はとてもすごいのだということに気づいていないだけかも知れませんね。そういう能力を生かしながら、何でも好きな仕事を選べば良いのです。選択の自由があるというのは素晴らしいことです。もちろん、とても具体的に、例えばスポーツ選手になるために生まれて来ているという人もいます。それはそれで、自分の道をまっすぐに歩いて行けば良いのです。もう一つの障害物に、「いろんな才能があり過ぎて、どれにすれば良いのか迷う」というのがあります。贅沢な悩みですね。様々な過去世で発達させた能力を色々持って来ているわけです。そういう場合は、自分が心から楽しめるものを一つ選べば良いと思います。楽しいことが幾つかあったら、全部やりましょう。ここで、あなたが一番「人からの評価が高いもの」を選んだら、おそらくは後悔することになるでしょう。楽しくないなら、あまり良い仕事は出来ません。才能を生かすと言っても、みんながみんな世界レベルの仕事をするという訳ではありません。世界レベルの人が偉いということでもありません。単に役割が違うだけです。才能に恵まれて大きな仕事をしているからといって、偉そうな態度を取ってはいけません。比較的ささやかな役割をしているからといって、肩身の狭い思いをする必要は全然ありません。霊的な観点からすると、職業の貴賎という考え方は完全に間違っています。神の前ではすべての存在が全体に貢献します。あなたが誰であろうと、神の炎を宿した神聖な存在であることに変わりはありません。

変容は新しいことを始めるということでもあります。人生が退屈に思えたり、今まで楽しかったことが楽しめなくなって来たら、そろそろ変容を選ぶ時期です。何も難しいことではありません。昨日は出来なかったことが今日は出来るようになって、それが自分にとって嬉しいことだったら、それがまさに変容です。例えば、昨日まではうまく作れなかったオムレツが、今日はうまく焼けて嬉しかった、これはあなたが変容したということでしょうか? もちろんそういうことです!

私たちは誰でも変容を経験したことがあります。子供の頃は、毎日が変容の連続です。昨日まで言葉を喋れなかったのが、今日初めて母親と会話した。自転車に乗れるようになった。逆上がりが出来るようになった。色々あります。本当にすごいことです。でもあなたは言います、「でもそれはほとんど誰にでも出来ることばかりです。」ええそうかも知れません。でも私は、あなたも変容の方法を良く知っているということを指摘したいのです。

変容の極意は「ごっこ遊びが本当になる」ということです。私たちは、大人になる段階でごっこ遊びを忘れてしまいます。子供はお医者さんごっことかおままごととかして遊びます。その役になり切って遊ぶわけです。あなたは思います、「でもそれは、本当に医者になることとは違います。」いいえ、同じなのです。医者になるためには勉強しなければならない、それはそうです。でもそれが楽しくて、嬉しいことでなかったら、どうやって勉強のための原動力を得るのでしょう? 人間は、誰でもごっこ遊びをしているものです。

あなたが子供の頃、もし「いくら練習しても言葉が喋れなかったらどうしよう? 自分にそれだけの才能がなかったらどうしよう?」と疑問に思ったとしたらどうなっていたでしょうか? あなたは学び、練習しました。楽しくて、遊びました。自分が言葉を喋れるということを疑ったことは一度もありませんでした。あなたは芋虫から蝶になったのです。奇跡が起きたも同じことです。大人だけが「出来なかったらどうしよう?」と考えるのです。

本来、学ぶことは楽しいことです。小学校低学年位までは、学ぶことは楽しいことであると教えられている子は勉強も良く出来ます。一方、周囲に学ぶことについてネガティブな感じ(義務感)を植え付けられている子は勉強が嫌いになります。それくらいの違いしかありません。それ以上の年齢になると、この文化では競争とか色々あるので、競争心が強い人や、プライドが高い人や、(愛情が不足しているので)人から認められたいという欲求が強い人が勉強して良い成績を取ります。要するにエゴが強い人です。そういう人たちが社会に出て要職に就くので、ますますこの文化を歪めてしまっています。

話が脇にそれましたが、私たちはこの原理を利用して何にでもなりたいものになることが出来ます。ごっこ遊びをしながら、学んで、練習して、「疑わない」ということです。科学的なあなたは言います、「でも遺伝的な向き不向きがあります。遺伝的に不利な立場にいる人たちは、いくら信じて努力しても出来ないことがあります。それに、例えば百メートルを四秒で走るなんてことは、絶対に不可能なことです。」確かに、遺伝的制約はあります。例えば近親者に優秀なスポーツ選手がいれば、あなたは身体能力に秀でていて、他の人と比べればずっと簡単にスポーツ選手になれるかも知れません。それは本当のことです。しかし霊的な観点から言うと、遺伝子も多次元構造を持っています。私たちの遺伝子には過去・現在・未来のあらゆる時空間に存在する全人類の情報が含まれています。かなりの話の飛躍ですね。それは分かっています。どこかの誰かが出来たことなら、その情報を遺伝子から取り出すことが可能です。あなたが「可能だ」と思えば、その部分の遺伝子が活性化し、利用可能になるのです。そうだとしたらあなたに不可能なことはありますか? おそらく何もないでしょう。「そんなバカな!」とあなたは言うでしょう。ええそうです。でも、誰もが不可能と思うことを、ふつうに「可能だ」と思い、本当に実現した人たちは歴史上たくさんいるのです。あなたも何人かご存じでしょう。

私たちが自分を愛さなければならない理由はここにもあります。自分を愛していないなら、自分が変容することを許すことも出来ず、成長が止まってしまいます。

変容にも個人的成長に関するものから人類全体に寄与するものまで色々種類があります。自動車学校についてお話ししましょう。自動車を上手に運転することは本当はかなり難しいことであるにも関わらず、現代ではほとんどの人が出来てしまいます。なぜなら、多くの人が習得したことで集合意識が練り上げられているので、「私にも出来るはずだ」と確信し易く、運転に関する遺伝子にアクセスするのが容易だからです。出来る人が増えるほど、容易になって行きます。私たちが難しい日本語の読み書きを修得できるのも同じ理由です。

では、例えば「瞬間移動する」という能力についてはどうでしょうか。出来る人はほとんどいません。私は物理は得意ではありませんが、量子物理学によれば、意識の力を使って瞬間移動することは理論的には「可能です」。理論的に可能ならば、いずれ可能になると考えるのは妥当なことでしょう。あなたが瞬間移動する能力を習得しようと決心しても、周りにはそれが出来る人は一人もいないかも知れません。あなたがそれを可能であると確信するには、相当な勇気が要ります。だから難しいのです。誰も出来なかったことが出来るようになると、あなたは宇宙に多大な貢献をしたことになります。これが冒険に満ちた人生の最大の醍醐味ではないでしょうか。子供のような素直な熱中がそういう場所まで連れて行ってくれます。将来、小学校で瞬間移動の方法が教えられ、ほとんどの人が出来るようになる時代が来るでしょう(本気で言っています)。意識はこのようにして常に進化し続けています。私たちは昨日とは別の自分を受け容れることが出来るのです。

死んだらどうなるのでしょうか? これは誰にとっても切実な疑問だと思います。なぜなら、(絶対とは言いませんが)私たちはいずれ今の人生における死を迎える運命にあるからです。死んだ後に私たちの身に起こることについて、私が知る限りの情報を現実に即してお話ししましょう。

私たちの多くが死を恐れています。ほとんどの場合、私たちは輪廻転生する存在なので、何度も死を経験して来ているにも関わらず、そのことをまったく忘れてしまっています。かつての死がトラウマを伴う体験であった場合、その瞬間の記憶を呼び戻すのは難しいことです。あまりにも死に対する恐怖心が強いなら、臨死体験についての本を読むことが役に立ちます。臨死体験をした人は共通して、死を恐れる必要がなくなったと話しています。

もしあなたが、人生は一度切り、自分が死んだらおしまいと信じているとしたら、残念ながら、私はそれは事実ではないと言わなければいけません。別に信じて欲しいというつもりはないのですが、どのみちあなたは死んでも自分の意識が消えていないという現実に直面することになるだけです。それに、もし本当にあなたが死んだらすべてが終わってしまうのであれば、最初から宇宙は存在していないはずです。その方が論理的な考えではないでしょうか?

死ぬ時に何を経験するのかは人それぞれ違います。あなたが信じている通りになるのです! 何だかいい加減に聞こえるかも知れませんが、本当のことです。しかしもちろん、死後の世界にも私たちの世界と同様に、ある種の構造はあります。

まずあなたが死後の世界の存在を信じていない場合をご説明しましょう。死に際して、あなたの意識は眠りに落ちる時のように(まさに同じです)薄れて、暗闇の中に入って行きます。その間、あなたの魂は肉体を崩壊させるのですが、あなた自身はそのプロセスにまったく気づかないでしょう。あなたは何もない暗闇の中で静かにしています。するとある時点で、次のことに気が付きます。「あれ? 私はまだ自分を意識している。これはどういうことか?」でも周りには何もありません。暗闇しかありません。あなたはますます混乱し、不安になります。しかしご心配なく、あなたはこの文章を読んでいます。もしあなたがこういう状況に陥ったなら、「誰かいますか?」と叫んでください。すると、急に視界が明るくなり、あなたのよく知る人(あなたよりも前に亡くなっている人)が助けに来てくれるでしょう。

もしあなたが信仰を持っていて、最後の審判の日にキリストが降臨するまでお墓の中で待たなければいけないと信じていたら、本当にその通りになります。あなたは自分の体の外に出ることになりますので、自分のお葬式に出席するでしょう。日本では火葬が主なので、仕方がないので自分のお墓の石の上にでも座って待つことにするでしょう。同じ信仰の友達と一緒に待つことになるかも知れません。キリストは本当にやって来ますが、あなたがその人物を信じるかどうかはまた別の話です。なぜなら、あなたはキリストの顔を知らないからです。本当に審判を受けることになって、あなたは神に自分がした善い行いや悪い行いを話すのですが、あなたが天国に行くか地獄に行くかは、あなたが何を信じているかで決まります。もしあなたが、内心慈悲深い神の救済を信じているとしたら、話はとてもスムーズになります。あなたは自分の罪深い行いを正直に告白しますが、神はこのように答えるでしょう。「あなたの罪は許されています。もっと詳しくご説明しましょう。」神の使者たちがあなたの人生に目的があったことや、あなたが学んだことについて詳しく説明してくれるでしょう。何も心配することはありません。しかしあなたが、内心自分は地獄に堕ちるだろうと信じていたとしたら、別のことが起こります。神はあなたに、「分かっているだろうが、お前は地獄行きだ」と言うでしょう。あなたは悪魔たちに地獄へ連行されるでしょう。でもあなたはこの文章を読んでいるので、心配には及びません。もし地獄に連れて行かれそうになったら、こう宣言してください。「私は自分を許します。私は天国へ行くことを選びます。」本当の神は審判を下すことはない、ということについて熟考してみてください。何か他の教義を信仰している場合も、同じようにあなたの信じている通りのことが起こります。

死ぬ時に、後に残した家族のことが極端に気懸かりだったり、自分を貶めた人々に復讐することを誓っていたり、人間生活が与えてくれた快楽に中毒していたりすると、あなたはいわゆる「地縛霊」になってしまいます。突然の事故などで自分が死んでしまったことに気づかず、しばらくの間地縛霊になってさ迷っている人もいます。と言うのも、地上の人生に強い執着を持っていると、死後も体を持ち続けるからです。もちろん肉体からは離れるのですが、赤外線の体で地上を歩くことが出来るのです。この赤外線の体は自分の肉体とそっくりで、少しばかり自由に動き回れて、食べなくても生きられるくらいの違いしかありません。あなたの側からは地上の人たちがよく見え、話し掛けることも出来ますが、不思議なことに、特殊な霊能を持った人以外は、誰もあなたの姿が見えないし声も聞こえません。透明人間と同じですね。そういう状態でものごとに影響を及ぼそうと努力しても、うまく行くことはありません。実際にはあなたは既に別の次元にいるのです。日本語では「幽界」と呼ばれている領域です。あなたに気づいてくれる霊感の強い人に出会うかも知れませんが、逆に光の方向に行くように説得されるかも知れません。すると確かに光のトンネルがあるのが見えるのですが、あなたは行きたくありません。あなたの心配が愛する家族のことだったら、あなたはいわゆる守護霊団の一員に迎えられ、地上の家族を守ったり導いたりするための一連のテクニックの訓練を受けることになるでしょう。そういう選択もあります。そこは地上を見下ろすような位置にあり、とても色が鮮やかに見えるのが特徴です。美しい建物や自然が豊富にあって、住んでいる存在も多く、自由で素敵な所です。この世界でもあなたは肉体に似た美しい光の体を持ち続けています。でも、(守護霊にもいろいろ種類がありますが)主に地上生活をサポートする役割の守護霊団の世界は、これからお話しする「天国」とは異なるということを憶えておいてください。あなたはいつでも光のトンネルを通って天国へ行く選択をすることが出来ます。死後も魂は成長の道を辿るのです。天国へは行かずに守護霊団の世界から再び人間に転生して来ることも可能ですが、もはやお勧め出来ない選択です。なぜなら、守護霊といえども、創造についての理解は依然として価値判断に基づいたものだからです。

科学的な人は、「そんなことはあり得ない。人間の思考は前頭葉の働きであり、記憶は海馬に記録されているはずではないか」云々と論じられるのではないでしょうか。それもそうですし、正しい姿勢です。でも現実には、記憶は魂に記録されており、脳がないのに思考できてしまうという現実に直面して、驚くことになるでしょう。死後も記憶は残り続けます。信じる必要はありませんが、本当のことなのです。

人間は死してから「霊」になる、と考える人がいると思いますが、それは少し違います。人間は生きている間から既に霊的な存在であり、霊界というものは特別存在しません。言い換えれば、地上も霊界の一部です。ちょうど私たちがしていることのように、生きている間に可能な限り精神を向上し、霊的な知識を理解し、愛する能力を拡大することが大切です。結局、それによって死んだ後にどの領域へ自分を導くことになるかが決まるからです。

さてここまでお話ししたことはすべて一般的なケースなのですが、この文章を読んでいるみなさんにとっては、別なことが起きることが予想されます。それは天国への直線コースです。みなさんの心の受容性が愛という現実に開いているからです。この地上以外に「故郷」があることを感じられるなら、あなたはこのコースを辿ります。

あなたはおそらく赤外線の体で外に出ることはないでしょう。あなたは(とてもリアルですが)夢うつつの状態で明るい場所に現れます。三途の川を信じていたら、まず川を渡るでしょう。あなたは向こう側がとてつもなく明るいトンネルのような道を歩いて行きます。まるでそうすることが当然のように感じるからです。風のような音が聞こえます。光を見ていると、不思議なほど恐怖心がなくなり、いい気持ちになります。あなたは光に迎えられ、光と一体になります。しばらくすると、あなたの良く知る人か、一目見ただけで親しみを感じずにはいられないような天使が、一人か二〜三人で出迎えてくれます。ちなみにこの存在は、生きている間にあなたを指導してくれていた高次元の霊的存在です(守護霊とは違います)。そこで、その霊的存在に見守られながら、あなたは自分独りで人生のすべてを振り返ります。それが必要なことなので、「見せられる」のです。ここで重要なのは、あなたは単に自分の人生を見るだけでなく、あなたと関わったすべての人の立場からも見ることになるということです。あなたは自分の行いの結果、他人がどう感じていたかを自分で体験するのです。面白いですね? すべてが繋がっていたことを体験します。人生のある時点で、あなたが別の選択をしていたらどうなっていたのか、ということもすべて見ることが出来ます。ときに辛い作業ですが、私たちは長い時間をかけてこの作業を完了させなければいけません。その後、私たちは天国に迎えられ、そこでずっと生活することも出来ますし、次の転生の準備をすることも出来ます。あなたは自分自身の全体性を「思い出します」。天国は圧倒的に自由な場所で、どんな体を纏うことも好きに出来ますし、好きな場所に住むことも、好きな仕事をすることも、何でも出来ます。会いたかった人と再会できる可能性もあります。そこは苦痛や悲しみといったものがなく、喜びに溢れた場所です。しかし、私たちの多くは自分が「やり残した」と感じる仕事を成し遂げるために、また地上へ戻ることを選びます。生まれ変わることを選ばず、多次元的に意識を進化させる人もいます。私たち一人一人は非常に個性的な存在で、個性的な意識の進化の道を歩んでいるのです。

私たちが最善のかたちで死を迎えるために、何が出来るでしょうか? 誤解のないように言いますが、自殺や安楽死のことではありません。自然死のことをお話ししています。そもそも死は、一つの人生で計画したことを遣り遂げた直後に、舞台から去り故郷へ帰るための自然なプロセスだったのです。しかし現代では、霊的な「常識」が大方失われているため、人生に目的があるのかさえ確信が持てず、いつ訪れるかも分からない死に抵抗するようになってしまいました。悲しいことですが、死に抵抗すればするほど苦しみも大きくなります。

あらゆる病気の根源は自己否定です。少し単純化し過ぎているかも知れませんが・・・若くして事故や難病などで亡くなる人の場合は違います。これには必ず霊的な計画が関与しています。本人が自覚していることもあります。もちろん罰を受けているのではありません(まったく違います)。私たちは自己否定的なあらゆる観念を取り除かなければなりません。これが一番先にするべきことです。

ほんの数十年前までは、私たちにとって自己の全体(魂)に繋がることはとても難しかったので、とにかく無我夢中で人生を生き抜くしかなかったわけですが、今は意識が自己の全体に繋がるまで拡大するのがますます容易になって来ています。それに新しいエネルギーのおかげで、いわゆるカルマや遺伝的制約を誰でも比較的簡単に解消することが出来るようになっています。カルマや遺伝的制約を解除すると、自分で選ばない限り何もものごとが起こらなくなり、人間関係やあらゆる人生の諸問題による苦しみが激減します(そのかわり、それまで自分が持っていたものも大分失ってしまいます)。本当に有り難い時代なのです。ですから多次元にまで意識を拡大し始めることが次に取るべき選択です。

「多次元にまで意識を拡大する」という言葉の意味は、自分自身の異なる側面を「思い出す」ということです。霊能者や超能力者にならなければいけないという意味ではありません(おのずと能力は開いて行きますが)。必ずしも体外離脱をして別の次元を訪れるという意味でもありません(いずれは体験することになりますが)。ある種の霊的な訓練の中には、人間としての自己(エゴ)や肉体を否定して、どこかの意識の高みへと到達しようとするものもあります。それでうまく行く場合もあるのでしょうが、私が提案したいのは、今いる自分を拡大するという方法です。自分のいかなる部分も否定する必要はありません。これは全然危険を伴わないやり方です。

具体的にどうすれば良いのかをお話しします。あなたが「体験したい」と心から望んでいる新しい現実についての知識を「受け容れて」ください。例えば、過去世を思い出すとか、未来を見るとか、体外離脱をするとか、チャネリングをするとか、興味があって、あなたの現実を多次元にまで拡大してくれそうな体験を選びます。本を読んだり、セミナーに出席したり、映画を観たり、友達と交流したり、情報源は何でも構いません。そしてその体験が自分に値するものだということを「知って」ください。あなたはその体験に向けて自分の脳を準備していることになります。脳がその体験を受け容れられるまで十分に準備されると、実際にそれが「起こります」。とてもシンプルな原理ですね。

これが死とどう関係するのでしょうか。私たちが様々な自己の側面を思い出し始めると、やがて自分は一個の肉体に閉じ込められている存在ではないのだということを確信できるようになります。すると死を迎えるのがますます容易になって行きます。それだけでなく、生きることにますます価値を見出せるようになるのです。

神をどう定義しているかということが、私たちの幸せへの道のりの途上で、避けては通れない問題になって来ます。「そうですねえ、神についてなんて、考えたこともありません」という人も、深く考えてみれば、神について何らかの概念を持っています。神の概念は、あらゆる信念の大元であり、実は私たちの人生を左右する重要要素なのです。ですからそのことについてお話ししようと思います。「愛の星 友の会」では便宜上、神についての態度を五種類に分類してみました。

無神論者。「信じる信じないの問題ではありません。神なんていません」という態度です。超常的な力や不可解な迷信よりも、現実に影響を持つ力を信仰しています。例えば、お金や権力などです。愛についても、目に見えないので、存在しないか、人間の性的な本能であると定義しています。それだけに、物質的な富を築き上げる能力には長けています。潜在的に罪の意識が強く、内心神に裁かれるのではないかと恐れているので、表面的には神の存在を否定しているケースもあり得ます。

二元論者。神と悪魔の存在を信じています。すべての現象を光と闇、善と悪の戦いとして理解します。善と悪の力は常に拮抗しており、自分はどちらの側に付いているのだろうかと自問自答します。人間社会の至る所で二元性のドラマが繰り広げられているので、それを神の世界にも投影します。神話の神や自然神など、個性的な神々が多数登場します。

一元論者。存在するものすべてが神であり、愛であると信じています。あるいは神は絶対的な法則であると考えます。自分が神から分離した存在であると考える知性(自我またはエゴ)が唯一の敵であり、そのような知性を悪またはルシファーと呼び抵抗します。スピリチュアルな知識を積極的に学び理解しています。

崇拝者。教典に記されている神の定義を信じています。神について詮索することは、信仰に対する冒涜であると考えています。神への信仰から心の平安を得ています。理想を体現している人を神になぞらえて崇拝するケースもあります。

神は概念ではなく体験だと知っている人。神についての一般的な概念を疑っています。神について個人的に探究し、秘かに神を愛しています。神は豊かであり、すべてを可能にしてくれると知っています。

この五つの分類は、どれも真実です。どれにも当て嵌まらない概念もあるかも知れません。それもまた真実です。

どのような態度を選ぶかは、私たちの自由であり責任なのです。それによって私たちがどのように人生を経験するかが決まります。

しかし、人生が苦境に陥ると、多くの人は、神の概念は非常に脆いものであることに気づきます。「やっぱり、神なんていないんだ」という結論に簡単に導かれてしまいます。あるいは、再考を促されることになります。スピリチュアルな旅に熱心な人ほど、他人の苦境を目にする度に、「神よ、なぜですか?」という切実な思いに駆られます。結局、それでも神を探究し続けられるのは心の強い人だけです。あらゆる経験を通して、自己の中に揺るぎない神の概念を確立することができたのが、マスターと呼ばれる人たちであり、奇跡的な行いと教えによって歴史に名を連ねているのです。

経済

私は経済に詳しくありませんし、詳細を正確に理解している訳でもないので、各論については述べないでおこうと思います。その代わりに、大枠から言って、何が一番問題であるのか、そして未来の経済システムの方向性について、「愛の星 友の会」の考えをお話ししようと思います。

全世界の経済をいわば支配している、小規模な資本家のグループがあります。彼らは、国際銀行を所有していて、結果的に投資先である企業の情報を得ることが出来ます。影響力はかなりの範囲に及びますが、主に軍需産業、医療、メディアに目を光らせています。また石油会社を所有しています。そしてあろうことか、麻薬の生産地に投資し、管理してもいます。

なぜそうなるのでしょうか。彼らはメディアを操作して戦争を鼓舞します。それは血に飢えているからではなく、単に兵器が売れて儲かるからです。偏った情報によって恐怖をばらまけば、人々は無力になり、戦争へと向かって行きます。衝撃的な出来事とテレビを利用すれば簡単なことです。どこの国とどこの国が戦争するかは問題ではありません。どちらにせよお金は彼らの懐に入ります。彼らは新しい医療技術が広まるのを妨害します。なぜなら人々が健康になれば、儲からなくなるからです。特に、お金のかからない治療法を嫌います。そうではなくて、健康を手にするためには病院に頼らなければいけないように仕向けるのが好きです。さて、各国政府の膨れ上がった軍事費と医療費はどこから集めるのでしょうか? 国民の税金です! 彼らは税金によって養われていて、当然政府よりも強い権力を行使しています。石油は富の泉です。石油が出続ける限り富を欲しいままにしていられます。石油に代わる代替エネルギーの研究が発表されるのを、彼らは妨害します。化石燃料を燃やし続けて温暖化した地球を彼らがどうするつもりなのか私には分からないのですが、とにかく今はそうしています。そして一層悪いことに、彼らは私たちの間に麻薬がはびこるのを止めようとは考えません。当然、麻薬は人を無力にしてしまうので、むしろ好都合なわけです。そしてとても儲かる手段でもあるのです。彼らはとても頭が良いわけです。このような情報は私たちを不快にさせますが、知ること自体は好ましいことです。何も知らなければ現実の新しいバージョンを選択することも出来ません。実に彼らは、私たちに一生懸命働いて真面目に納税し、借金して高額な製品や不動産を買い求め、老後は病気になって医療費を沢山使って欲しいと考えています。これが「新世界秩序」と呼ばれる経済システムです。彼らは感情から切り離されており、あまり生命を尊重する人たちではありません。私たちのこの窮状を想うと、涙が出て来るではありませんか? 本当に、ひどい話ではないでしょうか?

知らない、ということが一番の問題です。私たちの多くが事実を知っていれば、そのような暴挙を許してしまうことはないでしょう。政治への無関心も、やはりこの問題に拍車を掛けています。政治について無知でいれば、悩むこともなく気楽で良いのかも知れません。確かに、政治について市民が思い煩う必要のない社会のあり方は理想的です。しかし税金が官僚や政治家によってあらぬ目的で浪費され、さらには資本家グループに吸い上げられている現状を考慮すると、私たちは知らんぷりを決め込むよりも、知識を得てその職にふさわしい人格者を政界へ送り込むのが正しい態度であるように思われます。ですから知るということがまず最初の提案です。

それでは未来の経済システムについてはどうでしょうか? 私は、まず個人のエンパワーメント(本来の力を取り戻すこと)を第一義に考えています。今は、昔であれば命を賭けて追い求めなければならなかった秘密の教え、私たち自身が神であり創造者であるという究極の教えを、図書館へ行けば、あるいはインターネットを検索すれば簡単に得られてしまうという非常に有り難い時代です。このような個人を力づける知識に立脚した上で、真の主権についてもう一度考察すべきだと思います。主権というのは、もちろん「国民主権」のことです。

有り難いことに、この世界は民主主義の潮流の中に戻って来ています。日本の憲法でも、国民主権が謳われています。つまり、国会は国民の代表であり、いわば主権を信託されているわけです。しかし、なぜだか分かりませんが、納税の義務というものがあり、私たちは政府に従わなければなりません。ここで本来の立場は逆転しています。主権が私たちにあるならば、政府の政策や税金の使い方が気に入らないなら、私たちは税金を納めなくても良いはずです。政府というのは、税金を課さなければ誰も働かなくなるだろうと考えるものです。私たちは本当にそんなにも自堕落で、無秩序な存在なのでしょうか? いいえ、私はそうは思いません。私たちは、公共サービスを一切利用しなくても、ただ生きているだけで税金を取られていますが、それはおかしいと思います。いわゆるインフラストラクチャーの整備や福祉や国防のためにお金がかかるのは分かります。そうであれば、その目的のために別々にお金を募れば良いのです。サービスを利用する見込みのない人たちから一律に、無理矢理に所得を奪う行為は主権を侵害しています。私は、政府にすべての国民から税金を徴収する権利を信託すべきなのは、唯一義務教育にかかる費用についてだけであると考えています。他のすべてのことは地方公共団体か民間企業でも出来ることなのではないでしょうか。私は「小さな政府」の考え方に賛成です。でも、そのような政府を実現する前に、私たちはまず子供たちのために平和な世界を築きましょう。

今、日本では教育にものすごいお金がかかるようになって来ています。公立はそうでもありませんが、小学校から私立の学校に通ったら、とても費用がかかります。国公立の良い大学に入ろうと思ったら、私立の進学校や、塾や予備校に行かなければ難しいのかも知れません。国公立の大学の学費自体も上がっていて、いわゆる教育格差を生む社会になって来ているのです。子供たちは社会の宝であり、大切に育てられ、良い教育(無論記憶ベースの教育ではなく、子供たち一人一人が正しく選択できるように促し、才能を花開かせるのをサポートする教育のことです)を受けられるようにするべきではないでしょうか。すべての教育を無料にし、そのための費用を全国民から徴収する役割を政府に信託するのであれば、私からは一縷の異論もありません。

芸術

この世界では、芸術は上流階級の教養であるとか、知識人の趣味であるとか考えられる傾向にあり、あたかも日常生活とは関係のない非実用的なものと見なされています。にも関わらず、私たちの日常は種々の意匠や音楽や機知の愉しみに溢れています。私は芸術の各種について専門知識を持っている訳ではないのですが、これから芸術家として花開こうとする、けれども社会的な判断によってどうしようか迷っている若い人たちを励ましたいと思います。

芸術とは何でしょうか? 普通よりも大きな観点から一つの定義を試みてみましょう。あらゆるものは純粋な思考に端を発しています。根本物質である思考が速度を落としながら光となり、電磁フィールドとなり最終的に三次元の物質として固まります(実際にはまったく固くはないのでしょうが)。この現象を、私たちは動植物など自ら維持成長する生き物として目にすることが出来ます。遺伝子というプログラムによって、自ら物質として生まれることが出来るわけです。私たちの魂はある意味遺伝子と同じものであり、私たちのスピリットは物質に宿る生命力です。しかし例えば、私たちがあるアイデアを思い付いたとして、それが何もしないで独りでに本として生まれて来ることはありません。アイデアが本になる為には、言葉にし、原稿を書き、編集して印刷するという過程を経る必要があります。人間がアイデアを体の五感を通して伝えられるように具現化して表現すること、これが「愛の星 友の会」の芸術の定義です。

ちなみに、天使の世界ではアイデアを具現化するためにあれこれ手を尽くす必要が最初から無いようです。天使が本を思い描くと、目の前に完成した本が出現するといった具合です。私たちの三次元の世界でも、私たちの脳を完全に開花させれば同じことが出来るそうですが、私たちの現在の文化からはほど遠いようです。今のところは、芸術を具体化し表現する為には体を使わないといけないということですね。

五感を通して伝えられるアイデアが芸術だとすると、芸術形態には実に様々なものがあることになります。視覚を通して伝えられるものとして文学・絵画・彫刻・写真・CG・書道、聴覚は朗読・音楽、触覚は点字・子供のおもちゃ・寝具・工芸、嗅覚は香水・アロマセラピー(香道)、味覚は料理、複合的な形態として日用品・テーブルウェア・建築・映画・アニメーション・服飾・美容・メイク、総合芸術として演劇・スポーツ・コミュニケーション・子育て・人生があります。つまり、すべてが芸術であるということです!

それでは美についてはどうでしょう? 美しくなければ芸術ではないと考える人もいると思います。しかし美意識は人それぞれ違います。美意識は価値判断なのです。芸術は美しさとは関係がありません。芸術は「生を選択するもの」です。それがたとえ一時のものであろうとも、独自の生命を持ち、生の喜びへ向かう表現は何であれ芸術と言えます。ある芸術作品が永遠の生命を持つことはありません。人類の文化がより本質へ向かって進化すると、それに応じて芸術もどんどん変化して行きます。あなたの存在だけが、唯一永遠に生き続ける本質なのです。

一方で私たちの観点からすると死へと向かう(本当は死はありませんが)、文化を頽廃へと誘う「反芸術」が存在するのも確かです。別段探さなくても至るところに反芸術を見付けることが出来ます。私たちが死を選ぶなら、すなわち私たち自身を生から切り離すならば、私たちの文明はいずれ滅亡することでしょう。いつの時代も、すべての生命を尊重することを選ぶことだけが、私たちを神の許へと近付けることでしょう。

芸術は非常に必要なものなのです。ある意味子供を作ることと同じで、人類を存続させる為に必要とされるものです。誰もが決まり切った仕事をして生活している社会を想像してみてください。もちろん畑で食べ物を育てたりとか、生きて行くために必要な仕事は沢山ありますが、とにかく同じ仕事を続けています。そこには変化や、進歩というものが欠けています。生きる喜びは依然としてありますが、何百年と同じことを続けているうちに、私たちは輪廻転生する存在なので、社会全体が倦み始めてしまうのです。変化し、拡大するのが意識の自然な性質なので、芸術は必然的に生まれて来ます。芸術は人類の進化に貢献するための手段なのです。他に同じくらい重要な手段は科学しかありません。科学と芸術はワンセットと考えることも出来ます。

さて実践面からすると、芸術家に必要とされる技能はもちろん直観(インスピレーション)ですね。直観は誰もが持っている能力なので、特段訓練する必要も無いと思いますが、鈍っているかも知れませんので、活性化させる必要はあるかも知れません。直観を上手に使うには、意外かも知れませんが、欲しいものを明確にし、はっきりと意図することなのです。例えば、「服をデザインしたいのだけれど、私の情熱から湧き出る、それでいて本質に適って機能性もバッチリで軽くて、まったくのオリジナルな色と形のアイデア」と意識的に指定します。ここで考えたり論理や過去の資料集めに走ってはいけません。そうする代わりに、素晴らしい服をデザインすることを決心し、あなたの才能を信じたら、すべてを忘れて散歩に出掛けてみましょう。出来れば、緑や自然の中を歩いてください。そして何が起こるか試してみてください。その結果にとても驚かされるかも知れません。あなたの「存在」は、何でも知っています。

純粋な芸術で生計を立ててゆくのは難しいという社会的通念があります。これは間違っています。前に述べたように表現の形態は無限にあり、あなたがあなた自身を信じ、それから常識を適用すれば、この社会でもビジネスチャンスは無数にあるのです。あなたがとても純粋なら、あなたの表現を理解する人は始めは少数しかいず、確かに道は困難かも知れません。しかし時代は変わり、曲がったところのない本質的な活動、つまり善意の奉仕がまっとうに受け容れられ評価されるようになりつつあります。あなたがその道を選ぶなら、素晴らしいチャレンジになると共に、「新しいエネルギー」があなたを待っています。最終的には、多くの人があなたに感謝し、敬意を表することになるでしょう。

愛というものが本当は何なのか、私には分かりません。一説によると愛とは、すべてのものを一つに繋いでいる意志であると言われます。神は愛であると言われています。地球は愛を学ぶための場所であり、本当に愛を理解している存在は地球上の制限された人間として再び生きることはありません。そのような目覚めた存在はどこか別の場所へ行くのです。私たちは、これからそのような存在になってゆくのです。

究極的な意味の愛ではなくて、恋愛という意味の愛であれば私にも少しは分かります(得意分野ではありませんが)。ですからここでは身近な愛についてお話しします。

愛は、この地球上では性と結び付けずに考えることは出来ません。この三次元世界は相対性の世界であり、根本物質である愛は分極しています。すなわち男性性(意識・精神)と女性性(エネルギー・感情)の二つに分かれます。古来男性がプラスで女性がマイナスと考えられていて、ある意味正しいとは思いますが、これが原因で男性が善、女性が悪とされてしまいました。ブラスが善で、マイナスが悪であるなどという発想はまったくの勘違いであり、根拠はありません。男性性と女性性はもともと一つのものであり、この世界では、男性性すなわち意識と、女性性すなわちエネルギーが組み合わされることによって、あらゆるものが創造されます。男性と女性が組み合わさって子供が生まれますが、これはあらゆることについても同じです。これは父母原理と呼ばれていて、とても重要な理解です。

ところで、もっと高次元の世界、いわゆる天使の世界では、愛が分極していないので、私たちが理解するところの計測可能な時間と空間がなく、創造は瞬時に起こります。また体の性別もありません。精神と感情が分かれておらず、「私/あなた」とか「あれ/これ」といった相対性の中でものごとを理解することがありません。すべてが一つに繋がっているのです。そのような存在状態というのを私たちが想像することは出来ません。余りにも私たちの世界とは違うので、人間の脳では理解できないのです。同じように、一度も人間になったことがない天使は、意外かも知れませんが私たちのことを理解していません。少なくとも、深い理解はないのです。

私たちは、体の性別を持っているし、心の性別も持っています。ここで基本的な知識をおさらいしておきましょう。肉体としては、私たちは基本的に男性か女性かに分かれます。また半陰陽(インターセックス)という男性でも女性でもないという状態で生まれて来る人もいます。いずれにせよ、誰でも性の側面は持っています。心の性別は、自分を男性と思っているか女性と思っているかの「性自認 (gender identity) 」と、性的に男性が好きか女性が好きかという「性的指向 (sexual orientation) 」の二つの側面から捉えることが出来ます。性自認については、男性、女性、男性でも女性でもない、男性でも女性でもある、どちらかと言えば男性、どちらかと言えば女性などいろいろあります。性的指向については、(性的に)男性が好き、女性が好き、男性も女性も好き、男性にも女性にも性的欲求を持たない(アセクシャルと言います)、どちらかと言えば男性が好き、どちらかと言えば女性が好きなどこれもいろいろあります。例えば、体は男性で、性自認はどちらかと言えば女性、性的指向は男性が好きというAさんがいたとします。Aさんが普通に男性の格好をしていたとしたら、今の日本社会ではゲイとか同性愛者という風に呼ばれることでしょう。しかし、性自認は「どちらかと言えば女性」なのですからAさんにとって男性が好きなのは「異性愛」ということになります。また例えば体は女性で、性自認は男性、性的指向は男性が好きというBさんがいたとします。Bさんの場合、女性の格好をして男性と交際したとすると日本社会的には「ストレート」な女性という風に見られますが、実際には「同性愛」ということなのです。体の性と性自認が異なる場合、性自認を変えることは難しい(実際的に不可能と思われます)ので、医学的に体の性を性自認に合わせる処置(性転換手術)が必要になる場合もあります。このように性はバラエティに富んだものであり、一人一人まったく個性的なものであると言えるでしょう。今やストレート、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルといった言葉は、性の多様性を反映するには正確さを欠いた用語ではないかと私は思います。そして最も大事なポイントは、私たちは性の多様性を受け容れる必要があるということです。人としての尊厳が守られる限り、私たちは性的に何を表現しても良いのです。

心の性別について、これほどの多様性が存在する理由は、体の性別に関わらず、すべての人が男性性と女性性の両方を持っている為です。私たちの文化では、このことについての理解がないため、男は男らしく、女は女らしくなどと言って、「標準」に当て嵌まらない人たちをさっさと排除してしまっています。あるいは(無意識的であれ)差別しています。これが文化の歪みであり、私たち自身を窒息させるものであることにも気付かずに・・・抑圧された性ほど厄介な問題はないのです。

誤解の無いようにしなければいけませんが、私は体が男性の人が男性らしく、体が女性の人が女性らしくなるのがいけないとか、みんな中性的になるべきだとか考えている訳ではありません。むしろ男らしさ、女らしさを長所として伸ばすのは、社会に活力を吹き込む上で有益なことであると考えます。しかし誰もが男性性と女性性の両方を持ち合わせており、両者はバランスするということを忘れてはなりません。男性と女性が対立するようなことになってはいけません。男性性と女性性のバランスが取れていない社会が長く繁栄することはありません。長い間アンバランスな状態でいると、どんなものでも崩壊してしまいます。

さまざまな理由から、体の性と心の性が一致しない人は数多くいます。より大きな視点に立つと、私たちは生まれて来る前に、血統(両親)と性別を自分で選んでいます。しかし、三次元の世界には不確定な要素があるので(そうです、事前にすべて決まっている訳ではありません)、妊娠中の不慮の事故により性別が入れ替わったり、不完全な状態(半陰陽)になってしまう場合があり得ます。この場合、魂が選んだ性別と実際の体の性別が違うので、非常に違和感を感じてしまうようです。また、一刻も早く地上に戻りたい一心で、どんな体でもいいからということで生まれて来たものの、魂の傾向と目的からすれば適切とは言えない性別に生まれて来ている場合もあります。つまり魂の目的からすると女性に生まれた方が望ましかったけれども、たまたま男性に生まれついたというようなことがあります。また別の例として、意図的に魂の傾向とは合わない性を選択する場合があります。男性面を主に探究して来た魂が、もう一方の性を理解する目的で女性に生まれて来ていて、性的指向は女性が好きというようなことがあります。また育つ環境が性的指向に影響する場合もあります。例えば、ある男性が、父親があまりに厳格であることが誘因となって、男性性を表現することを非常に怖れるようになり、性自認が曖昧になって来て、性的指向が男性に向くようになるということがあり得ます。しかしこれは内面(魂)にもともと男性性への怖れがあり、それが外側に反映されたものであって、性的指向はその男性が問題の解決策として選んだということです。その男性は他の男性とパートナーシップを持つことで男性性への怖れを克服しようとするかも知れません。このように体の性と心の性が一致しない理由は個別のものであって、一概に言うことは出来ません。もっと別の理由も多数存在すると思います。しかし確実に言えるのは、どれも間違いではないということです。人類の歴史上このようなケースはずっと存在し続けていたのです。

さて、セクシャリティで最も重要なことは、私たちはセクシャリティを表現する必要があるということです。もしあなたが、セクシャリティを表現することを怖れ、男性でも女性でもないように感じているならば、それはこの三次元の世界において物質的な焦点を失っており、あなたの生命力が弱くなっていることを示唆しています。あるいはセクシャリティを抑圧すると、生命力が滞って病気になったり、精神に異常をきたす場合すらあります。とても危険なことです。男性性と女性性の統合が、この三次元で物理的に創造を行うための原理です。セクシャリティは創造的表現のために大切に扱われるべきものです。あなたのセクシャリティがどのようであっても、それがあなたの創造の力なのです。あなたの性的な自己を信頼してください。性的な自己に自尊心を持つことは重要です。あなたのセクシャリティがどのようであっても、それを大切にし、自尊心を持つことは出来るはずです。誰か他の人と比べることで成り立つプライドのことではありません。あなたのセクシャリティを他人と比較して悪く思ったり絶対にしないでください。あなたのセクシャリティは個性的なものです。あなたのセクシャリティに自尊心を持ってください。たとえ社会があなたを偏見の眼差しで見ようとも。

ところで一般に、性欲は愛ではありません。性欲は二人の人を結び付ける磁力という意味で、愛の一局面と考えることもできます。しかしその力は物質的なものであって、ほぼ自動的に起こるものです。私は一応男なので男性の観点から言いますが、誰かを見て、やりたくなり、関係を持つ時、相手の肉体に魅力を感じているわけです。「君は僕を興奮させてくれる。君の体が大好きだ。君とのセックスは素晴らしい。君ともっとやりたい。僕は君を愛している。」本当にそうですか? あなたはパートナーを信頼していますか、それともパートナーはただのセックスの対象であり、それ意外の部分を「我慢している」だけなのでしょうか。もしその関係によって相手を傷付けたり、自分が傷付いたりするならば、それは愛に基づいた関係ではなく、単に肉体中心の関係だということです。なぜなら愛は与えることであり、与えること自体が報酬であり、相手に見返りを求めないものだからです。この文化ではしばしば理解が混乱していますが、愛は誰かを傷付けるような諸刃の剣ではありません。愛は統合する力です。

再び誤解の無いようにしなければいけませんが、性欲は悪いものではありません。子供を作るのに必要ですし、セックスは素晴らしいものです。しかしセクシャリティはセックスに限定されるものではありません。特に男性の性欲は、なかなか激しいものであることは承知していますが、セックスによってのみ満たすことが出来るという訳ではない、ということを学ぶ必要があります。性のエネルギーはどんな方法にでも使うことが出来ます。激しい性欲を感じているようなとき、単に胸の中心に意識を集中して深呼吸してみてください。すると、胸までエネルギーが上がり、性的に発散させる必要が無くなります。意志があれば簡単に出来るので、試してみてください。別に性的に発散させても良いのですが、単に強い性欲を感じているようなときは、盛り場で相手を探さないで一人で「対処」するのが良いと思います。性欲にまかせて誰かとセックスしたり、外に向けて性的な表現をすると、ご存じの通り問題が起こりがちだからです。性的な自己をマスターすることは、誰にとっても重要な課題です。

魅力的な他人とはどんな存在でしょうか? 性とは関係のない愛もあります。小さい子供は性のエネルギーに関わりなく人を愛することが出来ます。それと同じように、大人でも完全に内なる男性性と女性性のバランスが取れていると、性に関わりなく愛することが出来ます。そのような人は体の性別に関わらずまったく性欲を持たず、パートナーを望むこともないかも知れません。ある意味子供のように無邪気になれるのです。このような状態こそが、個人として最も創造の力を発揮できる状態であり、そうなることが私たちの目標地点です。このとき、男性性と女性性の両方を創造的に表現し、性自認は男性でもあり女性でもあると感じるようになり、真の自己だけを愛するようになります。真の自己の中では、魅力的な他人は存在しません。その代わりに、すべての人を等しく愛するようになります。

そう言ってしまうと、ロマンチックでも現実的でもないかも知れないので、身近な話に戻りましょう。魅力的な他人は、大きく分けて二種類あると思います。一つは、共通の信念で固く結ばれた友人。もう一つは、あなたの最高の姿を鏡として映し出してくれる恋人またはパートナー。前者は、人生の幾つかの場面で、必要があれば出会うことになるでしょう。これには霊的な教師も含まれます。この話の結びとして、後者の性的な結び付きを伴う関係を取り上げましょう。

どうすれば、理想とすべき恋人やパートナーを自分の人生に引き寄せることが出来るのでしょうか? あるいはどうすれば、現在のパートナーシップをより豊かにして行くことが出来るのでしょうか? 「愛の星 友の会」としての見解は、シンプルにして置きたいと思います。第一に、今の自分のセクシャリティをありのままに受け容れるということです。意識的に、男性性と女性性を調和させようと努力する必要はありません。私たちの魂のほとんどは、既に女性にも男性にも生まれたことがあります。今のあなたのセクシャリティは、この人生のために選ばれたものなので、無理矢理変えようとしてはいけません。外に出て何かを変える必要もありません。「セクシャリティに取り組むためには、読むべき本が沢山あるわ。セミナーにも出なきゃ。もっと魅力的に見えるように服を買いに行きましょう。お化粧もバッチリ決めたいし、高級な香水をつけた方がいいかもね。フィットネスクラブに通って、体重を落とす必要があるわ。それにあれも、これもして。」そういうアプローチも良いですが、まずはありのままのあなたを受け容れることが絶対に必要です。良いも悪いもありません。そして他の人のセクシャリティに偏見を持たないことが同じように大切です。もし他の人を価値判断したり避難すると、それがあなた自身の創造性の足かせとなってしまうからです。

さて一旦自分のセクシャリティをありのままに受け容れることが出来たら、次に、恋人やパートナーを人生に招き入れる、または現在のパートナーシップをより良いものにすることを「選択」します。ただそう決心すれば良いだけです。選択しますか? もしここで、「でも、そうするためにはもっと痩せなきゃ」とか、自分を変えようと思うようであったら、まだあなた自身を信頼し切れていないのかも知れません。本当に、あなたは今のままで良いのですよ! すべてはあなたから始まるのです。もしあなたが、一生懸命外側を探し始めたりしたら、何も始まらないか、関係は不満足な結果に終わってしまうでしょう。この時点では、何も変えようとしないことが重要です。そうする代わりに、選択してください。あなたはパートナーに、ありのままの自分を受け容れて欲しいと望むのではありませんか? もしそうなら、あなたがあなた自身を受け容れることから始めてください。すると実現のプロセスが開始されます。それだけなのです。どのように実現して行くのかは、あなたの「真の自己」が面倒を看てくれますので、心配しなくても大丈夫です。あなたがあなたらしさを受け容れ、バランスの状態にいると、同じようにバランスの取れたパートナーが現れて、ワクワクするような創造的な関係を享受することが出来るでしょう。一方あなたが自分自身に不足を感じていたら、パートナーも同じように感じていて、お互いに足りないものを奪い合うような関係に陥ってしまうかも知れません。既にパートナーがいる人にとっては、関係は良い方に変化して行くことになるでしょう。

あなたの人生を向上させる必要はない、と言っている訳ではありません。あなたが持っている男性らしさ、女性らしさの中で長所と感じられる部分を伸ばしたり、新たな才能を発掘し、発達させるのはとても良いことだと思います。でも、それはあなた自身に捧げられるべきことです。あなたのパートナーの為や、恋人を作る為にそうするべきではありません。それがあなた自身の為でないのなら、「私はまだまだダメだ。もっと頑張らなくては」というメッセージをあなた自身に送り続けることになってしまいます。この方法では、どこへも辿り着くことは出来ません。私たちが自分自身を向上させるのは、常に喜びの体験であるはずです。

パートナーを見付けたり、パートナーを喜ばせるためには、セクシーにならなくてはいけないと考えていますか? 私は過度に刺激を追い求めない方が良いと思っています。性的な魅力は、強力な磁石のようなものです。どちらかの極に片寄っていて、アンバランスなのです。あなたの体を欲しがる沢山の恋人を引き寄せて一時は楽しいでしょうが、磁石ですからガッチリくっ付いてしまって離れられなくなってしまいます。セクシーさを重視したある意味アンバランスな状態で誰かと関係を持つと、お互いに依存するようになりがちです。お互いを補い合うような創造的な関係ではなくて、相手なしではいられないような状態に陥ってしまうのです。そしてあらゆる難しい問題の渦中に巻き込まれて、そこから抜け出すにはインドの僧院にでも逃げ込むしかないという羽目になってしまいます(冗談です)。それに巷で噂される「最高のセックス」などというものは、素晴らしいパートナーシップが与えてくれるものと比べれば、それほど良いものでもないのです。

さて最後に、最高のパートナーシップに何が期待できるのかについてお話ししましょう。あなたの現在の体と人格は、物質的には、脳の一部である下垂体や松果体から分泌されるホルモンによって恒常性(ホメオスタシス)が維持されています。この身体の中から見ると、人格さえも含めてこの「ホルモンカクテル」の配合があなたという存在なのです! このホルモンカクテルは全身の細胞に流される「指令」で、それによってあなたの身体が同じように再生され続けます。病気の状態も再生され続けます。このカクテルの配合を変えることが出来れば、病気を治したりも出来るはずです。女性ホルモンや男性ホルモンを外部から注射すると、性格まで変わることから推察されるように、あなたの人格が一定しているのも、あなたの特定のカクテルの配合のお陰なのです。もちろんホルモンカクテルはあなたの魂の物質的な反映です。最高のパートナーシップは私たちのホルモンカクテルを変容させるのを手助けします。

私たちが一つのパートナーシップを育み続け、お互いを真に受け容れ、愛によって自己を拡大すると、古来「クンダリーニ」と呼ばれて来た創造の力が、尾てい骨から背骨を通って胸まで上がって来ます。クンダリーニは尾てい骨に渦を巻いて存在していますが、「愛の星 友の会」では敢えて詳しくは触れません。二人の人が愛し合うと(セックスをすると)、自然と上に登って来るのです。胸まで上がって来るには、二人の間に深い信頼関係が無ければ出来ないので、基本的には長く関係を維持し、愛の中でお互いを探究しようと努めているパートナー同士であることが必須条件です。クンダリーニが胸まで上がって来た時点で、二人は愛が体を超越するものであることを理解します。二人はお互いの精神に深く触れ合うようになるのです。そして最終的に、クンダリーニが背骨を上昇して下垂体と松果体に達した時、ある意味ホルモンカクテルが莫大なエネルギーによって「真っ白」な状態になり、変容が起きるのです。この状態で、二人は完全な統合とエクスタシーを体験すると言われています。そして、その時にホルモンカクテルの配合を完全なかたちで変えることが可能になるのです。体を完全に健康にしたり、覚醒と呼ばれるところまで意識を拡大することが出来ると言われています。これは本当に祝福された体験ではないでしょうか。みなさんの旅が祝福に満ちたものでありますように。

呼吸法

古今東西の様々な文化の中で有効とされている「呼吸法」について、実践を通してみなさんと一緒にその可能性を探ってみたいと思います。それでは始めましょう。

人として生きるうちに、私たちは問題に出会います。家庭の問題、職場や学校の人間関係の問題、恋愛の問題、お金の問題、病気や痛みの問題、精神的な問題、社会的な問題、目標の達成についての問題。悩みのない人はいない、とよく言われます。概して私たちは問題を持ちます。

私たちの外側でものごとが起こっていて、私たちはそれを独自の基準で価値判断します。それによって感情の波が生まれます。良い感じを呼び起こすものごとを私たちは「良いこと」と呼び、悪い感じを呼び起こすものごとを「悪いこと」あるいは「問題」と呼びます。それは両方ともものごとからやって来ます。

実際に起きていること、本当に大事なことは、そのものごとによって呼び起こされる自分の反応です。まったく同じものごとに対して、ある人は「良いこと」と感じ、ある人は「悪いこと」と感じることもあります。人それぞれ判断が違うからです。

さて今あなたが抱えている問題を一つ、選んでみてください。それはあなたを苦しめています。もしかしたら、その同じ問題がある時は「良いこと」であったかも知れません。それは波のようにうねっています。今のところ、あなたはそれを持ち続けています。

それは恋愛かも知れません。あなたは喜びと苦しみの両方を経験します。恋愛は感情の動きです。それは病気かも知れません。病気によって、何か大切なことを学ぶ時があったり、また病気を呪う時があったりしたかも知れません。

あなたは問題にうんざりしていますか? 本心では、まだ少し、感情の起伏を経験していたいでしょうか。それはドラマであり、それがどんなに激しいものであろうとも、私たちを生き生きとさせてくれるものでもあります。もし、問題が解決したら、ドラマは無く、何の感情もありません。もしかしたら、人生が詰まらなく感じるかも知れません。

私たちは、問題が無くなってしまうと、何も感じなくなり空虚になります。そこで、この空虚感を埋める為に、新しい問題、多くの場合同じような問題を見付けて来てはそれに取り組む傾向があります。これは自分の人生の目的が意識的にはっきりと定まっていないことと直接関係があります。私たちは、自分に何の問題も無くなってしまうと、他人の問題を自分のものとして引き受けることさえよくするのです!

もしあなたが、問題にとことんうんざりし、苦しんでいるのだったら、解決を選ぶ時です。人は、成長する為に苦しまなければいけないという考え方もありますが、もうこれ以上、苦しむ必要はないのではないでしょうか。あなたは苦しみから何かを学んだのですから、もう問題は手放す時です。

もしあなたが問題を解決するのを選ぶのならば、まず、外側のあれこれから離れ、プライベートな場所に一人で引きこもる必要があります。ずっと引きこもるということではなくて、ここでご紹介する呼吸法を実践するための数時間を、誰にも邪魔されない場所で一人で過ごすという意味です。もし可能であれば、誰もいない静かな自然の中に座るのが最も良いでしょう。もしあなたが心の内側で問題を解決したならば、外側の問題も自然と解決して行きます。物理的に変化が起こるのです。外側のものごとと格闘する必要はありません。

さてもしあなたが問題を持っていて、それを今解決することを選択するならば、一人になれる静かな場所で、柔らかい物の上に楽な姿勢で座ってください。それから何枚かの紙と、絵を描くための簡易な道具(色鉛筆、クレヨン、カラーペンなど)を用意してそばに置いてください。あなたの役に立つならば、リラックスできるような音楽をかけても構いません。これから一緒に呼吸を始めます。あなたの問題を一つだけ、選んでください。これでどんな問題でも解決できるかどうかは分かりません。でも私は、誰もが奇跡を起こす力を持っていると信じています。奇跡的なことが出来た人の話を知っているからです。そして奇跡は確実に、誰か他の人に頼るのではなく、自分自身で成し遂げるものであるということを知っています。

パワフルな深呼吸をしましょう。何も考えないで、ただ単に鼻から息を吸って、はいて(鼻が詰まっていたら口で呼吸すれば良いですよ)・・・パワフルに、大きく息を吸って、はいて・・・日常生活の濃密な感情をきれいに洗い流しましょう。腹式呼吸をするのが望ましいですが、腹式に慣れていなければ胸式で結構です。こだわらないでください。気分が落ち着くまで深呼吸を続けてください。

次に、軽く目を閉じてください。自分の胸の中心を意識してください。深呼吸をしながら・・・胸の中心に意識を置いて、そこに白い光の玉があるのを「見て」ください。通常イメージが見えるのは頭の中なので、頭の中で、胸の中心に白い光の玉があるのを見るということですね。光はまばゆいほど良いです。見えなかったら、光を「感じて」ください。胸の中心に、白い光の玉がある感覚を感じてください。暖かい光です。その光は、息を吸うのにもはくのにも関係なく一様に光り輝いています。呼吸には反応しません。ちなみにこの光は、あなたの純粋な愛であるということを知っていてください。これを練習だと思ってください。もしうまく見えたり感じたり出来なかったら、何度でも練習することが出来ます。光を感じながら呼吸するほどに、心地良さを感じるようにしてください。違うイメージが見えて来てしまったら、光に意識を戻すようにしてください。リラックスして、もう充分と感じられるまで続けます。時間にすると数分か、もっと長いかも知れません。

次に、目を閉じたままで、心の中で、または口に出してこのようにはっきりと宣言してください。どちらかと言えば、口に出して言った方が良いですね。「私は、あらゆる現実の創造者です。」そして静かに、体の内部の「感覚」を意識してください。静かに、体の感覚に耳を傾けて・・・体のどこかに違和感や、緊張や、抵抗を感じますか? 落ち着かなくなったり、不安を感じますか? 体のどの部分に、それを感じますか? 調べてください。ではもう一度。「私は、あらゆる現実の創造者です。」体の中の感覚に耳を傾けてください。正直に。もし体のどこにも抵抗がなく、心の中で喜びを感じるならば、あなたは本当に準備が出来ています! でも、違和感や抵抗を感じるのが普通であり、間違いではありませんので安心してください。胸の辺りが苦しくなる、皮膚が冷たく感じる、体が硬くなる、胃の辺りがむかむかする、尾てい骨の辺りがむずむずしたり冷たくなる、肩が重くなったり痛くなる、泣きたい気持ちになり涙が出て来る、悲しくなる、不安になる、腸のあたりから怒りがこみ上げる、息が苦しくなる、膝が痛くなる、喉が痛くなる。微妙な感覚の変化も無視せずにしっかり感じてください。もしかしたら、胸が熱くなる、手が熱くなる、楽しい気分になる、といった肯定的な感覚かも知れません。充分だと感じられたら、目を開けて、体の中で感じたことを紙に書き留めてください。正直に。これは単にあなたの今の状態を認識する為だけのものです。紙に書くことで、それを客観視するのに役に立ちます。この紙は取って置いてもいいし、後で捨ててしまっても構いません。それではもう一度、目をつぶって宣言しましょう。「私は、あらゆる現実の創造者です。」良い悪いはないので、ありのままに感じてください。

次に、目を閉じたままで、このように宣言してください。「私は、今この瞬間に存在しています。」これを自分のペースで三回言ってください。

さてこれで準備はおしまいです。具体的な取り組みに入って行きましょう。あなたが選んだ一つの問題を取り上げます。想像力を使って、その問題が既に解決している時のあなたを想い浮かべてください。目をつぶっていても開けていてもどちらでも構いません。想像の世界の中で、その時のあなたになり切ってください。心の中に、何か光景が浮かびますか? 何か聞こえたり、匂いがしますか? 深呼吸してください。もし何も見えなくても構いません。問題がすっきりと解決している時のあなたの気持ちを、感じてください。心地よく感じますか? 空虚に感じますか? もしかしたら、本当は問題を解決したいとは思っていなかったことに気が付くかも知れません。もしこの時点で大きな抵抗を感じたら、先へは進まず、ここで終わりにしてください。じっくり感じてください。その感覚の中で、くつろいでください。あなたは、解決を選びますか? もしそうなら、先へ進みましょう。

あなたは、問題を「どうやって」解決したかを考える必要はありません。むしろ、ああなって、こうなって、というシナリオを描かない方が良いのです。そうする代わりに、あなたの喜び、あなたの気づきを象徴するような絵を作りましょう。あなたにとって、その問題の解決を意味するようなシンボルを一つ考え出します。例えば、学校での人間関係が問題であれば、あなたが学校で笑っている絵や、単に、調和を表す円の絵であるかも知れません。あなたの問題になっている人が、学校を去って行く絵を描いたりしないでください。あなたの問題が恋人だったら、恋人が思い通りに変わるのを絵に描いたりしないでください。変化するのは、常にあなたです。他の人の人生に影響を与えるのは究極的には不可能なことです。その人自身が選ばない限りダメなのです。でもあなたの中で変化が起これば、外側のものごとはそれに応じて変化します。本当です。クリエイティブになって、あなたにとって最もパワフルなシンボルを作りましょう。あなた個人にとっての解決を表すシンボルです。具体的な絵でなくても構いません。風景画のように精密なものよりも、漫画のようにシンプルであればあるほど良いです。考え付いたら、新しい紙を取り出して実際に絵を描いてください。シンプルな絵にしてください。

絵が完成したらそれを手に取って、じっと見てください。絵を記憶してください。じっくりと。次に目をつぶって、絵を頭の中で再現してください。はっきりと見ることが重要です。視覚化に馴れていて、おでこのあたりや前方や頭上で見るのが得意な人は、それでも構いません。目をつぶって、絵をちらっとでも再現できるようになるまで繰り返してください。これは良い練習になります。楽しんでやってみてください。

いよいよ、この呼吸法の核心部分に入りますよ。より集中してください。絵を下に置いてください。目をつぶって、頭の中で絵を再現してください。そして、息を大きく吸い込むと同時に、絵を胸の中心にサッと移してください。あなたのイメージの中で。もう一度やってみましょう。絵を見て、息を大きく吸い込むと同時に絵を胸の中心に移します。あたかも、絵を同時に吸い込むような感じです。もう一度やってください。絵を吸い込んでください。そして胸の中心で、絵を「感じて」ください。くつろいでください・・・絵を感じられますか? あなたの解決のシンボルを受け容れてください。次に、今度は、普通に息を吸い込んで、ほんの少し息を止め(二秒くらい)、その間に絵を胸の中心で感じます。そして息をパワフルにはき出すと同時にその絵の「感覚」が外側に拡がって行くのをイメージしてください。外側に拡がって行くのを感じてください。鼻からはいても口からはいても構いません。息をはき切ってください。絵が拡がって行くのをイメージするのを忘れないでください。余り一生懸命やらないでくださいね。クラクラしてしまいますから。自分のペースで呼吸してください。絶対に苦しくなるまでやらないでください。倒れることはないと思いますが。もう一度やってみましょう。素晴らしいですね。絵が拡がって行く感覚というのは、人それぞれ違いますから、これが正しいというのはありません。あなたの自己流で、マスターしてください。体の中に、感覚が拡がって行くのを感じる人がいるでしょうし、何かが虚空に拡がって行くように感じる人もいるでしょう。とにかく、胸の中心から、感覚が外に向かって拡がって行けばそれで良いのです。それではこれから息を吸うのとはくのを連続してやりますよ。

目をつぶってください。リラックスして、普通に呼吸してください。息は止めないで。頭の中で、絵を再現してください。はっきり見えたら、息を大きく吸い込むと同時に、絵を胸の中心に持って来てください。少し息を止めて、胸の中心の絵を感じてください。パワフルに息をはき切ると同時に、絵が胸の中心から外へと拡がって行くのをイメージしてください。これを自分のペースで、もう充分と感じるまで繰り返してください。三回で済むかも知れませんし、もうちょっと長いかも知れません。そして終わったら、目はつぶったままで、再び頭の中で絵を見ます。普通に呼吸してください。絵がはっきり見えたら、心の中で、または口に出してこう宣言してください。「私は、解決を選びました。そして、すでにそうなっています。」

これからのあなたの人生で、何か変化があるかどうか観察してみてください。今すぐには変化しないかも知れませんが、三日後、一週間後に、あなたの内側と外側で、何が起きているか観察してみてください。あなたの絵を好きな場所に貼っておくのは良いことです。そしてもしこの呼吸法が気に入ったら、あなた独自のやり方で応用して行ってください。本当に気に入ったら、あなた独自の方法を人に教えることもできます。

自由

私たちは自由や解放という言葉が大好きです。文字通り何かから解き放たれたように感じるからです。これはつまり、過去数千年の人類の歴史が隷属と束縛の繰り返しであったためにそう感じるのですね。今や同じことを繰り返す必要はもうありません。お気付きの通り、私たちにも出来ることはあるのです。もう無知なフリをするのは止めなければなりません。

私たちには、自由意志というものが与えられています。私たちが何を考えるのかは完全に自由であり、どのように行動するかも基本的には自由です。「カルマと遺伝的制約」でお話ししました通り、人間としての制限は色々ありますが。私たちは自分一人で何でも創造できる力を与えられており、これはものすごい贈り物です。ところが私たちは、お互いの創造性を比べ始め、競争が生まれました。どちらがより美しいか。どちらがより良いか。どちらがより力強いか。その比較によって階層構造(上下の観念)と権力闘争が生まれ、支配とコントロール、隷属と束縛が信じられるようになってしまったのです。これは人間がまだ創造されておらず、私たちが天使であった頃に既に始まっていたことです。

私たちはお互いに、役割を交代しながら制限という名のゲームをプレーしているかのようなものです。あるときは加害者になり、別のときは被害者になります。制限のゲームの原動力となっているものは「恐怖」です。このゲームの中では加害者も被害者も等しく恐怖に基づいて行動しているのです。恐怖の中にいるとき、私たちは自らの才能や創造性を発揮することが決して出来ません。恐怖は力を奪うのです。様々なメディアや教育によって恐怖という破壊的な思考がばらまかれ続ければ、決して平和が訪れることはないでしょう。私たちは容易に有毒な情報を信じてしまうので、それによって恐怖が生まれ、お互いに対する不信に基づいた難しい社会を作り上げてしまいました。

私は愛のゲームをプレーしたいと思っています。正しい情報や知識は人間に力を与えます。一人一人が力を取り戻し、大衆が力を取り戻した社会では、戦争が起きることはありません。ですから「愛の星 友の会」は、みなさんに知識を提供する場でありたいと願っています。これは決して新しい知識ではないので、みなさんの内側に既に存在している知識を活性化させたいのです。あなたは既に知っています。誰かに「助けてあげる」と言うのは時には大切なことですが、「あなたにも出来る」と言い、そのやり方を教えることがより本質的な愛の行為なのではないかと私は考えています。

私は知識を崇拝しています。知識こそが、私たちを痛みと苦しみの泥沼から救い出してくれるものだからです。あなたの知識が届く範囲が、あなたの現実の境界であり、あなたの信じていること(信念)が現実を構築する素材です。あなたの信じていることが、どんなことを信じているのであれ、あなたの物質的な現実を作り出すのです。これは量子物理学で科学的に説明されつつあるところです。自分の信念が現実の性質を作り上げているのを実感できたとき、あなたは叫ぶでしょう、「分かった!」と。そして自分の現実を変えるには信念を変えれば良いという結論に辿り着くことでしょう。これが最大の鍵です。実際には「知る」というのはこのことであり、「愛の星 友の会」ではあの手この手を使って自分の意志で現実を変化させられることを体験したいわけです。

さて自由と責任は切り離すことができず、常にセットになっています。自由の名の下で、好き勝手なことをやり、責任は誰か他の人に取ってもらうようなことは良いはずがありません。若い人たちの間では、自由の概念は大抵誤解されており、何でも好きなことをして良いという風に信じられています。若い人たちは、自分で責任を取ることを許されてもいないのですから当然のことです。でももしあなたが若いなら、自ら進んで自分の行動に責任を持つようにし(決して他人の行動の責任を取ろうとしないでください)、自分で責任を取れないような未来の可能性については諦めなければいけません。若いときはとにかく未来に色々な可能性があるように感じるものですが、意外にも、自らの責任の範囲内で未来の可能性を選択することが、あなたの才能を完全に開花させる道なのです。なぜなら「自分の為したことの結果は必ず自分に返って来る」のが宇宙の法則なので、あなたの向こう見ずな行動の結果があなたに返って来ると、あなたは状況のコントロールを失ってしまうからです。

意識の拡大という名目でアルコールや麻薬を摂取する人たちもいますが、これはお勧めできません。まったく役に立たないとは言えないのかも知れませんが、これらの物質は脳を破壊してしまうので、代償はあまりにも大きいと言えます。それよりも自然の薬草や新鮮な水や果物の方がずっと役に立つでしょう。

解放とは人類の負の遺産と言える恐怖の歴史の悪循環を断ち切り、創造性と力を取り戻すことによって愛と喜びを表現し、遺伝子を浄化することです。どういうことかと言うと、あなたが力を取り戻し、もはや恐怖に屈しなくなれば、実際にあなたの遺伝子に変化が刻まれるのです。真の人間性を高め、良識を基盤とする社会を築くことが私たちの目標です。かつては不可能だと思われていたことに、多くの人が目覚めたことによって実現への可能性が開けて来ました。

人種や性別についての子供染みた差別をするのは止めなければいけません。私たちが神の子であるとしたら、そのような態度は私たちにふさわしくありません。私自身、一人の同性愛者として言いますが、同性愛は悪習ではありません。ごく一部の人たちの極端な行動が目立ってしまっただけのことで、多くは誤解です。私たちは生得の権利によって誰かを愛するだけのことです。人を愛してはいけないと誰が言うべきでしょうか? すでに幾つかの国で実現しているように、日本でも同性間の結婚が認められるような制度にする必要があります。そして女性を差別するような社会制度は徹底的に見直す必要があります。女性も等しく力を持っており、男性優位の社会に正当性はまったくありません。女性の解放こそ、この時代における世界の最も大きな課題の一つです。

カルマ

人間の精神は基本的に自由なものです。そのことはみなさんも直観的に分かると思います。何をどのように考えるかはあなたの自由です。自分の性格も自分で選ぶことが出来ます。でも、でもということもみなさんは分かっています。制限があるのです。誰かのことをどうしても許せない・・・本当は許したいのに。どうしても怒りが治まらない・・・楽になりたいのに。自分のことを愛せない・・・本当は苦しいのに。自分の体験を自分で決めたいのに、いつも体の欲望に負けてしまう・・・これは笑いごとではありませんよね。これらの制限はすべて、カルマと遺伝的な制約に起源を持っています。

カルマとは、伝統的には輪廻転生が正しいとして、他の転生(いわゆる過去世)から来ていて現世に影響を与えている因子のことを言います。そして例えば前世で人を殺したので、現世ではその「バランス」を取るためにひどい目に遭うとか、逆に前世で功徳を積んだので現世で幸せになる、という風に考えたりします。「愛の星 友の会」ではこのような定義はまったく正しいとは考えていません。一つの人生は一つの時空間の中で構成されており、始まりと終わりがあります。別の人生は別の時空間に存在しています。ですから(基本的には)別の人生からの影響はありません。もしそんなことが可能であれば、すべてがごちゃごちゃになってしまい、今の人生に意識を集中することが出来なくなってしまいます。自分が為したことの結果は必ず自分に返ってきます。もし人を殺したのであれば、それなりの結果が返って来ます。しかし、時空間の性質上それは一つの人生の中で完璧に完結するものです。

それでは「愛の星 友の会」で言うところのカルマとは何でしょうか。私たちはいわゆる天国のような場所で一つの人生の計画を立てます。そこでは私たちは天使であり、ものごとの全体像を見渡せる有利な立場にいます。神と呼ばれるような存在に非常に近い場所にいるのです。天使としての私たちは人間の肉体を持っていないので、死の恐怖を知らず、また食べるものやお金のために働く必要もありません。そのような観点から次の人生の努力目標を設定し、舞台背景と登場人物と出来事を準備します。そしてそのような学びを効果的に達成できそうな時空間の切片(時代)と血統(両親)を選んで生まれて来ます。私たちのこの三次元の世界では、地球という存在が終始一貫して学びの為の焦点を提供してくれていて、そのことによって複数の魂が一つの文明を共有出来るのです。すべてのセッティングが整った後、私たちは人間として生まれて、あらかじめ用意しておいた筋書きが進行して行くことになります。そして必ずしも憶えていない出来事が起きてしまいます。これには人間関係のあらゆる問題も含まれます。実は自分で計画したことなのですが、全部憶えていたら達成できないことがあるので、憶えていないのです。人生を計画したときに設定しておいた出来事が起きること、これがカルマの定義です。どうしてそんなことが本当だと分かるのですか?とみなさんは思うはずですが、これは人間性の制限を解き放ち、多次元の意識の統一を達成した存在たちによって与えられた教えです。

実際他の人生で人を殺した人が今の人生で逆に殺害される、ということはあるというのが現実ですが、それは法則ではなく、自分の学びのために自分自身で設定したことです。そのようである必要はないのです。運命はあるのですか、という問いに対しては、ある意味、運命はあると答えます。人間として生まれた限り、自分で設定した目標を達成する運命にあるのです。ただ多くの場合、その運命をはっきり憶えていないというのが辛いところなのですが・・・しかしヒントは随所で与えられることになるでしょう。運命を変えることは出来ず、変えるべきでもありません。一つの人生の中であらかじめ設定した目標を達成できた場合は、次なる運命を決め、人生をがらり変えることが可能になります。有り難いことに、目標を達成するための道を楽にすることは許されていて、その方法は後ほどお話しします。

運命は必ず成就するのかというと、まったくそうではありません。それどころか、私たちは同じ目標に取り組みながら何回もの人生を費やす傾向にあるのです! 人間としての経験の浅い魂であれば、まず幸せな家庭を築くことを目標にするかも知れませんし、多くの経験を積んだ魂であれば、人間の制限的なパラダイムを打ち破り文明自体を前進させるような挑戦を選ぶかも知れません。人それぞれ目標はまったく個性的なものであり、すべてが可能です。宇宙は善であり、私たちは自らの愛を差し出すことによって全体に貢献するという方向性を持っています。

運命の成就を難しくしているものは人間の遺伝的制約です。遺伝子には先祖の制限的な思考形態が蓄えられていて、それらは「人間は無力な存在である」「本当に欲しいものは滅多に手に入らない」「戦争はなくならない」「気をつけろ、愛する者に裏切られることもあるぞ」「権力には従わなければならない」など挙げ始めれば切りがないほど沢山あります。そこから派生して無気力、無関心、恐怖、怒り、悲しみなどの感情がやって来ます。特に、思春期になると性のエネルギーが動き始め、子供を作る為の準備が完了すると共に、遺伝子の中に存在する先祖(過去)の情報が表面化する為に、ものごとに対する「意見」を持ち始め、様々な感情が激しく現れて来ます。さらに生存、生殖、弱肉強食といった動物的性質が強まって私たちの道を険しくするのです。私たちはこれらの問題に向き合わなければなりません。これらの制約が一切なかったとしたら、私たちの道はずっと楽になることでしょう。

私たちは、これらの制約ゆえに運命と向き合うことが出来ずに逃げ出してしまうのです。自ら設定しておいた特定のイベントから逃げてしまうと、それだけで目標の達成が不可能になってしまうこともあり得ます。成長の機会はしばしば挑戦として現れます。人間として生きるには勇気が要るのです。ではなぜ、この三次元の世界で自分を表現する必要があるのでしょうか?と思うかも知れません。その価値はどこにあるのでしょうか? 確かに価値は存在し、それは限りなく深い感覚であり、言葉に置き換えることが出来ないものです。少なくとも、あなたは自ら選んで生まれて来ています。あなたに人生を強要する存在はいません。

さて今のこの時代における特異な現象があります。私たちが望むならば、人間的なあらゆる制約を無効にする手段が提供されているのです。これはもちろん、ビッグニュースです! それは「新しいエネルギー」と呼ばれるもので、三次元の観点からすると、天の川の銀河の中心から太陽へと送られ、太陽から地球に送られて来ているエネルギーです。それは近年観測されている太陽黒点とガンマ線、太陽フレアと太陽風のことです。科学に興味のある人は近年の太陽の活動の変化について調べてみてください(科学的には非常に好ましくない変化と解釈されてはいますが)。エネルギーや粒子は必ず情報を運搬しており、太陽からのガンマ線と太陽風の影響が人類の意識を直撃しています。太陽からの情報は人類の意識がより大きな展望へと開いて行くように促しており、それによって「目に見えるもの以上の何かがある」と気付く人が急激に増え、副次的に社会の不正が次々と明るみに出る結果になっています。この新しいエネルギーは大変強力なもので、あなたが自らの運命を受け容れ、成就させることを「今この瞬間」に深く決意しさえすれば、大量に流れ込んで来ます。そしてあらゆるものごとが加速して、カルマが時間的に収束して起こり、しかもそれを楽々と乗り越えることができ、遺伝的制約は癒されて消え去ってゆきます。千九百八十七年から二千十二年までの間続くと言われているこの新しいエネルギーの流入によって、他の時代ではとても難しかった問題を解決できる可能性があるのです。それは遺伝子の中に蓄積された恐怖を喜びに置き換えることなのです。なぜこのような素晴らしい機会が与えられたのかというと、人類が祈り、助けを求めたからなのです!

新しいエネルギーは今地球上で生きている人であれば誰でも利用することが出来ます。ただし、まずは自分が現実の創造者であることを本当に受け容れなければなりません。もし自分が現実の創造者であるならば、もう苦しみを創造する必要はないのです。もし自分を愛するならば、喜びだけを受容すれば良いのではないでしょうか。新しいエネルギーはそのように働きます! あなたが選ぶならば、「私はスピリットであり、創造者である。私はスピリットの愛と単純さと力強さを受け容れ、生の喜びを表現している。私は常に、私自身を愛している。私は常に豊かであり、健康である。そしてそれ以外の存在であったことは一度もない」と毎朝「今この瞬間」に留まって宣言してください。するとあなたはそのような人になります。

このように高められた意識状態でいると、過去に起因する感情がやって来ても、深呼吸しながらそれを感じているだけで、制限的な信念に容易に辿り着くことができ、それをもっと拡大した信念に置き換えることが出来るようになります。例えば、「私は魅力的ではないから、パートナーを得ることは出来ない」という古い信念を見付けたら、「私は常に魅力的だった。だから最高のパートナーがやって来ることを知っている」という信念に置き換えるというように。するとそのようになるのです。非常に根の深いトラウマも新しい観点から見詰め直すことが出来るようになります。大体において、あなたが心から望み、喜びを感じることがあなたの運命です。しかしこれは「自分さえ良ければいい」という人間のエゴの視点からでは決して到達できない生き方でもあることに注意してください。

非常に意識が拡大すると、あなたは多次元的になり、あらゆる存在物が、特に地球があなたの教師になります。これはこの時代からのあなたへの贈り物です。あなたの意識は体の中にしっかりと存在しながらも、もともと人生を計画した天使としての視点や、自然との対話を取り戻すことが出来るのです。そして他の転生で完了することが出来なかった運命がこの人生で成就したことを知ることによって、あなた自身の多様な構成要素の感動的な統合が起き始めます。そのようにして終には、あなた自身が「神」であったということを知るのです。「神の知性」の中では、万物は繋がっているのです。