企画書「精神世界ガイド」

要点

スピリチュアル版ミシュランガイドの創設を企画します。混迷を極める現代の情報社会では、興味本位の範疇を越えて、本格的に人生の指針を得ようとスピリチュアリティの門を叩いても、これほどたくさんの選択肢があると、本当に自分に合った道を見つけることは難しいのではないでしょうか。初心者が、最初から最良の情報に辿り着くことは稀です。「生徒の準備が出来たとき、教師が現れる」というのは一種の神話であって、現実には、たまたま声高に宣伝していた教師や団体に成り行きで関わって行き、それが実は、自分が本当に求めていた道とは違っていたことに気づくまでに、何十年と労力やお金を無駄にしてしまう人が多いのではないでしょうか。 詐欺まがい、カルトまがいの教師や団体に関わってしまうと、経済的な被害を受けるだけならまだマシで、最悪のケースでは、「人生を奪われた」と言えるほどの悪影響が及びます。質が高く、信頼の置ける教師や団体を紹介する誠実なガイドブックが、是非とも必要な現状ではないでしょうか。そのガイドブックには、博物趣味的にいろいろな情報をただ収集したのではなく、そこから抽出したスピリチュアリティのエッセンスが、端的に明示されているべきではないでしょうか。この企画は本として出版するのが適当でしょうが、予算次第では、インターネット上のみでの公開という選択肢もあります。もちろん、企画者は非営利目的の第三者審査機関に徹することが理想です。

幸せとは

あらゆる種類のスピリチュアリティが一つの目的に集約するとしたら、それは「幸せでいる」ことに尽きるのではないでしょうか。スピリチュアリティ以前の幸せの基本条件として、まず、健康・愛情・(最低限の)経済の三つが満たされることが挙げられます。政治的、宗教的な服従を強制される環境の中で、集団催眠にかけられ、自由と幸福を得ていると思い込まされている状態とは区別され、それは内側から沸き上がる喜びや輝きがあるかないかで判断できます。スピリチュアリティは、それによって(誘導的、強制的に)健康・愛情・経済が脅かされたり、損なわれるものであってはいけないと考えます。その上で、スピリチュアリティでは、幸せには二つの方向性があるとされています。一つは、自己実現方向で、人間社会の繁栄のために何か貢献しようとする積極的態度の中に見出されます。もう一つは、自己消滅方向で、何かを成し遂げようと意志する主体そのものが脱落する過程の中に見出されます。しかし、すべての人が超能力者となり、欲しいものを何でも手に入れること、あるいは、すべての人が世捨て人となり、悟りが開けることが、スピリチュアリティの目的であるとは思いません。このプロジェクトでは、一つの仮定として、本当の幸せはどちらか一方ではなく、美徳とも言うべき両者のバランスにあるという立場を採ります。

先行する企画

先行する類似の企画に、別冊宝島さんの『精神世界マップ』、平河出版社さんの『精神世界の本』、荒俣宏さんの『世界神秘学事典』、ブッククラブ回さんの『スピリチュアルデータブック2007』などがあります。ただ、古典的名著を紹介するという形式だと、スピリチュアリティが単なる知的な探究であるという印象を強めてしまう虞があります。最も参考になる企画は、フランスの出版社 Almora による Guide Almora de la spiritualité で(最新版は2013年刊)、これは古典を掘り起こすことではなく、実践されることに主眼を置き、実地の調査をも含めて検証された、現代フランスの生きたスピリチュアリティの総目録になっています。

なお、日本の宗教法人に関する一次資料としては、文化庁が毎年発行している『宗教年鑑』があります。

評価方法

当該の教師・団体が発行する著作やインターネット上の公式サイトなどに一通り目を通します。その上で、もし予算が許せば、抜き打ち的にイベントやセミナーに参加し、詐欺まがい、カルトまがいの言動がないかどうかをチェックします。完璧な教師はいないのですから、審査上やむを得ない場合を除いては、試したり悪意のある質問をしたりといった挑戦的な行為は慎まなければなりません。大きな団体については、過去に名称を変えたり、裁判沙汰になったりしたことがあるかどうかもチェックします。明瞭な評価基準を設け、掲載するべきかどうかを総合的に判断します。評価するに当たっては、一般常識に加えて、宗教全般についての基礎的理解や、カルトの原理、サイコパスの心理についての基本的知識が必須になります。

評価基準

  • 内容。人の悩み苦しみを徹底的に洞察し、解決のための実際方法を明確に提示できているかどうかをチェックします。さらに、当該の教師自身が、人にインスピレーションを与えるような素晴らしい生き方を、実際にしているかどうかをチェックします。
  • 料金。今の日本には、精神世界・スピリチュアル業界の適正価格の相場がありません。そのため、心に悩みを抱える人たちに付け込む心理的商売が、野放しになっている状態です。当該の教師・団体が提供するサービスの対価が、一般常識に照らして法外な金額になっていないかどうかをチェックします。また、 当該の教師・団体の活動の根幹が、家元制度・上納金制度・資格商法・マルチ商法・ねずみ講の上に成り立っていないかをチェックします。政府が規制をかけざるを得ない事態になる前に、民間が率先して自浄能力を示して行きましょう。
  • 歴史。一般的に、長く続いているものほど信頼性が高いと言えます。ただし、伝統的な正統派だからと言って、盲目的に高く評価するようであってはいけません。
  • 成果。当該の教師や団体に関わりを持った人たちが、実際に変化し、幸せになっているかどうかをチェックします。
  • 言行一致の原則。美しい理想が語られるのみで、現実の行動を伴わない教えは虚しいものです。言葉と行為との間に、著しい矛盾が見られる教師や団体を、高く評価してはいけません。
  • 公平性の確保。執筆者・編集者が信奉する教義が、やたらと高く評価されないように、可能な限りダブルチェック、トリプルチェックを徹底する必要があります。執筆者・編集者の知り合いが、不適切に高く評価されないように配慮しなければなりません。また、このプロジェクト自体が、企画者の売名行為にならないように、配慮しなければなりません。

対象範囲

全世界を網羅することは現実的ではないので、日本国内で活動している教師、または日本に活動拠点を持っている団体に限定します。少なくとも二十年以上は安定した活動を続けており、なおかつ際立った成果を上げている教師や団体を中心に取り上げることが望まれます。いかに優れているように見えても、活動開始から十年も経っていないような教師や団体を、安易に取り上げるべきではありません。

  • 伝統宗教。仏教、神道、キリスト教、ヒンドゥー教(ヨガ哲学)、イスラム教、ユダヤ教、先住民文化(シャーマニズム)など。何千年もの伝統は、それだけ多くの検証に耐えて来たと考えられるので、王道だと思います。
  • 神秘主義思想。歴史的に見て、神秘主義はスピリチュアリティの最大の源泉とも言えますが、神秘のヴェールは最大の煙幕にもなり得ます。おとぎ話のようで現実味のない団体には、疑問を呈するべきです。
  • 心理学・心理療法・脳科学。精神の健康は誰にとっても重要ですし、そこが入り口になる人たちも多くいると思います。
  • ヒーリング。医学的検証に耐え、スピリチュアリティに連なるものであれば、取り上げるべきです。
  • 自己啓発。ビジネスの成功哲学にも、スピリチュアリティに繋がって行くものがあります。
  • 新興宗教。敬遠されがちな分野ですが、もし卓越した教義を持ち、運営方法も穏当であるなら、取り上げるべきです。
  • 超能力者・霊能者。科学的検証にオープンであり、なおかつ著しい社会的(影響力ではなく)貢献があるなら、取り上げるべきです。
  • 霊媒(チャネリング)。チャネリングによる伝達は、一般的に信憑性が低いと考えられますが、年月を経て情報の有効性が証明されているなら、取り上げるべきです。
  • 文学・哲学。実践するという点では疑問の余地があるものの、純粋な文学・哲学の中にも目を見張る内容のものがあります。
  • 芸術家・音楽家。美しさはスピリチュアリティに繋がります。
  • 武術。伝統的な武術にはスピリチュアリティが内包されている場合が多いので、取り上げるべきです。
  • エコロジー。先住民文化と共鳴する環境哲学の中には、優れたものがあります。

対象外とするべき範囲

非常識で無責任な教師や団体は、取り上げるべきではありません。トラブルを回避するために、敢えて悪評を掲載するよりも、評価できない教師・団体は最初から掲載しないという方針を採ります。 評価できると判断した場合でも、(取材とは違うので、掲載許可を貰う必要はないとは思いますが、)メディアへの露出を望まない教師や団体を、一方的に掲載するべきではありません。また、次のような特徴を持つ教師・団体は、そもそもスピリチュアリティとは何の関係もないため、対象範囲外とします。

  • 過激な教師や団体。宇宙には善悪も意味もないので何をやっても構わないとする教え、幻覚剤を用いる実験、黒魔術、悪魔崇拝、常軌を逸した儀式や修行を伴う超越思想など。
  • 霊的伝統の枠組みを悪用し、明らかに金銭やマインドコントロールを主目的としている教師や団体。
  • 社会不適応的な傾向を持つ人に、まやかしの希望を与えて依存させることで成り立っている教師や団体。
  • 理屈がどうであれ、信者に家族を捨てることを奨励する教師や団体。
  • 脱退しようとする人に対して、恫喝や脅迫をする教師や団体。
  • 諸悪の根源は政治経済システムにあるなどとし、反体制的な言動が目立つ教師や団体。
  • 自らが一番優れていると主張し、他を悪しざまにけなす教師や団体。
  • まったくのデタラメではないものの、明らかに大袈裟な「奇跡」「究極」「世界初」「革命」「何もかも上手く行く」などの表現を用いたり、明らかに話を盛っている体験談や有名人の推薦文を持ち出したりして、誠意を欠いた宣伝広告を行う教師や団体。
  • 性的な関係が入り乱れている教師や団体。
  • 本名や都合の悪い過去の経歴を隠そうとする教師。
  • 悪意はないものの、(エゴは実在しないので)自分には責任がないという哲学のもと、気まぐれな言動で人を惑わす教師。
  • 自らを過信し、絶対に間違いを認めようとせず、人に頭を下げることを知らない教師。
  • 「信じる信じないはあなた次第」という、結果が検証されることを最初から視野に入れていない、その場限りの占いや人生相談。
  • 一般に存在を公表していない秘密結社や、一般に公開してはいるものの、上級者サークルに入るにはイニシエーションを受ける決まりになっている、秘密めいた団体。
  • フランスの1995年の報告書でセクト指定されている団体とその関連。

改訂について

一度は信頼が置けると判断した団体が、主催者が変わった途端に豹変することもあるため、数年に一度は全面改訂する必要があります。言うまでもなく、権威主義に陥り、賄賂を貰って掲載するなどという暴挙に出てはなりません。万が一、高く評価していた教師や団体が、社会的な問題を引き起こした場合には、心ならずも片棒を担いでしまったことを謝罪し、責任を取るのが当然です。(それだけ審査を慎重に行わなければならないということです。)

協賛者募集

このプロジェクトに出資して頂ける篤志家様・企業様(もちろんプロジェクト名に御社の名前が入ります)、あるいは執筆者・編集者として協力して頂ける方は、「あいのほし」まで、こちらのメールアドレス宛てにご連絡ください。

(補足:精神世界の料金が安定しない理由の一つとして、安い値段で借りられる会場が少ないことが挙げられます。敷地内に使っていない建物があり、レンタルスペースとして提供して頂ける寺の住職様・神社の神主様、あるいは、東京都心の一等地にある建物を、開かれたスピリチュアリティの一大拠点とするために運用して頂ける大企業様は、上記のアドレスまでご連絡ください。)

あいのほしの基本方針

  • 若い世代が、これから世界中の人々のありとあらゆる思想や生き方に接するときに、それに惑わされず対応して行けるだけの、基本的な理解の枠組みを提供すること。
  • 一人一人が自己認識に辿り着くきっかけを提供すること。
  • 方法や結果ではなく、直の出会いを大事にすること。
  • これから教育または医療の仕事に就く利用者にインスピレーションを与えること。
  • 心の繋がりを通じて、教育関係者のネットワークを作ること。
  • 利用者のプライバシーを保護し、オンラインで私的なデータを保存しないこと。
  • 利用者のコミュニティで性的な関係を求めないこと。
  • ありとあらゆる思想に対して中立を保ち、教える立場に立たないこと。
  • 自分の意見に過ぎないことを、真実であると勝手に裁断しないこと。
  • みだりに過去の霊的な伝統や高名な先生方の教えに言及しないこと。
  • どうにでも解釈できる曖昧で非論理的な表現で、何か特別なことを知っているかのように語ったり、いかにも神秘的に聞こえる体験をでっち上げたりして、自己演出したり、ウソをついたりしないこと。
  • 売名のために著名人やマスメディアを利用しようとしないこと。

大人のための教養講座

スピリチュアルな教育について、気をつけたいこと
トラウマの再体験
再構成家族
日本語
事勿れ主義
本当に欲しいもの
男らしさ、女らしさ
人間関係
真剣さ
信念体系に取り組む
言葉とシンボル
自分を信じる

僕の大天使

 ここはどこ? 君は誰?

ようこそラファエル。さあ、こっちへいらっしゃい。

 俺の名前を知ってるってことは、前にどこかで会ったっけ?

うん、ほら、そこのソファに座ったらいいよ。コーヒー飲む?

 ん、別にいらないよ・・・ここは君の家?

そうだよラファエル。僕はここに住んでるんだ。

 ずいぶん広いアパルトマンだね。それにとても明るい。

明るいのが好きなんだ。絵も彫刻もないから、あなたにはちょっと殺風景かも知れないね。

 東洋的でいいんじゃない。君は中国人?

そうだとも言えるし、そうじゃないとも言えるね。今は何人でもないんだ。

 どういう意味?

僕はもう地球にはいないんだ。あなたから見れば、死んだ人間ということになる。あなたは今、夢見の状態にいて、ここを訪れているんだよ。地球時間で言えば、2015年2月17日の夜明け前だと僕は理解している。

 ちょっと待った。俺は夢を見ているの?

そうだよ。あなたに聞いて欲しい話があって、あなたをここへ呼んだんだ。僕は「あいのほし」という名前の、地球で言えば図書館のようなところで司書として働いている天使だよ。

 え、君は天使なの!? 普通のおじさんに見えるけど。天使って、羽が生えてて、白いローブを纏って、光り輝いてるもんだと思ってた。

中にはそういう天使もいるけどね、僕は違うんだ。僕はつい最近まで、地球で人間として生きていたんだ。それが地球上の最後の人生で、僕はここに戻って来たんだ。最近あなたに双子の男の子が生まれたことを、僕はとても喜んでいる。

 天使だから俺のことは何でも知っているのかい。そうなんだ、自分の子供がこんなにかわいいなんて、知らなかったよ。

晩婚化が進むフランス社会では、あなたの結婚はとても早い方だ。あなたは現実路線だから、それでいいんだ。ギャラリーの仕事もうまく行っているみたいだね。

 ああ、いい仕事に恵まれて、嬉しいよ。

ラファエル、僕が地球上で送った最後の人生のことを、あなたに話したいんだ。今から話すことは、ほとんど、誰にも話したことがない内容ばかりだよ。僕があなたに何もかも話せるということは、それだけあなたの度量が広いということなんだ。

 よく分からないけど、いいよ。とりあえず話してみれば。

どうもありがとう。そうだね、何から話したらいいのかな。最後の人生っていう言葉自体、あなたには馴染みが薄いのかも知れないね。僕は1978年に日本で生まれたんだ。

 生まれ変わりとかそういう話に聞こえるよ。インドでは輪廻転生の概念が根本にあるのかも知れないけど、カトリックでは、生まれ変わりは認められていないんだ。

それは分かっているよ。あなたはどう思っているの?

 テレビでそういう番組を観たことはあるよ。アメリカの研究だったと思うけど、前世の記憶があるという人の証言を、実際に検証してみるという内容だったよ。そういうこともあるのかな、とは思った。

あなたに何かを信じて欲しいわけじゃないからね。あなたは地上で生きている人間だから、それを知るのはそんなに重要なことじゃないんだ。ともかく、僕はその年を選んで生まれたんだ。

 自分で選んだってどういう意味? それって変じゃない?

僕たちは、計画を立てて地球に生まれているんだ。あなたもそうだよ。あなたはたぶん、子供の頃から、自分のやりたいことがけっこうハッキリしていたんじゃない? それは、両親に言われたり、学校で教えられたりしたこととは違ったでしょう?

 そう言われてみりゃ、確かにそうだね。美術関係の仕事に就きたいとは、子供の頃からずっと思っていたね。

そしてそれが実現したわけだよね。僕にも目的みたいなものがあったんだ。何と言ったらいいのかな。それは地球の旅の総決算みたいなことだったんだ。

 よく分からないよ。結論を出すとか、そういうこと?

第一あなたは、旅を始めたばかりだからね。分からなくて当然だよ。僕は何度も地球に生まれたことがあってね。僕は基本的に、人を助けたいと思っていたんだ。それが何を意味するのであれね。ところが、人を助けるどころか、ある人生で、人を殺してしまったんだ。

 え、そうなの。

うん、僕はとてつもない罪悪感を持ったんだ。過ちを犯してしまった以上、生まれ変わりのサイクルから足抜けすることができなくなったんだ。少なくとも、僕はそう信じたんだ。それで、贖罪のためだけの人生も何度も送ったんだ。自分を苦しめるためのね・・・

 何だか寓話みたいになって来た。

そう、一つの物語として聞いて欲しいんだ。きっとあなたの役に立つ内容がいくつかあると、僕は信じている。

 面白そうだね。話を続けて。

日本人に生まれた最後の人生のことを、始めから話そうね。僕が生まれるとき、母は車で大学病院に向かったんだけど、虹の下をくぐったらしいんだ。子供の頃にそう聞かされたよ。

 虹って、空に架かるあの虹のこと?

そうだよ。虹のアーチの下を車でくぐったらしいんだ。

 ドラマチックな始まり方だね。

うん、特に意味はないんだけどね。お産自体は、とても軽かったみたいだよ。と言うのも、母を陣痛で苦しめるのは、僕の趣味じゃなかったんだ。

 それも自分で決めたって言うわけ?

あなただってそうだったはずだよ。今度お母さんに聞いてごらんなさい。僕は、あなたが生まれた2年後に、あなたの夢を見たんだ。

 ん、何だって?

そのことは、後で話すよ。僕の名前は、江戸時代の剣豪から付けられたんだ。ご先祖様が剣術の師範だったからね。僕には似つかわしい名前じゃなかったね、武道というか、スポーツ全般が苦手だったからね。争いごとは何でも嫌いだったんだ。あなたの名前は、旧約外典のトビト記に登場する大天使から採ったものだね。

 うん。

僕は、小さい頃は、とても幸せな子供だったんだ。いつも何かに守られている感覚があって、何の不安もなくて、世界はとても美しかったよ。家庭は裕福な方ではなかったけど、食べる物に不自由するようなことは全然なかった。僕は活発な子で、僕の独特な笑い方を、両親はとても面白がったんだ。その笑い声をカセットテープに録音してあったほどだよ。小さい頃は、すべての大人は優しいと思っていたんだ。あなたは、大人のやり方に早くから疑問を持ったかも知れないね。

 俺は、どちらかと言えば、大人の嘘を見抜く子供だったよ。君みたいにナイーブではなかったね。

あなたの洞察力はとても鋭いからね。僕は、洞察するよりも、人間の善性や美しさを最初から信じるタイプだったんだ。両親のことが大好きだったよ。そんな子供時代の僕に、暗い影が差し始めた。それは7歳のとき、クリスマスの朝だったと記憶している。

 何があったの? 両親が離婚でもしたの?

ううん、そうじゃないんだ。クリスマスの朝方に、とても怖い夢を見たんだ。どんな夢かって言うと、何か、自分の過去をすべて振り返って、何度もやり直してみるんだけど、結局、何もかもが間違いだった、もうどうにもならない、という圧倒的な恐怖が押し寄せたんだ。爆発的な絶望感と表現したらいいかな。あまりの恐怖に、目が覚めてすぐに、首を吊って死のうと思ったくらいなんだ。子供がそんな体験をするなんて、それ自体おかしなことでしょう? でもそれが実際に起こったことなんだ。それと時期が前後していたと思うんだけど、夢の中で、自分とは何の脈絡もないような、言うなれば別の宇宙のような場所に行ったんだ。時間の感覚が崩壊して、そこで全然別の人生を送っていることが分かったような・・・子供の想像のようなものではなくて、生々しい実感が伴っていたから、とても怖かったんだ。それは頭の中心にたまたま意識を集中していたときに起こったと記憶している。僕は眠るのが怖くなってしまった。本当に恐怖体験で、そのことを誰にも話すことができなかったんだ。僕がこのことを話すのはこれが初めてだよ。

 あんまり聞いたことのないような話だね。

うん、だから話せなかったんだ。子供だから、うまく言葉で表現することもできないしね。しばらくの間、そのことを思い出さないように、何も感じないようにすることで、何とかかんとか乗り越えたんだ。同じ夢は繰り返し見たんだけどね、だんだん減って行ったんだ。小学校には、そんなこんなでやっと通っていたんだ。でも、何も感じないように努力していたせいで、心も窒息して、人生から輝きが失われてしまった。夜になると、何もかもが自分のせいなので、存在世界から自分を永久に消し去りたい、眠ったら二度と目が覚めなければいい、と考えるようになった。得体の知れない恐怖から逃げ回る人生が始まったんだ。しかも、僕には2歳年上の兄がいたんだけど、両親の知らないところで、僕を陰湿なやり方でいじめるようになってしまったんだ。身体的に暴力を振るわれたことはなかったんだけどね。主に言葉によるいじめだったんだ。小さい頃は仲良くしていたはずなのに、どうしてそうなってしまったのか、僕は今でも分からない。きっと、兄にも精神的なストレスが重なったんだろうね。ともかく、虐待とも言える執拗さだったから、僕は何だか、逃げ場を失ってしまった。掘りごたつの中や、布団の中で、よく一人で泣いたものだ。あなたには掘りごたつはイメージできないよね。その頃の自分は、一生分の涙を流したって思ったくらいの悲しみだったよ。それで涙が涸れてしまったって言うかね。泣き虫だったんだけど、だんだん泣かなくなった。それ以来、結局兄とは最後まで疎遠だったんだ。幸せな子供が、一転して、一人ぼっちの寂しい子供になってしまった。小学3年生頃から、母は介護が必要になった祖母のことで忙しくなって、当然祖母の状態は日に日に悪化して行く一方だから、子供と向き合う心の余裕なんてなかった。父は工場で働いていたんだけど、子供にはあんまり関心のない人だった。僕は幼かったから、だんだん両親を恨むようになったんだ。

 辛い話だね。学校に友達はいなかったの?

友達はいたよ。学校では結構人気があったんだ。あんまりしゃべらない、無口な子供になっていたんだけどね。ファンタジーの世界に逃げるようになっていたから、漫画やテレビゲームに熱中していたよ。絵を描くのが好きだったんだ。内向的な子の多くがそうなるようにね。あなたにも多少、そういう傾向があったんじゃないかな。

 俺は詩を書くのが好きだったよ。誰にも見られないように、こっそりノートに書いていたよ・・・

僕は音楽もわりあい得意だったんだ。生まれ付きの能力で、簡単に作曲することができたから、音楽の道に進みたいと思ったこともある。ピアノはちょっとだけ習わせてもらったことがあるけど、あんまり得意じゃなったね。大学生の頃は、独学で作曲法を学んだよ。管弦楽の曲を書いたんだ。

 へえ、オーケストラの曲?

うん。でもね、結局僕は、音楽が好きじゃないってことがハッキリしたんだ。得意だったけど、楽しくなかったんだ。それでやめたんだ。

 もし才能があったんなら、もったいない気がするね。

うん、実際そう言われたこともあったんだけど、今思い返せば、当時の自分が思い込んでいたほどの才能はなかったんだ。小学生の頃は、背が小さくて、とても痩せていたので、虚弱に見られることが多かったんだ。でも、家で本を読んだり、勉強したりは一切しなくて、外で遊ぶのが好きだったよ。田舎の町だったから、回りに自然がいっぱいあったんだ。僕はとにかく、植物が大好きだったんだ。当時は地球と自分が繋がっていることを常に感じていて、植物を眺めていると、その目に見える、物質的な秩序の向こう側にある世界を感じたよ。野性的な感覚を持っていたんだ。

 その感覚はよく分かる。俺は今でもそうなんだ。

あなたは新世代だからね、素晴らしいことだ。あなたが芸術に興味を持ったのは、その感覚と無関係ではないんだ。芸術作品の中には、論理を越えた領域を発想の源泉に持っているものもあるからね。あなたは小学校の頃から、ちょくちょく勉強もする子だったみたいだね。興味のない科目はまるっきりダメ、好きなことにかけては類い稀な集中力を発揮するタイプ。僕はあなたのそんなところにも、魅力を感じたんだ。それはそうと、小学校の話はそれぐらいかな。僕は私立の中学校を受験したんだけど、失敗したので、近所の公立中学校に上がったんだ。成績の良い子が私立の中学校に行くのがブームみたいなものだったんだけど、僕はダメだったね。スポーツが大嫌いだったから、ブラスバンド部に入ったんだ。女子ばかりのクラブで、男子は二人くらいしかいない環境で、クラリネットを吹いていたんだ。でね、中学一年生のとき、理科系だったからコンピュータがどうしても欲しくて、父に頼んで買ってもらったんだ。コンピュータが届いたその日の夜に、例の悪夢が戻って来たんだ。このときも、爆発的な絶望感で、目が覚めてすぐに首を吊りたい衝動を抑えるのが大変だったんだ。それと同じ時期に、感じないように努めていた感情が戻って来て、これという具体的な原因もないのに、何もかも自分が悪い、という罪悪感や、胸が締め付けられるような悲しみを感じるようになったんだ。それから、いわゆる二次性徴を迎えたんだ。精通があって、マスターベーションを始めたんだ。体毛が生え始めて、声変わりが始まったんだけど、僕はそれがものすごく嫌だったんだ。クラスメートは性的なことを話題にしていたけど、僕はあまりにも恥ずかしくて、性に関する話題には一切入れなかった。それに僕は、男らしい体格に変化するということがなくて、痩せた体に頭だけが大きくなって、鏡に映った自分が宇宙人みたいに見えたんだ。子供の頃から、自分の容姿は猿みたいで好きじゃなかったんだけど、ニキビが顔と背中全体にできて、輪をかけて醜くなって行く自分の姿にショックを受けたよ。子供のままの痩せた体つきは、最後まで変わらなかったんだ。それに、性的な変化というものが、僕には苦痛と言うか、気持ち悪い、受け入れ難い、嫌悪の対象だったんだ。自分が汚れているように感じたんだ。こんな話は聞きたくないかな?

 うーん・・・俺は構わないよ。

あなたの体験について聞いたりしないから心配しないでね。ごめんね。仲のいい友達が一人できたんだけど、その彼は一年生の終わりに引っ越してしまったんだ。それ以来、親友と呼べるような人は誰もいなくなってね。それから、中学二年生になって、僕はクラスメートの男の子を好きになったんだ。

 男の子?

そう、僕は自分が同性愛者だってことに気づいたんだ。僕の場合、小さい頃は、性的な興味というのはまったく自覚しなかったんだ。でもこのときには、自分が男性に性的に惹かれることが、ハッキリ分かったんだ。もう一生結婚できないし、子供も持てないことを悟って、すごくショックだったよ。まあ、心底子供が欲しいと思ったことはなかったのが救いだったけれどね。多感な時期だし、男性社会に反感を持っていたから、自分が男性を好きだということも、受け入れ難かったよ。そんなこんながすべて重なったので、自分が生きているのか、死んでいるのか、よく分からない気分になった。現実感のようなものが失われたんだ。世界というものが、だんだん冷え固まって、遂には動かなくなるように感じたよ。世の中から生気とかエネルギーが失われるように感じたんだ。最後はすべてが暗闇になって、世界が終わる・・・どこからともなく、「この世には意味なんかない」という考えが浮かんで、その結論に、僕は妙に納得したんだ。中学二年生の夏休みには、本当に疲れ果ててしまって、自分の部屋でずっと寝ているような状態になったんだ。この頃から自殺願望をはっきり自覚していたけど、奇妙なことに、本当に自殺を試みたことは一度もないんだ。友達がいないから、家でテレビを観たり、音楽を聴いたり、だらしない生活を送っていたんだけど、中学三年生になって、いよいよ進路ということになった。ちょっと漫画を描いていたから、漫画家になろうかな、なんて夢みたいなことを考えていてね。勉強はまるでしなかったからね。おかしな話だけど、この頃は、自分は人とは違う、何かの天才だと思い込んでいたんだ。一人ぼっちだったから、そう思い込むことで精神のバランスを保とうとしていたんだね。一方で、僕の自尊心はとても低かったんだ。学校では、「自分なんて、いてもいなくてもどうでもいい存在だ」とよく思ったものだよ。高校に進学する気はなかったんだけど、結局は中卒で就職する勇気もなくて、近所の私立高校に進学することになったんだ。面接だけで、学科試験がなかったからね。あなたの中学校時代とは、だいぶ違うでしょう?

 うん、君の話は想像もつかないよ。俺は、中学時代はすごく楽しかったからさ。女の子と初めてデートもしたしさぁ。

あなたがたの社会は、性にとてもおおらかだよね。それはとてもいいところだ。街中でキスするカップルを見るのが、僕はとても好きだったよ。ロマンチックだね。僕は生涯、誰ともキスしたことがなかったし、童貞のままだったんだ。

 えーっ、ほんとに?

うん、もちろんほんとだよ、ラファエル。あなたに嘘をついても仕方がないでしょう。それで、何となく流れで入った高校だったからね、学校に通うのがますます苦痛になったんだ。部活動にも参加しなかったし、家で一人で漫画やイラストを描いたり、ギターを弾いて音楽を作ったりしていたんだ。それでとうとう、高校一年の終わりの3月に、決定的な出来事が起こったんだ。ある夜、ズドーンと大きな音を立てたみたいに、頭の中が崩壊して、僕は気が狂ってしまったんだ。要するに、精神的なストレスが重なって、心が壊れてしまったんだね。それからは、何もかもが恐怖になったんだ。生きていること自体が、すごく怖いんだ。あなたには分からない感覚だけどね。悪魔的なイメージと奇妙な感覚が常に去来して、それは寝ているときも止まることがなかった。恐怖から逃れる場所がないという感じだったんだ。同じ思考がループするのには本当に困ったね。頭の中が混乱し切ってしまって、自分の意志では操縦不可能な状態に陥ったんだ。外部からの刺激が苦痛で、テレビを観ることができなくなった。テレビの光や音に、脳の神経を直接触られているようなヒリヒリする感覚がしたからなんだ。何もかも分からなくなって、体の動かし方や、息のし方さえも忘れてしまったような感覚に陥ったこともある。すぐにも正気を失いそうな感覚がずっと続くんだ。そのときには本当に死を覚悟したね。むしろ死んだ方がずっとマシだったんだけど、不思議なことに、死にたくないっていう強烈な意志が体から沸き上がって来たんだ。体に命を繋ぎ止められたような、変な感じだった。無我夢中だったね。最初の数ヶ月はそんな風だったんだけど、ちゃんと学校には通っていたんだ。何かをしていれば、少しは気が紛れたんだ。体が極端に衰弱してしまって、通学バスの中で立っていることができなくなったので、駅から学校まで歩くことにしたんだ。歩くと少し気分が楽になるのを発見して、一日に何時間も歩いたよ。よく自転車にも乗ったね。夏でも手足がとても冷たくて、眠り辛くてね。夜になると、足が冷え過ぎてアキレス腱がギュッと収縮するんだ。それはすごく熱いお風呂に入ると、少し楽になった。それから、一日中とにかく頭が痛くてね。横になると、頭の重さが尋常じゃないんだ。大げさじゃなくて、地球全体の重みが、頭にのしかかって来るような感覚がするんだ。変な話で申し訳ないんだけど、夜はマスターベーションすることで、気が紛れて、何とか眠りに就けたんだ。そのときには、それが救いの神みたいなものだったよ。あんまり辛くて泣きたかったけど、生き地獄のような状態では、涙って出ないものなんだ。僕は無知な子供だったから、大人になるってこういうことなのかな? みんなこういう状態を経験するんだろうか? なんて本気で思っていたよ。もしそうじゃないのなら、自分は何かの罰で、こういう経験をしているのかな、ともね。きっと、両親に恨みの感情を抱いたのが悪かったのかも知れない・・・16歳にしては子供っぽい発想だったのかも知れないけど、自分の身に起きていることは、まったく理解できなかった。藁をも掴む気持ちで、当時母が通っていた新興宗教に救いを求めたほどだったんだ。

 新興宗教に入信したの?

うん、そうなんだ。厳密に言えば、そこは教祖様とか信仰の対象というのはなくて、「幸せになるための生き方」を教える学校みたいなところだったんだけどね。過激な思想じゃなくて、かなり伝統的な信念体系の一つだったんだ。

 その、信念体系って何?

何らかの理想を掲げて、その理想を達成するためには、これをすればよい、これをしてはいけない、という価値判断の集合のことだよ。一つの思想として内部で一応完結しているので、体系と言うんだ。例えば、ローマ・カトリックも信念体系の一つだよ。地球には、ありとあらゆる信念体系が存在するんだ。人生の楽しみ方、恋愛術、商売を成功させる秘訣といった身近なものから、精神修養や光明に至る道といった霊的なものまでね。多くの場合、信念体系の対立が戦争の原因になるんだ。

 ふーん、そういう意味。

そこで学んだことの中には、「他人の幸せをあたかも自分のことのように感じ、心底喜べるのが、本当の幸せである」とか、今でも心に残っている素晴らしい教えもあったんだ。それはそうと、最初の日から八ヶ月くらい経って、四六時中恐怖に襲われるような状態からは、自然に抜け出したんだ。具体的に、何かをしたわけではないんだけどね。ひたすら耐えること以外に、できることなんて何もなかったから。この時期から頭の中に靄がかったようになって、うまくものごとを考えることができなくなったんだけど、それは人生の最後までそのまんまだったんだ。たぶん、右脳が多少損傷したんじゃないかと思ってる。それまでは左利きだったんだけど、思いつきで右利きに直したのね。それには一日しかかからなかったんだ。右手を使う方が楽に感じられたからね。昔の自分に戻りたいと願っていたんだけど、とうとう戻らなかった。ある意味、壊れたまんまになったんだ。いつ発狂して死んでもおかしくない、死を間近に感じるという数ヶ月を体験したので、まだ生きているのが不思議なくらいだった。だから、17歳になって、これから先は、おまけの人生だと感じたんだ。恐怖のどん底にいるとき、役に立つものが一つもなかったので、欲しいものというのも、ほとんどまったくなくなったと言うか、絶望を体験して、あまり欲を持てなくなってね。ある程度、リスクを顧みずに実験的な人生を歩み出すことになったのは、それが理由なんだ。

 それからどうしたの?

うん、そうは言うものの、普通の高校生でもあったんだ。変わり者扱いだったけれどね。実際この頃は、ほんとに変わり者だったんだ。普通じゃない経験をしていたからね。自分の体験していることを人に話すことはなかったんだ。精神病院に入れられるんじゃないかと思うと怖くてね。事実、僕の症状は重度の精神病と似通っていた。想像と現実の区別すらほとんど付かない状態に陥っていたからね。でも、一旦入院したらそのまま退院できずに死ぬだろうと分かっていたので、病院には一度も行かなかった。それは賢明な選択だったと思うんだけどね。そんな風だから、学校ではますます孤立してしまった。でも、三年生の頃は、一緒に音楽を作る友達ができたり、漫画を雑誌に投稿したりもしたよ。ちゃっかり好きな同級生もいたんだけど、このときは具体的にどうこうしようなんて余裕はまったくなかったね。三年生になると、卒業後の進路という話になるでしょう。漫画家かミュージシャンになりたいという思いもまだあったんだけど、何をどうしたらいいのかまったく混乱してしまったので、通い始めた宗教の先生に質問を出したんだ。そうしたら、文系の大学に進学するようにアドバイスされてね。そのときは自分の選択を委ねて、アドバイスに従うことにしたんだ。

 ご託宣や占いに従うようなものだね。他人が決めたことに従うってのは、俺にはまったく分からない感覚だけど、君はそれくらい必死だったっていうことだね。

その通りなんだ。それまでは、進学校でもなかったし、大学に進学するという発想がなくてね。大げさじゃなくて、大学は何をする所なのか知らなかったほどだよ。それまで勉強はまったくしていなかったから、どうすれば大学に入れるのかよく知らなかったものの、自分なりに考えて、準備を始めたんだ。過去を捨てるために漫画も音楽もやめて、自分の持ち物をあらかた捨てたんだ。本とかCDとか服とか写真とか、身の回りの品全部をね。ほとんどクレイジーだったからね。でも、ともかく勉強に集中することで、気が紛れて、生きる恐怖から逃れることができたから、どんどんやったんだ。そしたら無事に、現役である大学の英文科に進むことができた。なぜ英文科にしたのかと言うと、興味のある科目が英語しかなかったからなんだ。のちに、その英語が大いに役に立つことになるんだけどね。

 実は俺も、英語が得意なんだ。

そうだね、ラファエル。あなたはフランス人としては無口な方だけど、文章がとても上手いね。言語能力が高い証拠だ。僕も小さい頃は、どちらかと言えば、頭の切れるタイプだったと思うんだ。あなたのようにね。でも、あの恐怖体験以来、まったく愚鈍になってしまって、考えたり感じたりすることがしにくくなったんだ。自分の自覚としては、前と比べて許容量が20%くらいにまで減ったような感じがしたんだ。記憶力も失ったから、集中して勉強してもそんなに成果は上がらなかったのね。でも大学に入ってみたら、すべてが新鮮だったんだ。あんまり教養ある家庭環境じゃなかったから、アカデミックな世界というものに初めて触れてね。学問って何だか楽しい、という気分になったんだ。大学生になっても、同級生とは話が合わないから、家と学校を行き帰りするだけの単調な生活ではあった。得体の知れない恐怖から自由になったわけではなかったけれど、生活に支障が出ないレベルまで回復することができたんだ。あんまり長い時間考えごとをしていると調子がおかしくなって来るので、この頃から長時間眠る習慣が必要になったんだ。この年に初めて学校でフランス語を習ったのね。授業で習ううちに、自分でも何だろうと思うほど、フランス語に強く惹かれてね。ずっと後に、フランスに留学することになろうとは、このときにはまったく想像していなかったけれどね。大学で教えられる新しい知識を吸収するうちに、アカデミックな世界をもっと知りたい、大学でどんなことが研究されているのか見てみたい、という好奇心に駆られるようになったんだ。それで、英文科の勉強もしつつ、別の大学を受験して、今度は社会科学系の学科に入り直したんだ。それまでの自分にとってはまったく未知の分野だった、政治・経済・社会を学ぶことにしたんだ。よく考えて決めたわけじゃなくて、たまたまその学科が入りやすかっただけだけどね。フランスの大学とは違って、日本の大学では幅広く学ぶんだ。必ずしも職業と直結していない学科を選ぶ自由があるんだ。

 それは何となく聞いたことある。

その大学は、日本ではかなりレベルの高いところだったんだ。とても優秀な学生がたくさんいたし、有名な教授もたくさんいて、エリート社会を垣間見ているような気がしたものだ。これも自分には未知の世界だったんだ。でも社会科学というのは、あまりにも男性的で、人を出し抜いてまで成功しようとする原動力が根底にあるのを感じたので、僕は一年で嫌気が差してしまった。だから勉強をほっぽり出して、宗教に通っていたんだ。でも、自分の選択を宗教に委ねても、結局その責任は自分で取る必要があるので、それは望ましい状態ではないと気づいたんだ。それでその宗教は、自分からやめたんだ。同じ時期に、精神世界と呼ばれる分野の本に出会ったんだ。あなたがたの国では、たぶんニューエイジとかスピリチュアリティと呼ばれている分野だね。それまでは、哲学とか心理学とか、僕には近寄りがたい分野で、まったく読んだことがなかったのね。でも、始めに出会ったその本は、「人間の魂は体験を通して成長する」という哲学について、科学的に書いてある本だったんだ。瞬く間に引き込まれて、「僕が本当に知りたかったのはこれだ!」と、目の覚めるような思いがしたんだ。その日の夜は、文字通り体が電気が走ったようにビリビリ痺れたんだ。それくらい何か特別な、強烈な出会いだったんだ。それで、感覚的に、自分の進むべき方向性はこっちだ、ってことになったんだ。あなたにも、そんな読書体験があったかな?

 うーん、そこまでかどうか分らないけど、ランボーの詩集を初めて読んだときには衝撃を受けたよ。

ランボーはとても若いときにあの詩を書いたからね。感性の優れたあなたが、彼の感覚的で剥き出しな言葉に引き込まれたのは無理もない。僕は若いときに衝撃的な体験をしたからね、本当に絶望したと言うか、この世界は一体何のためにあるんだろう、という疑問を持ったんだ。それは言葉や論理の上ではなく、深い実感だったために、僕は自分が生きている意味について、洞察を与えてくれそうな情報に飢えていたと思うんだ。その本に書かれていたのは、自分の魂が本当に望んでいることを実行に移して、物質的に体験することによって、意識が拡大し、最終的には、宇宙意識と一つになるという、今思えば単純な理論だったんだけどね。僕は妙に納得したんだ。宇宙意識という言葉は、あなたは聞いたことがないと思うんだけど、宇宙に偏在する意識というような意味だよ。すべての存在には意識があるっていう、そういう哲学なんだ。それでね、その本の中には、自分の魂の望みというのは、論理的な思考や推論を通してではなく、直感を通してしか知り得ない、と書いてあったんだ。なるほど、と思ってね。いろいろ試してみたんだ。まず、絵を描くのは好きだったから、何も考えずに、直感的に絵を描くことができるかどうかやってみたんだ。すると、とても色彩的で、思いも寄らないような構図の絵が、完成形として瞬時に頭に思い浮かんでね。抽象画みたいなものなんだけど、色彩だけじゃなくて形もちゃんとあるんだ。自分でも面白い、と思ったんだよね。そういうのを何枚か描いてみたんだ。それから、自分の魂が本当にやりたいことが、直感で思い浮かぶかどうかやってみた。すると、何となく「写真」と浮かんだんだ。まあ、当時の興味が芸術関連のことに集中していたから、今にしてみれば、実はそこから類推しただけだとは思うんだけどね。何も考えないでやってみようと思って、とにかくカメラを買いに行ったんだ。

 写真を撮り始めたの?

うん、そうなんだ。その頃は長時間歩くことが習慣になっていたからね、近所を散歩しながら、直感的に写真を撮るということをやっていたよ。何年か後に、この頃に撮った写真をまとめて、自費出版することになったんだ。当時関心を持っていた、環境破壊をテーマに盛り込んだ本だよ。一度だけ写真展を開いたこともあるんだ。まあ、まったく反響がなくて、失敗だったんだけどね。それから、精神世界の本をたくさん読んでね、本を読むのは好きじゃなかったんだけど、ある意味切実な関心事だったから、どんどん読んで、2〜3年の間に100冊以上は読んだんじゃないかな。大学の講義には興味を失っていたから、あんまり学校には行かずに、家で本を読んで過ごしていたんだ。歩くと少し気分がよくなるので、散歩が日課になっていたから、ついでにカメラを持ち歩いて、気の向くままに写真を撮っていたんだ。そんな中、僕の人生でもう一つ重大な出来事があったんだ。

 分かった。好きな人ができたんだろう?

・・・どうして分かるの? 実はその通りなんだ。2000年9月のことだったと思う。大学の授業で、ビデオ制作の実習があってね。グループで短い映像を作ることになったんだけど、たまたま同じグループになった人だったんだ。スポーツマンで、大学リーグで活躍する選手だったよ。色黒で、背が高くて、ハンサムで、優しいから、女の子に人気のある人だった。でも、自信家じゃなくて、遊ぶようなタイプでもないから、変ないやらしさが全然なかったんだ。誠実な人柄で、部活の仲間からも信頼されている人だった。彼と教室で初めて会って話したときにね、彼と目が合ったんだ。その瞬間、「僕はこの人のことをずっと知っていた。そしてこれからもずっと知っている」と直感したんだ。まるでおとぎの国で、時間が止まったみたいだった。瞬間的に、そうだと「知った」というような感じだった。そしてその次に、「この人となら結婚してもいい」って思ったんだ。おかしいでしょう?

 え、別におかしくないよ。

ううん、第一、日本では男性同士で結婚はできないんだから、そこからしておかしいわけだ。それに、僕は一生誰とも付き合わない、と固く心に決めていたんだ。性的な関係という意味でね。まあ、あんまりモテなくて、結局一度もそんなチャンスがなかったことも事実だ。同性愛者という制約もあってね。僕は頭がおかしくて、いつ発狂するか分らないという不安があったから、とてもじゃないけど誰かと関係を持つ自信がなかったんだ。もし恋人でもいたら、その人に迷惑をかけて、多大な苦痛を与えることになるかも知れないでしょう? そんな風になるのが本当にイヤだったからね。でもその彼は、僕の目をこう、すっと、まっすぐに見てね。何かが起きた感じだった。魔法にかかったみたいにね。後にも先にも、そんな不思議な気持ちになったのはこのとき限りなんだ。あなたと目が合ったときさえも、そんな風には感じなかった。その日以来、ごく自然に彼を愛するようになったんだ。それまでは、僕は愛ということは知らなかったんだ。興味があるとか、カッコイイみたいな感情はあったんだけど、愛というのは知らなかった。そういうものがあるということをね。自分の胸の辺りから、何か暖かなものが、彼の方にすーっと流れて行くのを感じたんだ。自分では何の努力もしないのに、その感じがずっと継続するので、これは何だろう? ということになった。

 うん、その感じなら俺にもよく分かるよ。

そうだね、ラファエル。あなたが奥さんや子供たちに抱く感情と同じものだ。僕の場合、始めのうちは、その感情は性愛とは結び付かなかったんだ。彼のことは、別の場所で別の人生を生きて来た、もう一人の自分みたいに感じたんだ。他人なのに、ぜんぜん距離というものを感じなかったのね。そう、1ミリたりともね。彼と僕はぜんぜん違うタイプの人間だったので、その親近感は、超常現象と言ってもいいくらいのものだったんだ。実際には、彼が僕に特別なことをしてくれたことはなくて、授業で会うだけの、友達とさえ言えないような間柄だったからね。僕はクラスメートに、一方的に片思いしたわけだ。彼と目が合ったときに、決して忘れることのできない至極の瞬間を体験したので、もしかしたら彼も、僕に特別な感情を抱いたのではないかと、だんだん勘違いするようになって行ったんだ。彼は「運命の人」なんじゃないかってね。そう思い込みたかったんだ。自分でもビックリするくらい、強烈な感情だったからね。彼はいわゆる好みのタイプではなかったので、余計に不思議だったんだ。文字通りの意味で、彼のためなら死ねると思った。その頃の僕は、彼を助けるためなら火の中にだって平気で飛び込んだだろうし、もし彼に心臓移植が必要になったとしたら、自分の命と引き換えに彼に心臓を差し出しただろうと思う。嘘じゃないんだ。彼からの愛は得られなくてもね、自分はそうしたいって思ったんだ。無条件の愛って言葉をこの頃本で知ったんだけど、まさにそれに近い感じだった。実際、彼からは何の見返りも得られなかったからね。でも、そんな大きな愛を自分が持っていたことに、僕自身がとても救われたんだ。まあ、大きいのか小さいのか分からないけど。その感情自体が自分への見返りだったと言える。彼のためなら、すべてを失ったって何とも思わない、そういう気持ちになれたんだ。だから彼と会って以来、僕は愛は存在するのかしないのか、そんな疑問を持つことは二度となかったんだ。愛とは何かと聞かれると、今でも答えられないけれど、その美しい何かが存在することだけは、僕には明白になったんだ。

 いい話だね。

うん、ほんとに滅多にないような珍しい体験だったんだ。出会って間もない頃は、彼も僕に興味があるんじゃないかって、デートに誘ってくれるのを期待したりしてね。人を好きになると、多かれ少なかれ、そんな夢を見ちゃうものだよね。でも、やっぱり幻想でしかなかったんだ。彼は実際、普通の男性で、卒業後しばらくして結婚したことを知ることになったんだ。でも僕は甘い夢を見ていたかったんだよね。彼にはだんだん性的にも惹かれるようになっていたんだ。男らしくて、優しくて、将来性があって、一般的な女性から見ても、結婚相手として、理想の男性の条件に近い感じだったからね。僕の場合は、女性が男性を好きになる感覚に近かったんだ。女性の格好をしたいと思ったことはなかったんだけどね。僕は性的なことをすごく恐れていたんだ。ポルノビデオみたいなものをインターネットで初めて見たのは、24歳くらいのときだったんだ。それまでは具体的なことは何も知らなくてね。僕はセックスが異常に怖くて、そういう映像を見ても興奮したり楽しめたりするどころか、気分が悪くなったんだ。でも馴れる必要があると思って見たんだ。この話題はとても重要だから、また後でじっくり話そう。性生活まで想像すると、体の大きな彼のことは怖かったんだけど、心から信頼していれば、きっと大丈夫かも知れない、と思ったんだ。彼には体臭ってなかったんだけど、独特のいい匂いがしてね。たぶん微妙なものなんだろうけど、その匂いがものすごく安心できる要素だったんだ。変な話でごめんね。あなたの匂いも僕は好きだったよ。そうこうするうちに、一年近く経って、卒業が近づいてしまったから、意を決して、彼に思いを告白することにしたんだ。2001年7月のことだったね。彼が僕に気があるなんて、およそありそうもないと頭では分かっていたんだけど、本当に愛していたから、何も言わないままに大学を卒業したら、必ず後悔すると思ったんだ。でも、面と向かって言う勇気なんてないから、メールを送ったんだ。

 ずいぶんと現代的な方法だね。そんなんで君の思いが伝わったのかな?

うん、結論から先に言うとね、彼から返事をもらうことはなかったんだ。日本の大学は四年目の3月に卒業になるんだけど、その時点で卒業に必要な単位を取ってしまっていたからね、夏休みからは、もう学校に行かなくてもよかったんだ。だから彼ともばったり出くわすこともないわけで、そういうタイミングをあえて選んだんだ。ずいぶんな弱虫でしょう? でも僕は自分にぜんぜん自信がなかったからね。ずっと隠れていたかったけど、でも後悔するのはもっとイヤだった。もちろん、面と向かって断られるのが怖かったということもある。それから秋になって、彼のチームの試合を観に行ったんだ。彼が出場するかどうかは知らなかったんだけど、とにかく行ったんだ。遠くの観覧席から眺めていたけど、彼の姿はすぐに判別できた。それが彼を見た最後の日だよ。あなたに出会うまでの約10年間、僕は彼に片思いしていたんだ。

 ねえ、さっきからおかしなことを言うね。もしかして、俺は君に会ったことがあるのかい?

うん、そうだよラファエル。あなたが僕のことを覚えているかどうかは分からないけどね。さて、卒業したら、彼のことは何も分からなくなったんだ。結局メールの返事ももらえず仕舞いで、彼がどうしているのかまったく分からなくってね。その気になれば、彼の友達に聞いてみることもできたはずだけど、ストーカーみたいなことは一切したくなかったんだ。そんなことをすれば、彼を苦しめることになるのは明白だったからね。風の便りで彼が結婚したと聞いたんだけど、それでも愛していたんだ。もちろん諦めてはいたけれど、忘れられなくてね。彼はいわば理想の人だったから、他の人を好きになることはできなかった。出会ったときの喜びが大きかった分、なんだか悲しみも大きく成長してしまった。しょせん彼は僕とは別の世界に住んでいるという思いが、悲しみに拍車をかけるんだ。彼とは二度と会えないとは、どうしても思いたくなくてね。どこかでまだ夢を見ていたかったんだ。彼は僕の希望だったと言えば聞こえがいいけど、彼のことを常に思うことで、いろんな不安を忘れようとしていたと言う方が正確なんだ。彼に対する気持ちは、10年間、誰にも話すことはできなかった。そう、初めて彼のことを人に話せたのは、あなたと出会ってすぐ後のことだったよ。

 10年間ってことは、俺が君に会ったのは、2011年ってこと?

うん、実はその通りなんだ。2011年2月のことだったと思うよ。それで日本の大学は、フランスと違って四年制なんだけどね、学生は、四年生のときに就職活動をして、卒業と同時に働き始めるのが当たり前なんだ。でも僕は、大学院で作曲を勉強したいと思って、受験の準備をしていたんだ。大学院から専攻を変えるのは、日本では許される場合があるんだ。でもうまく行かなくてね。だから卒業して半年してから、電子部品を作っている会社に就職したんだ。配属は経理部で、毎日電卓を叩いていたよ。求職しながらフラフラしていた半年間は、すごく不安だったんだ。もう学生ではない、でも仕事もしていない、友達と呼べる友達も誰もいない、という状況で、社会の中に自分が存在していないかのような気分になったんだ。まったくどこにも所属していないという感覚がね、僕にはすごく不安だったんだ。だから、自分が社会に存在しているという証拠が欲しくて、自動車学校に通ったんだ。運転免許証が身分証明になるからね。僕は結局誰でもない、誰からも必要とされていなくて、今日いなくなっても誰も困らない、というのは、僕の場合ある程度事実でもあったので、だんだんそんな感覚にも馴れて行ったものだ。今思えば、ずいぶんひどい信念だと思うけどね、そういう人生だったんだ。自分の一番深いところにある信念というか、実感が、人生を動かして行くものなんだよ、ラファエル。僕の話から、それに気が付いて欲しいんだ。

 だから君は、子供の頃に見た夢の話をしたんだね。すべてが間違っていたという実感と、その後の君の不安や確信のなさには、何らかの関連性があるみたいだ。

あなたは本当に賢いね。臨床心理学では、子供の頃に最初に見た夢として強く残っている印象の中に、その人の人生のテーマがすべて含まれている、という考え方もあるんだ。

 ふーん。それは興味深いね。

会社での仕事は、自分なりに一生懸命やったつもりなんだ。アルバイトはしたことがなかったから、働いてお金をもらう初めての仕事でね。高校生以来、いつも頭がぼーっとしていたから、目の前の仕事に集中することが難しかったんだけど、何とかかんとかやりくりしていたんだ。自分にとっては大変な仕事だったんだけど、会社のお給料で本を自費出版したし、ビジネスの仕組みも垣間見られて、得ることもいっぱいあったんだ。人間関係が何だかよそよそしい職場ではあったけれどね。でもまだ若かったからね、この先ずっとその会社で働きたいかと聞かれると、それはぜんぜん違うという感じだったんだ。生活が安泰して、それなりに生きて行けるというだけでは、僕は不満だったんだ。パートナーでもいれば考えも違ったはずなんだけど、僕は一人だったからね。何のために生きているんだろうとか、この先何をするべきなんだろうという疑問はますます切実になっていて、自分の生活よりも、世界のために何か役に立つことをしたいと願っていたんだ。理想主義的にね。2004年に、初めていわゆる精神世界のセミナーに参加してみたんだ。日本にはヨーロッパよりも、ユニークな考え方で面白いことをやっている人が多くてね。ある意味、仕事の自由度が高いんだ。社会の規範を離れて、本当に自分のやりたいことをやろうと挑戦している人たちに刺激を受けて、自分もやってみたいという風に感じるようになった。三年間働いた会社を辞めて、本当にやりたいことをやろうと決心したんだ。すでに一度死んだようなものだったから、食べられなくなって野垂れ死にしたとしても、それはそれで構わなかったんだ。もうすぐ死ぬとして、どうしてもやっておきたいことがあるなら、それは何か、と自問して、すぐに思い浮かんだ答えが、アメリカのスピリチュアルな学校に行くことだったんだ。このときから、僕はいわゆる「スピリチュアル路線」に転向したわけだ。

 ちょっと待って、まったく分からないから。スピリチュアルな学校って、どんなことを学ぶところなの?

そこの学校はね、アメリカではかなり有名なところだったんだ。哲学も学ぶけれど、一番重要なカリキュラムは、「思考が現実を作る」のを体験することなんだ。あなたは、スピリチュアルと聞くと、白装束の怪しいカルト教団とか、インドの瞑想法とドラッグカルチャーを組み合わせたニューエイジ・ムーブメントを連想するかも知れないんだけど、この学校は、そういうところではなくて、簡単に言えば、一つの思考に意識を集中する訓練をするんだ。それに呼吸法を組み合わせるんだけど、そうすることによって、脳にどんな変化が起こるのか、そして思考が本当に物質化することを、科学的な見地から証明しようとしているんだ。実際に、かなり有名な科学雑誌に、いくつか論文が掲載されているんだ。量子力学の理論から、「すべての個人的な現実は、自分自身の思考が作り出している」と教えているんだ。

 それは俺にはちょっと難しいな。

要するに、自分が今生きている現実、自分の人生に責任を持ちなさい、という哲学なんだ。それはとてもキツイことではあるけれども、一方では、もし自分がすべての現実を作っているのなら、それはいつでも自分で変えられる、という究極の希望でもあるんだ。分かるかな?

 ああ、よく分かるよ。

そして具体的でシンプルな方法を教えられたんだ。基本的には、自分が現実にしたい思考を象徴するシンプルな絵を描いて、それにフォーカスするんだ。例えば、家が欲しかったらそれをシンプルな絵に描くんだ。そして目を閉じて、自分で描いたその絵を思い浮かべる。僕たちは概して、一つの絵に意識を集中することが難しいんだ。たとえ数十秒の間でもね。でもこの学校では、最も基本的な方法として、その訓練をするんだ。

 ふーん。そうするとどうなるの?

うん、もしそれを一日に一時間ずつ続けられたら、どんなことでも現実化すると教えられたよ。

 ほんとに? あんまり単純過ぎじゃない? ただ集中するだけでいいわけなの?

僕はそういう風に教えられたよ。それも感情なしに集中するように教えられたんだ。もちろん、欲しい物がすぐに目の前に現れるわけじゃないんだけどね、人生の流れがそうやって方向づけられるというわけだ。僕は、それならやってみようと単純に思ったんだ。でも実際やってみると、そこまで単純にはなれない自分に気づくわけだ。うまくできているだろうか、ほんとにそんなに単純な話なんだろうか、もっと考えるべきことが他にあるんじゃないだろうか、ものごとを感じることなしに生きたら、とても大切な何かを見逃してしまうんじゃないだろうか、とかね。次々に疑問が浮かんで、フォーカスすることができなかったんだ。だいたい二週間のプログラムの間、学校に寝泊まりしていたんだ。寝袋持参でね。自然の中にキャンパスがあるので、キャンプしているような生活が新鮮でもあった。このイベントは、その後の人生の枠組みを与えてくれた大切な経験だったんだ。何より、魂から来る本物の喜びを感じたのね。それから、もう一つスピリチュアルなセミナーに参加した後、たくさんの課題を得て日本に帰ったんだ。約一ヶ月の旅だったよ。

 たったの一ヶ月? 会社を辞める必要はなかったんじゃない?

あなたの国とは違って、日本では通常、一ヶ月もの休暇を取ることは許されないんだ、ラファエル。残念なことだけどね。日本に帰ってすぐに、縁あって、とあるNGOの経理係として働き始めたんだ。雑用も兼ねてね。そこは普通の会社と違ってとても自由な職場で、勤務時間も自分で決めるくらいだったんだ。そこで刺激的な若い人たちといっぱい会ったんだ。海外支援をしている、ある種の理想に燃える人たちと一緒に仕事をする機会に恵まれたんだ。半ば共同生活みたいな感じだったから、人間関係が緊密でね。友達っていなかったから、いろんなことを話し合って、グループのメンバーとして受け入れてもらえたことは、本当に嬉しいことだった。会社時代とは両極端の、別世界の体験だったね。とても楽しかったんだけど、そのNGOは一年弱で辞めることになった。僕は経理係じゃなくて、自分にしかできない仕事をしたかったんだ。若くて無謀だったから、自分にしかできない何かがきっとあるはずだ、と信じていたのね。理屈じゃなくて、直感に従うことは引き続き試みていたから、新しいことを始める必要があると感じて、辞めたんだ。別に死んでもいいと思っていたから、僕は思い立ったらすぐに実行するタイプだったんだ。ちょっと自暴自棄だったのかも知れない。ここはあなたとはだいぶ違うところだね。直感とは何か、自分が本当に望んでいるものは何か、というのは、僕の終生のテーマだったと言える。僕は失敗を重ねながら、直感に従うということ、直感を信頼するということ、その結果がどうなるかを経験を通して学んだんだ。まあ、後になってみれば、失敗というものは何もなかったんだけれどね。何がどうと言うよりも、面白いことにチャレンジしたかっただけなのかも知れない。恐怖も大きかったけれど、自分を繋ぎ止める錨というか、精神的な歯止めになるようなものが何もなかったので、行動面では自由でいられたんだ。若さ故に、自分にとって最も難しいことにチャレンジしようとしたんだ。

 次はどんな仕事をしたの?

僕はスピリチュアル業界に進出したんだ。あなたにはイメージしにくいと思うんだけど、ヒーリングやカウンセリングのようなことをしたかったんだ。何年間かの勉強の積み重ねで、ある程度知識は身に付いていたのね。日本では、臨床心理学の修士号のような正規の資格を持たないで、勝手にカウンセリングをやっている人がけっこういるんだ。瞑想、占い、透視、チャネリング、そういう神秘的な要素を含めてね。かなり怪しげな霊感商法とか、スピリチュアル・ビジネスの市場がけっこう大きいんだ。僕は普通ではない困難な体験をくぐり抜けていたから、同じような困難に直面している人を見つけて、助けになれたらいい、という希望を持ったんだ。ホームページを開設して、精神世界の分野で自分が学んだことをすべて書き、希望があればカウンセリングみたいなことをする、というのを三年ほど続けたんだ。自分自身も学びながらね。でも、自分と同じような境遇の人は一人も見つからなかったばかりか、この業界の仕組みにとことん幻滅する結果になってしまった。例えば、前世をリーディングする人がいるとして、その結果を学術的に検証しようとしている人はほとんどいなかったんだ。ヒーリングに関しても、結果が出なければ、「病気が治ることを本心では望んでいない」と、相手のせいにして済ませてしまう。精神医学で本当にそういうケースがあるとしてもね。神秘体験をちらつかせて、実のところ、始めから実行不可能な瞑想法を教えている人たちが多いことに、だんだん気づいたんだ。第一、神秘体験というものは証明が不可能だし、ある人がほんとに覚醒していたとしても、その人が教える瞑想法が有効だとは限らないんだ。大部分の瞑想は、一時的にでも思考を止めるということを前提にしているんだけど、悟りの状態にいない限り、人間は思考を止めるということはできないんだ、ラファエル。悟りの状態にいる人の中には、それが一般の人には実行不可能だということに気づかないで、何かを教えているケースもあるんだ。

 何のことだかさっぱり分からないよ。

あなたに瞑想の話をするつもりはないんだ。あなたにはもっとシンプルなことを知って欲しいんだ。それについては、あとでゆっくり話そう。そんなわけで、神秘的なデタラメを並べてお客さんを集めるようなことは、僕はしたくなかったんだ。悩んだり困ったりしている人がいる限り、規制の緩い日本では商売が成り立つんだけど、僕は理想主義者だったから、世の中こんなものと割り切ることはできなかった。それでこの仕事も手放したんだ。一方で、勉強は続けていたんだ。と言うのも、自分は何のために生きているのか、という疑問はまったく解決されないままだったし、得体の知れない恐怖からも解放されてはいなかったからだ。情けない話だけどね。実はこの恐怖は、性に結び付いていたんだ。僕はセックス恐怖症だったと言うこともできる。僕の理解するところでは、性に関する問題が、あらゆる問題の中で最も根深いものだ。だから地球ではタブー視されて、きちんと向き合われないままに放置される傾向があるんだ。でも僕の場合は、この問題に真っ正面から向き合うことになったんだ。なぜなら、僕はパートナーが欲しかったからなんだ。

 パートナー? 恋人が欲しかったっていうこと?

その通りなんだ。スピリチュアル業界にいたことで、自分にしかできないこととか、自分がするべきだと思った仕事は、その三年間ですべてやり切った感じだった。一応、自分としては全力でやったからね。でも、人からはあんまり評価されなくて、次の仕事のステップになるどころか、社会的にはまったく無駄になってしまったんだよね。人からの評価をそんなに期待していたわけじゃないんだけど、現実問題、何らかの社会的な反響がない限り、次のキャリアには繋がらないわけでしょう。それに、経済的な収入の面でも大いに困ったんだ。でも自分自身に妥協するわけには行かないから、何か新しいことを始める必要性に迫られたわけだ。やりたいことは全部やったから、ただ単に生き延びていたいという意志はなくて、生活のためならどんな仕事でもしようという気もないから、いっそ潔く死ぬ方がいいと考えたものだ。僕はまたしても、死ぬ前にまだやり残したことがあるとしたら、それは何か、と自問してみたんだ。そしたら、フランス、それもパリに行ってみたいと思ったんだ。具体的な理由もないのにね。それで旅行の計画を立てて、2009年5月に、母を連れて初めてパリの地に降り立ったんだ。父はすでに退職していたんだけど、ご先祖様の土地があったおかげで、実家に不動産収入があったので、そういうことができたんだ。仕事もしないでいると実家を追い出されちゃう人もいると思うんだけど、僕の両親は経済的にサポートしてくれたんだ。出来損ないの息子という感じでしょう。あなたはしっかりしているから、恥ずかしい限りだよ。

 俺はそんなにしっかりしてないよ。

いいや、あなたはよくやっているよ。僕はそれが誇らしいんだ。綿密に計画を立てた二週間の旅行から帰った後、数ヶ月自分でフランス語を勉強して、パリの大学に留学することになったんだ。それもこれも、理由もないのに、しばらくの間フランスに住んだ方がいいと直感で感じたからだったんだ。フランスに住むとしたら、大学に入学するのが一番簡単だということが分かったので、それで留学することにしたんだ。おかしいでしょう? でもそうだったんだ。必ずしも興味のない美術史考古学部を選んだのも、直感でそこがいいと感じたからだったんだ。

 美術史考古学部? 俺と同じ学部じゃないか。君は俺と同じ大学にいたのかい? だから会ったことがあるんだね? もしかして・・・君は、俺に手紙をくれたあの人だったのかい?

僕のことを覚えていてくれたんだね。意外だよ。

 バカなこと言うなよ、忘れるわけがないじゃないか。君は日本に帰ったんだと思ってた。

あなたが覚えていてくれただけで、僕にはとても光栄なことなんだ。どうもありがとう。僕は2012年6月に、住んでいたパリのアパートで、くも膜下出血で倒れて死んだんだ。僕はね、どこにでもいる平凡な人間だったんだけど、ちょっと普通じゃない経験をしたからね、何かユニークな方法で、世の中の役に立てないかと思っただけなんだ。でも結局は大したことはできないで、自分一人を助けることさえできなかった。精神的にも経済的にも自立できなかったんだからね。なぜなら、僕は一人でいるのがますます辛くなって行ったんだ。でも一つよかったことは、妥協せずにやりたいことをやったおかげで、年を経るごとに、すべて間違っている、とか、自分が悪い、という自責の念がだんだん軽減して、自分を好きになることができたんだ。フランスに来るまでずっと愛していた彼のおかげも大きかったね。見返りを求めずに、その人のために死ねるという気持ちが自分の本質だと実感したので、そんな自分を信頼できるようになったんだ。分かるかな? 人間にはそういう性質があることが分かったからだ。少なくとも、世界に一人はいるわけでしょう。悲しかったんだけど、美しいとも思ったんだ。でもね、パートナーが欲しいという望みが最後に残ったんだ。ほんのつかの間のことであってもね。もちろん性的な意味も含めてだよ。もしフランスの大学に行くことができたら、パートナーを見つけよう、先のことは分からないけれど、きっとその人と人生を楽しもう、と決心したんだ。フランス語は大して分からなかったんだけど、あなたの母校から入学許可をもらえてね。まるで魔法みたいだったよ。すべての条件が整って、パリに来ることができたんだ。

 それで・・・俺を見つけたと言いたいわけ?

あなたには敵わないね、ラファエル。まさにそういうことなんだ。教室で初めてあなたを見かけたとき、この学校では珍しいスポーツマンタイプだな、いい匂いがするな、と思ったんだけど、とても地味な印象だったんだ。だから、次にあなたと正面から向かい合ったときには、あなたがあまりに端整なので、倒れそうになったぐらいだ。あなたが僕に挨拶してくれて、握手を求めてくれるようになったのは、僕には不思議だったんだ。今思えば、それが単にフランスのマナーだと分かるんだけど、そのときの僕には、あなたはちょっと変わった子に映っていたんだ。どういう意味かといぶかしく思ってね。妙な感覚があって、僕は突然、16歳のときに見た夢を思い出したんだ。一番混乱していた時期のね。その夢の中では、僕は屋根裏部屋にいて、小さな男の子と一緒なんだ。その子は、僕が14歳のときにできた息子という設定なんだ。もちろん現実にはあり得ない話なんだけど、何だか生々しい現実感があって、その印象が心に焼き付いていたんだ。ちょうど同じ頃、白人の青年の後ろ姿に、羽が生えているイラストを描いて、自分の部屋の壁に貼っていたんだ。なで肩の天使だよ。なんでそんなイラストを描いたのかはもう思い出せないけど、その絵の印象はよく記憶していたんだ。実際、夢で見たのはあなたのことだったと、今は分かるんだけどね。あなたのことを、まるで自分の子供のように感じてしまって、困ったんだ。でもあなたのことは、父親が息子を見るような気持ちだけではなくて、大人の男性として好きになったんだ。一回り以上も年下のあなたに心惹かれるなんて、僕は混乱してよく泣いたものだ。それまでになかったくらい感情的になって、あなたのことを思うだけで涙が出たんだ。でもそれは甘美な涙だったんだ。長い間、どんなに泣きたくても泣けなかったんだからね。あなたに出会えたことへの感謝の涙だったんだ。長いこと片思いしていた彼のことでは、常に葛藤が絶えなかった。僕は彼のことについて、繰り返し繰り返し自問していたんだ。「彼は僕の運命の人なのか」とね。自分の魂の望みは、直感のようなものを通して知ることができる、と教わっていたから、彼についても直感を得ようと試みていたのね。すると、「彼ではない。彼は僕に、他に好きな人を見つけることを望んでいる」と、ふっと感じるわけなんだ。でも、初めて出会ったときの深遠な印象や、とても強い感情があるので、結局、そういう直感を信じたくなかったんだ。それに、本当はああなんじゃないか、こうなんじゃないか、という頭の推測が入るでしょう。だから、直感が正しいのか、感情が正しいのか、知的に推論した結果が一番正確なのか、最後までまったく分からなかったんだ。彼は僕のことを何とも思っていないということを、僕は信じたくなかっただけだから、しょうがないんだけどね。でも、あなたと出会ったら、彼のことは、まるで嘘みたいにどうでもよくなってしまったんだ。そんな自分の心境の変化にも驚いたよ。それまでは、どんなに頑張ってみても忘れることができなかったからね。あなたのことは、もう一人の自分みたいに感じたことはなかったよ。あなたのことは、人間として心から尊敬していたよ。やっぱり、あなたはエリートで、僕は身の丈に合わない高望みをしていると思ったよ。あなたが同性愛者なんじゃないかと疑っていたことをどうか許して欲しい。でも、始めから諦めていたんだ。僕は、自分があなたに値する人間だとは一度も思ったことがなかったよ。あなたを崇拝していたんだ。

 持ち上げ過ぎだよ。

学校の図書館の中で、僕があなたの名前を尋ねたときのことを覚えているかい。ほんの少しの間でも、あなたと言葉を交わせたことが嬉しかったよ。僕は、あなたの思わしげな表情や、声や、手の感触を今でも忘れていないんだ。それで、年甲斐もなくあなたのことを愛していた僕は、自分の魂に、あなたのことを尋ねたんだ。すると、「僕がずっと探していたのはこの子だ」と確かに感じたんだ。今度は、直感さえも自分の願望によって歪められてしまったか、と結局その感覚を信じられなかったんだ。「とうとう本格的に、頭がおかしくなって、直感も信頼できなくなってしまった」と思ったわけなんだ。だって、あなたは僕に関心があるような態度じゃなかったし、直感を裏付けるような状況証拠は一つもなかったんだからね。そうなって来ると、いよいよ何を信じたらいいのか、まったく分からなくなってしまった。僕は心の中に、自分だけの現実を作り上げているような感じだった。あっという間に夏休みが近づいて、学生ビザの有効期限は一年だったから、ビザが更新できなければ、日本に帰ることになり、あなたとは二度と会えないかも知れないという事態になった。だから僕は、あの手紙をあなたに手渡したんだ。あなたは返事をくれなかったから、あなたがどう思ったのかは僕には分からない。でもまだそれで終わりじゃなかったね。ありがたいことにビザが更新できて、もう一年パリにいられることになった。2011年9月に、あなたと再会することができたんだ。あなたが何事もないような顔をするもんだから、あなたは本当に大人だなぁと感心したんだ。

 校舎の前で会ったね。君がおどおどしていたから、何も言えなかっただけだよ。

あなたを目の前にすると緊張で体が痺れるほどだったんだ。あなたにまた会えたのは、純粋に嬉しかったんだけど、結局は遅かれ早かれ、僕は日本に帰り、それっきり会えないと分かっていたので、辛くもあった。一目でいいからあなたの顔が見たいという気持ちと、もう会いたくない、会わなくていいという気持ちと、両面あったんだ。喜びの涙と、身を裂かれるような辛さが、交互にやって来るような日々を過ごしていたよ。あなたがよそよそしくなって行ったので、話し掛ける機会も失ってしまった。それから、何事にも終わりがあるように、僕の人生にも突然の終わりがやって来た。二年目の夏に、僕は自分の部屋で倒れて、そのまま死んでしまったんだ。活力が尽き果てて木が枯れるように、あるいは潮がすーっと引くように、死というのは時宜を得て自然に起こるものだ。恐れることはないんだ、ラファエル。人生の終わりの時期には、日本人の友達が何人かいたんだけど、パリには知り合いと呼べる人もいないという状況だったから、電話が来ないことを不審に思った両親が大家さんに連絡したんだ。

 そうだったんだ。残念だよ。

あなたを愛したことで、僕の望みは成就したんだ。困難な点も多かった人生だけど、最後の一年間は、僕は本当に幸せだったんだ。と言うのも、僕は得体の知れない恐怖を遂に乗り越えることができたからなんだ。どういうことが起きたのか、あなたに話しておきたいんだ。これをあなたに伝えることが、僕にとっては重要なんだ。

 分かったよ。話を聞くよ。

僕にはね、何が本当の自分なのか分からない、という感覚があったんだ。そうだね、その自覚が顕著になって来たのは、やっぱり14歳くらいのときだったろうか。自分の意識の中にいろんな要素が混在しているのが分かったので、僕は混乱したんだ。病理的な多重人格のように、個々の要素が分離していることはなかったんだけれどね。それは主に、夜寝ている間に見る夢が、三次元の現実とはまったく関係のない内容だったり、奇想天外で、生々しい恐怖を伴うものだったので、通常の現実生活に集中することが難しかったからなんだ。僕は長いこと、夜寝ている間に、バラバラになった魂の断片を拾い集める作業を続けていたと言える。それも一生の間ね。現時点であなたがこれを理解するのは難しいだろうとは思うんだけど、そういう現象があることを、あなたに知っておいて欲しいんだ。これは前置きだよ。得体の知れない恐怖はかなり小さい頃から体験していたわけだけど、それが性の嫌悪に結び付いていることがハッキリして来たのは、やはり14歳くらいだったと思う。心理学的には自我の発達過程に関係しているんだけど、それだけじゃなくて、明らかにエネルギー的な理由でもあるんだ。ちょっと複雑な話かも知れないけどね。脳下垂体によってコントロールされている内分泌腺に、過去の感情が蓄積されているんだけど、性腺は思春期になってから初めて活性化するわけでしょう。性腺に蓄積されている情報がエネルギー的に活性化すると、体内のムードや、普段のベースになる気分が変わるんだ。14歳から16歳くらいの間に、性格が大きく変化することがあるのは、そのためなんだ。僕の場合、性腺と骨盤に膨大なトラウマが蓄積されていたことが、あらゆる困難の原因だったんだ。この人生では、性的な虐待を受けたことは一度もなかったんだけど、いわゆる過去世にいろんなことがあって、そのトラウマを持ち越していたわけなんだ。つまり、過去世で女性だったことがあって、その人生で、男性に陵辱されたことがあるんだ。別の過去世では逆に男性で、女性を暴行したこともある。ある時期そういうサイクルに陥ったんだ。女性が辱められると、その女性は自分を無価値だと感じるようになるものなんだ。その傷は深くて、加害者の男性への恐怖や、抑圧された怒りがとても大きいので、心理学的に扱うのがとても困難なんだ。これを「女性性の傷」と呼ぶことにしようね。余談だけれど、女性性の傷と、月の周期と、狂気は相互に関連しているんだ。狼女ではないけれどね。女性性の傷について、僕が初めて学んだのは、2006年に参加したセミナーでだったんだけど、恥ずかしいことに、そのときは自分に関係のある知識とはまったく気づかなかったんだ。でも、このときに学んだ知識が、最後の一年で大いに役に立つ結果になったんだ。

 どんなことを学んだの?

うん、性的なトラウマを抱えている女性というのは、自分が汚れているように感じたり、自分には何の価値もないと感じたりするものなんだ。それにね、身体感覚の麻痺があったり、人に体を触られることを恐れることがあるんだ。これは一般的な傾向で、必ずそうというわけではないのかも知れない。でも、僕には完全に当て嵌まっていたんだ。それでね、どうすればいいのかと言うと、自分の体に優しく触れるということから始めるんだ。トラウマを何とかしようとして、退行催眠や自己暗示でどうこうしようと試みても、あんまりうまく行かないんだ。自分の体に優しく触れる、そして深呼吸。ものすごく単純な方法なんだけど、本当に効果があるんだ、ラファエル。この方法を教えてくれたのは、2005年に最初に行った学校とは別のグループなんだけど、このアメリカのグループとは、最後の一年間に深く関わったんだ。僕が本当に必要としていた知識に関しては、苦もなく見つけられた恵まれた人生だったんだ。人間という意味では、直接の先生は持たなかったんだけど、僕は素晴らしい本との出会いに恵まれたんだ。とりわけ印象深かったのは、ジェーン・ロバーツというアメリカの作家が書いた本だよ。セスという存在をチャネルするという形で口述された内容で、信念体系についての多面的な議論がし尽くされているんだ。かなり有名な作品なんだけど、僕が生きている間には日本語訳があんまりなかったので、英語の知識が大いに役に立ったんだ。最も深いところにある信念が、人生を動かして行くものだ、とちょっと話したね。この本の中では、まず自分が意識しないでいる考え方のクセに気づくこと、それから、その傾向を自分が望む方向に変える方法を指南しているんだ。当たり前のこととして受け入れている信念を変えるのが一番難しいんだけど、自分が日常的に考えている内容を意識することが、悟りとか光明以前のすべての基本になるんだ。

 何となく分かるよ。

悟りとか光明自体は、思考の操作とは関係のない、明らかにエネルギー的な現象なんだけど、この話はもうちょっと後に回そう。セスが教えている、信念を変える方法について、ここで説明しておこうね。例えば、中年になるまで一度も、誰ともデートしたことがない人がいるとしよう。まあ、僕のことだったんだけどね。その原因はいろいろ考えられるけど、何らかの理由で、自分は誰かと親密な関係を持つ価値のない人間だ、と固く信じ込んでいるとしよう。この人が、いきなりパートナーをゲットするのは、かなり難しいんだ。お見合いでもしない限りね。普通は、いきなり劇的な変化を望むんじゃなくて、いくつかのステップを踏む必要があるんだ。まずは、例えば「興味のある相手に気さくに話しかけてみる」というような小さな変化である必要がある。そのくらいの変化だったら、その人も受け入れられるかも知れないでしょう。いきなりデートということじゃなくてね。比較的小さな目標を立てるわけだ。そしたら、自分がすでに、興味のある相手には、積極的に話しかける人間であるのを想像するんだ。これは自分を騙すとか、まだ現実になっていないことを無理矢理信じ込む、ということではなく、そういうフリをすればいいんだ。5分とか10分とか、比較的短い時間、リラックスしながらも集中して、そういう自分を想像する。あまり長い時間続けてはいけないんだ。そしたら今度は、その自分がいかにもやりそうな、小さな行動を一つするんだ。例えば、見知らぬ人に微笑みかけるとかね。それを毎日続けるわけだ。ちょっとの間想像すること、そして小さな行動を一つ。そしたら、興味のある人に気軽に話しかけられる自分に、いつの間にかなっている、という道理なんだ。そしたら今度は、例えば「興味のある人と一緒に、お昼のサンドイッチを食べに行く」という目標に移る。それも現実になったら今度は、いよいよ「好きな人と一緒に美術館に行く」という目標を立てる。根深くて頑固な信念というものは、そんな風にして、急がず焦らず、段階的に変えて行く必要があるんだ。なぜなら、根本的な信念を変えるには、新しい経験を少しずつ積み重ねることが絶対に必要になるからね。その信念に結び付いている過去の経験が多ければ多いほど、過去の考え方に引き戻そうとする原動力が強いからだ。あなたはフランスの教育を受けているから、この方法は理解しやすいんじゃないかな。

 そうだね。すごく実践的だと思うよ。

病気ということについても、セスは語っているんだ。僕はかなり小さい頃から、人はなぜ病気にならなければいけないんだろう、もしランダムに、統計的な確率で誰もが病気になり得るんだとしたら、それはとても怖いことだ、と思っていたんだ。セスは、すべての病気は抑圧された感情から起こる、と断言している。単純に言えば、抑圧された憎しみや自己嫌悪といった類いの感情だね。もちろん、今の医学的見地からはかけ離れた哲学だとは言える。でもそれが事実だとしたら、感情は信念から派生するので、自分が持っている信念を変える方法は、医学的にも応用できる可能性があるんだ。要するに、普段考えていること、信念、繰り返し起こっている感情に、重要性があるということだ。潜在意識とか無意識とか、手の届かないところにある不思議な何かではなく、普段考えている内容こそが、現実を作るとセスは言っている。ただ、ちょっとばかり野放しにしているだけだとね。自分が考えていることに、自分で気づいていないなんて、おかしく聞こえるかも知れないけど、人間には本当にそういう傾向があるんだ。地球では、一般的に、自分が考えている内容を吟味するようには教育されないでしょう? 僕はこういう知識が、家庭で教えられる時代が来ると思う。少なくとも、僕には意義のあることなんだ。さて、女性性の傷の話に戻ろう。僕が最後の一年で成し遂げたことは、ズバリ「自分を愛する」ということだったんだ。僕がパートナーを持つことを心から望んでいたにも関わらず、それが叶わなかった理由は、一言で言えば、自分を愛していなかったからなんだ。やりたいことをやって、何一つ後悔がない恵まれた人生だったんだけど、最後に一つの問題に集約されたわけだ。ゲイの人々が性的なアイデンティティに固執する傾向があるのを、あなたは不思議に思っているかも知れない。でも、ある問題が性に結び付いているとき、それはセックスだけのことではなく、魂にとって本当に重要な課題である可能性があるんだ。これは、あなたにとってはあまり重要性のない知識かも知れないんだけど、原因が何であれ、自分に自信がない、自分を無価値だと感じる、何をしても間違いだと感じる、自分を疑う、こういう状態が慢性化すると、精神にアンバランスが生まれるんだ。植物の腐った根っこを食べて分解する虫や微生物がいるのとまったく同じように、エネルギーの不均衡を分解する非物質の虫や微生物が存在するんだ。信じなくても構わないけれどね。人間の精神にウイルスや寄生虫が住み着くことがあるんだ。僕の場合、「自分は生きていてはいけない」という一つの深い実感が、尾てい骨の辺りに傷を作って、そこがウイルスや寄生虫の温床になっていたんだ。その一方で、僕の魂は、生きることの収穫を肯定したがっていたんだ。あなたが飼っている猫を見ていると分かるように、野生の動物は自信に溢れているでしょう? 直感的な自然への信頼と言うか、自分を自然に委ねているよね。人間は、博士号を持っていて、会社を3つ興し、銀行預金がいくらあって、と自分は何かが「できる」という理由を付けて、自信がある、と言うでしょう。でも、それは本当の自信ではなく、遅かれ早かれ確実に失われるものだ。何であれ、理由をつける必要なく、自分を完全に信頼することだけが、本物の自信なんだ。普通は、学校を落第したり、仕事をクビになったり、奥さんに逃げられたりしたら、自信をなくすじゃない? でも、そんな何かが「できない」自分も含めて、何一つ例外なく信頼することが、自分を愛するということなんだ。

 それじゃ、借金に追われて路上生活をしてる人や、法律上の罪を犯して刑務所に入ってる人は、そんな自分を信じろってこと?

まさしくその通りなんだ。これは、何をやっても構わない、とか、過去のことは忘れてしまえばいい、ということではないんだ。事実はまったく逆で、何一つ忘れようとしたり、潜在意識の片隅に追いやろうとすることなく、すべてを貴重な経験として受け入れる、認めるということだよ。これは現状に甘んじるべきだ、という意味じゃない。人間は、いいとか悪いとか判断することなしに、自分の体験を受け入れて初めて、そこから何かを学んで成長することができるんだ。言い換えれば、体験を受け入れれば、二度と同じ体験を創造することはなくなるんだ。だから、もし本当に自分を愛しているなら、あなたが考えるような悪い人間になることは絶対にあり得ないんだ。自分を愛することは、自分勝手になることとは違う。人間は、強くなるよりも、弱いままでいる方が困難だよね。自分の弱さをも受け入れて初めて、本当に人に寛容になれるんだ。極端に言ってしまえば、自分を愛するようになるまでは、どんなに親切に見える行動も、自分勝手な偽善にしかならないんだ。あなたはどう思う?

 うーん・・・哲学としてはその通りかも知れないんだけど、現実に家庭があって実生活を営んでる身としては、そんな風じゃ社会に適応できなくなるよ。

まったくあなたの言う通りだよ。自分の過去をすべて受け入れるとなると、社会的な達成の意味もまったく変わってしまうからね。成功という尺度を持つ必要がなくなってしまうんだから。人間社会はそもそも、何かを達成するという目標に基づいて成り立っているわけでしょう。でも、目標を持っていたら、「今に生きる」ことは決してできないんだ、ラファエル。さて、僕の場合、悪夢やいろんな恐怖体験は、精神を浸食しているウイルスや寄生虫による、病気の症状だったんだ。僕には、ついにそれを理解できたことが、すごく大事な達成だったんだ。だって、病気の原因は自分にあったと仮定しても、病気の症状自体は自分のせいではないんだからね。例えば、僕がどんな内容の悪夢を見たとしても、それを解釈しようとしたり、退行催眠で原因を探ろうとしたり、何らかのスピリチュアルな手法で解決しようとしたりすることは、この場合はまったくの無駄になってしまうんだ。病気の症状と、自分の問題は別なわけだからね。必要なのは、自分を愛することだけだったんだ。自分を疑うことを二度としなくなったとき、ウイルスや寄生虫は自然に死滅するんだ。でも、あなたの言う通り、難しいことだよ。自分を愛することを決心したら、隠れていたあらゆる疑念や過去の感情が、次々に浮上して来るんだからね。僕が最後まで孤独に生きていたのは、詰まるところ、そうである必要があったからなんだ。パートナーを持ちたいという願望よりも、このプロセスに人を巻き込みたくないという信念の方が勝ったんだ。二つの矛盾する信念がある場合、単純に、強い方の信念が現実になるんだ。僕は社会常識とか、人間の集合意識のようなものをあんまり受け入れなかったから、ごく当たり前のことを現実にするのが難しい、という傾向もあったんだ。あなたもある程度、同じかも知れないね。

 ねえ、すべてを受け入れるとなると、自分の何を信じればいいの?

あなたは本当に深く洞察するね。何がどうだから、自分を愛するということじゃないからね。理屈じゃないんだ。自分に価値を見出そうとか、「そのうちいいことあるさ」と偽の希望を持つということではないんだ。だから、自分の体に優しく触れるという方法が、ここで役に立つんだ。相手の間違いを指摘したり、自分の意見で相手を正そうとするのではなくて、相手のすべてをただ受け入れて、何も言わずに一緒にいること、それから優しく抱きしめることが、人間にとっての愛だ、と僕は思うんだ。その愛を自分に向けるということだよ。どこか遠いところにある、神の超常的な愛ではなくて、あくまで人間としての愛なんだ。頭、肩、背中、腕、腰、足、深呼吸をしながら体の各部分に優しく触れて、その部位を感じる。そこにある感情も含めてね。僕には自分の体を感じるのが難しかったんだ。膨大なトラウマがあったからね。どうこうしようというんじゃなくて、ただ感じる、認めるということだよ。呼吸によって、魂を体の中へ呼び込むんだ。それが自分への愛だよ。その愛が完全になったとき、僕の意識は頭のてっぺんから外に出て、人間の観点から言うと、そのまま死んでしまったんだ。僕が魂そのものになったとき、思い出したのはあなたのことだったよ。こちら側の世界から、あなたをサポートするときが来たと分かったんだ。それで僕は地球を去ったんだ。魂という言葉は、あなたにはピンと来ないかも知れないんだけど、僕が言っているのは、単純に、自我が発達する前からある意識のことなんだ。さて、僕がここでどんな仕事をしているのか、最後にあなたに説明しようね。

 うん・・・

「あいのほし」というのは、僕が自分で付けた名前じゃないんだ。それは図書館の名称なんだ。天使は固有の名前を持つ必要がないから、僕には名前がないとも言えるけど、あなたに話し掛けるために、とりあえずこの言葉を使っただけなんだ。この図書館は、地球に初めて生まれる予定を立てている魂が、学習のために来る場所なんだ。学校みたいなところとも言える。地球の歴史、科学、経済、言語、芸術、あらゆる分野についてのホログラム状の本があって、みんな各自で自習するという形態なんだ。教師のような人はいなくて、相談に乗るアドバイザーがいるだけだよ。笑わないで欲しいんだけど、僕は一応、愛についてのアドバイザーをしているんだ。人間の愛よりも深い愛は、こちらの世界にはまったく存在しないんだ。だから、その愛を体験したくて、これから初めて、地球に生まれる計画を立てている魂が大勢いるんだ。あなたもそうだったんだよ。あなたが地球に生まれたのは、今回が初めてなんだ。あなたが人間社会を理解するのにそんなに苦労を感じているのは、それが大きな理由なんだ。これまでの時代は、あらゆる文明の根底に、人間経験の究極の到達点として、悟りや光明という現象が取り沙汰されて来たことに、そのうちあなたは気づくかも知れない。キリスト教神秘主義、密教、スーフィズム、タオイズム、カバラ、クンダリーニ・ヨガ、伝統的な宗教の背後にある神秘思想は全部そうだ。ニューエイジもそう。基本的に、これまでの神秘思想には、生きることの苦しみから逃れたいという前提があったんだ。苦しみを生み出すのは人間の自我なので、自我を放棄する、あるいは完全に消滅させるという方法が説かれていたんだ。これらはすべて自我の否定性に立脚したものだ。カタリ派や原始仏教のように、存在の完全否定を悟りへの通路に使った人たちもいる。20世紀末の日本には、完全否定による光明を徹底して論じたEOという神秘家がいたんだ。あるいは、極端な肉体のコントロール、または極端な精神の集中を必要とする体系がある。家族も財産も全部捨てて出家、禁欲、修道生活、どれもこれも極端な方法ばかりなんだ。自我があらゆる苦しみの原因である、というのは一つの事実ではある。野生の動物は、人間のような自我は持っていない。もし自我を捨てられたら、あとに残るのは全面的な信頼だけなんだ。これまで光明に至った多くの人たちに起きたのは、これだよ。自我が消滅したら、人間としての旅は、確かにそこで終わるんだ。何かを創造することも、体験から感情を得ることもなくなる。なぜなら、何かをしよう、という意志そのものがなくなるからなんだ。ある意味、動植物に似た状態と言うこともできる。ただいるだけで満足、という世界なんだ。でもね、これまでの教えの中では、自分を愛するということが説かれたことは、まったくと言っていいほどなかったんだ。一つには、それがほぼ不可能だったからということもある。でもこれからは、この方法が可能だと僕たちは考えているんだ。自分を完全に愛するとき、起きるのがエネルギー的な現象だという点については、悟りや光明に似てはいるけれど、同じではないんだ。自我を消滅させる必要はまるでないんだから。自分を完全に信頼するというのは、現実をありのままに受け入れるとか、努力を放棄するという意味ではないんだ。あなたには極端にナイーブに聞こえると思うんだけど・・・自分の魂が、あらゆる解決策をすでに用意していること、未来は約束されていることを、全面的に信頼するということなんだ。人間は自分一人の努力じゃなくて、お互いに支え合って生きて行くのだから、実のところ、信頼するというのは最も自然なことだ。知性にとっては、何の根拠もないものを信頼するのは、馬鹿げたことに見えるよね。フランスでは論理的に考えるように訓練されるから、なおさら難しいでしょう。でもね、あなたの奥さんへの信頼だって、言ってみれば根拠のないものでしょう? でもそれは揺るぎないはずだよ。家族を営むことによって、愛を体験することが、自分を愛することの土台を作るんだ。ただ、最後の飛躍をするには途方もない大胆さが必要だけどね。何がどうであれ、自分を幸せにする責任は自分にある、という完全無欠な態度が必要になるんだ。でもね、これまでは、ごく一部のエリートだけに限られていた光明よりも、もっと偉大な何かを、これからは、ごく普通の人たちこそが先に達成することになるんだ。

 俺がこれまでに聞いて来た話とあまりにもかけ離れているから、ついて行くのが大変だよ。

問題は、その方法でうまく行くのかだよね。そう、うまく行くんだ。もし受け入れるなら、それはごく自然に起こることなんだよ、ラファエル。僕の話はこれでおしまい。聞いてくれてどうもありがとう。目が覚めたら、あなたが覚えているのは、奇妙な東洋人に会ったということと、このアパルトマンの印象くらいかも知れない。別にそれで構わないんだ。僕はこの場所で、あなたとあなたの家族をサポートする役割を引き受けているんだ。と言っても、あなたの人生に介入することはできなくて、ただエネルギーのバランスを取ることくらいなんだけどね。あなたの二人の男の子も、今回初めて地球に生まれた天使なんだ。彼らを偉大な運命が待っているので、こちら側からの助けが必要なんだ。現実生活とのバランスを取りながら、あなたが情熱を感じることは何でもやってごらんなさい。それこそが地球で生きることの美しさなんだ。信頼するなら、必要な資源は向こうからやって来るでしょう。僕があなたをここへ呼んだ理由は、もう言わなくても分かるでしょう?

 その話はもういいよ。

あなたが地球に生まれる直前までは、ずっと長い間、あなたが僕の担当の天使だったんだよ。今は立場が逆になっただけなんだ。何も心配しないでいい。大丈夫、すべてうまく行くよ。

ニューエイジ入門

※フィクションですので本気にしないでください。


あなたがまだ小さな子供だった頃・・・世界は驚きに満ちていました。

両親や、その代わりをしてくれる人たちや、面倒を看てくれる大人たちに、ものごとや世界の仕組みを尋ねてみては、その不思議さにわくわくします。

自分にはいろいろな可能性があり、何にでもなれると思います。

でも、ふとした瞬間に、両親や周りの大人たちが不安そうな表情をしたり、泣いたり、他の誰かを非難したり、争ったりするのに気づきます。

あなたはとてもこわくなります。

あまり楽しそうには見えません。

大人たちはみんな、我を忘れて自分の役割を真剣に演じているのに気づきます。

世界のことをもっと教えてもらうにつれ、ますますこの世界が大きくて複雑なゲームであることを実感します。

大人たちの真剣さが肌で伝わって来るのです。

なりたいものになるのはそんなに簡単じゃないのかも知れない、とあなたは思い始めます。

大人たちのゲームに参加するには、難しいルールをたくさん憶えなければいけないのだと分かります。

あなたはいつか大人になりたいと思っているので、大人のルールを勉強することに決めます。

そしていつの間にか、自分のことや、一番大切なこと—愛の真実—を忘れて、大人になり・・・今に至ります。


「自我の目覚め」とは、子供が大人のルールを憶え始めることを意味します。子供は自発的にものごとの仕組みを理解しようとし、早く大人になりたがったりしますが、社会のルールはある程度大人に強制されて憶えるものでもあります。「自我」や「性格」は、この世界のルールに適応して生きて行くために、言葉を憶え始めるあたりから、脳が発達する過程で作り出されるものです。言うなれば、その場しのぎのインターフェイスなのです。ところが、私たちは後から作り出された自我や性格の方を、いつからか自分自身だと思い込んで、本来の自分—魂—を忘れてしまいます。本来自分が持っている愛を、外の世界、すなわち他人の中に見つけようとし始めます。恋愛関係の中に永遠の愛を見つけようとしてもあまりうまく行きません・・・そうではないでしょうか? 一時は手に入れた!と思っても、いつの間にか失っているという具合です。大人になって心無い決断や行動をすることを「魂を売る」と言ったりしますが、本当に魂を売ることはできません。私たちはどんな時も魂を持っているということを忘れているだけです。

あなたは、この世界は壮大なゲームのようなもので、誰もが自分の役割を演じるのだということにうすうす勘づいていたはずです。でも、ゲームのルールそのものを疑っても良いということは誰も教えてくれませんでした。だからあなたはルールに従うことにしたのです。そうでしたね? 実際は、ルールは変更可能です。変えられないルールなど一つもありません。多くの私たちは、この世界の既成事実にあまりにも馴染み過ぎていて、それを絶対的な真実として受け入れています。そのことについては、なるべく考えないようにしています。ルールに従わない人は、この世界では、罰を受けます。この世界を変えようと苦闘する活動家もいます。ゲームのプレイヤーでありながら、内部の何かを変えようと試みると、ルールを破って無理矢理進まなくてはいけない場面があったりして、非常な混乱や抵抗が起きます。それはとても困難な方法です。ルールを変える方が、むしろ簡単なのです。ルールを変えて、エネルギーの効率性が上がれば、ものごとはとても速く動き出します。私はルールを変えて人生を設計し直す方法について具体的にお話しします。それは自らの内に深く降りてゆくことについてです。ルールはまず個人の中で変えなければいけません。それから、おそらくは世界人口の一パーセントくらいの人がルールを変えることを選択するとしたら、世界の枠組みに影響を及ぼし始めることができると思います。すべては個人の選択によります。今は、ものすごい数のみなさんが霊的な知識を求めている時代です。ですから人類をより善いステージへと押し上げるチャンスです。人生を自らの意志で設計し直すための知識は、まず自分が体験してマスターする必要があり、それから人から人へ、親から子へと大切に伝えられるべきものです。ですから世界を進路変更するにはとても時間が掛かるものだということです。


現在起きつつある意識のパラダイムシフトは、科学の世界でニュートン物理学から量子物理学へとシフトしつつあることと直接関係があります。ニュートン物理学のモデルでは、まず意識と物質を切り離します。計測可能であり、実験によって再現可能な現象だけを、現実として受け入れます。異なる力と力の関係が最も重要であり、科学的探究は人間の外側へ、外側へと向かって行くのです。ところで、量子物理学では、意識と物質が一つに結び付きます。「観察者効果 (observer effect) 」と言って、観察者の意識が実験の結果に影響を及ぼすことが認められています。量子物理学のモデルでは、不確実なエネルギーについての理解があり、現実はそれほど固定したものではなくなります。原子のもとになる素粒子などより小さなもの、人間の内側へ内側へと向かって行きます。意識が物質に影響を及ぼすということについて少し考えてみると、それが科学にとっていかに大きな衝撃であるか分かると思います。そしてこの科学界の認識の変化こそが、私たちの生き方に決定的な転換をもたらす文化的背景なのです。

これまで、大部分の私たちの意識は自分の外側にある世界へと向けられて来ました。外へ外へと探求して行く傾向があったのです。これを「今までの生き方」と呼んでみましょう。今までの生き方は、ニュートン的です。今までの生き方では、直線的な時間をもとに人生を設計します。目標を設定して、それをうまく達成するために計画を立てます。人生は勝負であり、自由競争を勝ち抜いて幸せを手にするには、目標に向かって一歩一歩、勤勉に努力しなければいけません。苦難や抵抗に遭ったなら、力ずくで道を切り開きます。道を譲ってしまったら、他の誰かが自分の替わりにその道を行くだけのことです。力と力の駆け引きを憶えるかも知れません。人生の評価基準は、目に見えるものや金額や点数など、自分の外側にあって計測可能な基準を使います。人生は足し算のように、たくさん持っていたり、点数が高ければ高いほど幸せだと考えます。あなたは人生のどこかの時点で、こういう生き方に疑問を抱いたはずです。もしそうじゃなかったら、この本を読んだりしないでしょうから。なぜなら、この生き方では、成功できる人の数は限られていて、席の争奪戦になり、しかも往々にして、自分の目標に向かって突き進んでいく過程で他人を不幸に陥れることに、おそらくあなたは気が付いたことでしょう。今までの生き方では、幸せの基盤を限られた地球資源の上に置いている以上、みんなが幸せになることが不可能なのです。自分の外側にある現実世界を思い通りに操作しようとしたら、並外れた知性や力が要求されます。それはとても疲れる作業です。あなたは疲れ果てたり、退屈したかも知れません。そんな時に、いわゆる霊的な知識との衝撃的な出会いを経験したはずです。それが精神世界の本であったか、スピリチュアルなセミナーであったか、あるいは宗教であったか、みなさんそれぞれ違うでしょうが、とにかく、「私が知りたかったのはこれだ!」とか「なぜだか分からないけど、私にはこれが真実だと分かる!」という体験をしたはずです。それはまさに新しい世界へ第一歩を踏み出した、決して忘れることのできない瞬間でした。あなたをその瞬間に連れ出したのは、何を隠そうあなたの人生経験でした。たぶん人には分からないような苦労があったはずです。中でも、あなたを一番悩ませた問題が、他でもないあなたの家族だったのではないでしょうか。多くのみなさんにそういう傾向があります。経験があるからこそ、あなたは霊的な知識に含まれる真実を感じ取ることができるのです。もしあなたがまだ第一歩を踏み出していないなら、この話を単なる冗談だと思うだけでしょう。霊的な知識と初めて出会うことによって、必然的に意識の大きな飛躍 (quantum leap) が起こります。すると人生観が変わり、それまでに人生の目標として定めていたものがあなたの中で価値を見失って、何の情熱もない時期が訪れます。情熱のない時期は、私の印象では、あなたが新しい真実に基づいて「人生を設計し直す」まで続くようです。


さていろいろな本やホームページで語られている目新しい情報があります。あなたもそのうちのいくつかを既に知っているでしょう。これらの情報は、「新しいエネルギー (the New Energy) 」と呼ばれる現象と密接な関係がありますが、時間という観点から見ると、別に新しくはありません。それは古代から連綿と伝えられて来ている生き方でもあるからです。区別するために、それを「今からの生き方」と呼ぶことにしましょう。今からの生き方は、量子的です。意識と物質がお互いに影響を与え合うという事実を認めることによって、あらゆる現実の解釈を再構成します。詰まるところ意識が現実を創造するということです。

信念が現実を構築する礎材である。

もう何度も耳にした言葉ではないでしょうか。これが最も基本的な理解です。例えばあなたが子供の頃に、「男は家族を養うために黙って働くものだ」と聞かされたとしましょう。あなたがそれをルールとして受け入れたとしたら、いつの間にか、大人になり、仕事を見つけ、結婚し、家族のために黙って働く自分を発見するでしょう。信念はそんな風に無意識的に作用します。あなたが幸せであれば何の問題もありません。でも、もしかしたらあなたは芸術家になりたかったのに、その道を選択する自由がなかったと感じているとしたらどうでしょう。自由な選択ができないというのは、常に問題なのです。「信念が現実を構築する礎材である」という考え方は、理論というよりむしろ実体験に基づいたものです。人生経験が少ない人は、これを理解することができません。どんなにうまく説明しても納得してもらえないでしょう。理解の基盤になるような体験がないのですから、仕方のないことです。みなさんは、良くも悪くも、人生は自分が信じた通りになっていることが見えると思います。自分の中にあるルールや限界を超えるような出来事は、望まない限り決して起きなかったはずです。あるいは、意識が現実を引き寄せるのを日常的に体験しているかも知れません。頭に思い浮かべていた人に、奇跡的なタイミングでばったり会うというような体験が、一度ならず何度も起こるなど。いわゆるシンクロニシティですね。直線的な時間の観念が崩れたかも知れません。

今までの生き方では、何かを創造するには、まず外へ出て何かを始める必要がありました。今からの生き方では、まったく違う方法で創造し始めます。

立ち止まって内側を見る。

多くのみなさんは、今までのやり方とあまりに違うので、最初は戸惑います。外へ出て、行動したくなります。今からの生き方は、自分の内側を見つめるために、一日中瞑想するとか、何も行動しないということを意味しません。そんな極端な生き方ではないのです。そうではなくて、自分の中にあって、魂の糧となるような真に満ち足りた人生を経験するのを妨げている障害物を、一つ一つ消し去ってゆくことによって、あなたのエネルギーに自由な動きを取り戻すということなのです。引き算のように、あなたの中で行き詰まり、役に立たなくなっている不毛なルールを取り除いてゆくことによって、エネルギーの効率性を上げます。すると、それまで絶対に必要だと思っていたものが必要なくなったりして、よりシンプルなライフスタイルが実現します。例えば、あなたは人から評価されるためには頑張らないといけないと信じているかも知れません。子供の頃に、両親に無条件に褒めてもらえなかったのが原因かも知れません。すると、あなたは努力家で、常に頑張ることを要求される職場で働いていたりします。敢えて自分に全然向いていない職種を選んでいたり、他人に任せておけば良いことを自分で片付けようとするかも知れません。チャレンジすることが大好きなら、何の問題もありません。でも、努力しないと不安になり、何度も何度も同じような行動パターンにはまり込んでいることに気づいているなら、信念を見直すべき時なのかも知れません。そもそもあなたが頑張ることで、誰が得をしているのでしょうか? 本当にあなたの成長に役立っていますか? あなたの古い信念は、よく検討した上で、変更することができます。そうした下準備のあとで行動を始めると、ものごとが俄然スムーズに進みます。昔経験しなければならなかったような苦闘をしなくても良くなります。

今からの生き方では、人生の評価基準を心の豊かさに置きます。もちろん経済的な豊かさも重要な基準の一つであることには変わりありませんが、多ければ多いほど幸せとは限りません。心の豊かさとは主観的な体験であり、数多くの要素と有機的に結び付いています。健康、経済、家族、愛情、環境、芸術、自己表現、社会の成熟・・・それは個人で完結する範囲を超越して、全体へと繋がってゆきます。

すべては繋がっている。

私たちは、自分の意識や行為が誰かに影響を与えることに気づいています。お互いに影響し合います。結局、自分一人の幸せなどというものは存在しません。ごちそうを一人で食べてもおいしくないのと同じですね。宇宙は全体で一つになる有機体です。個人の欲望を限りなく増幅して行った時に何が起こるでしょうか。それが今までの生き方であり、その結果が「持続不可能 (unsustainable) 」な世界です。今からの生き方では、人と協力し合うことを学びます。コミュニケーションが大切です。良いコミュニケーションには、力や、いかなる形の強制も存在できません。力で押すのではなく、輪を広げるのですね。誰もが幸せを求めているということを理解するのは重要です。今からの生き方を身に付けるためには、自分以外の人をもっと信頼するのに役に立つ機会は何でも利用する必要があります。家庭がコミュニケーションを学ぶ基本的な場所です。家族との関わりを通して、私たちはお互いを信頼することを学びます。

人生に目的はあるのでしょうか。私たちには生きる目的が必要です。今までの生き方の中にも、目的はもちろんありました。ほとんどの場合、それは個人的幸福に根差した具体的なもので、これを達成したら、その次、その次、という風に幾分直線的なプロセスでした。一つの目的に一生を捧げることも珍しくありませんでした。これは一つのドラマチックな劇の主人公を演じるのに似ています。自分の目的に適う人とだけ積極的に関わる傾向があるため、人間関係は閉鎖的です。一方、今からの生き方では、ものの見方を個人から全体の幸福へと拡大することそのものが目的になります。これまでの歴史では、人間は生来利己的であり、「最大多数の最大幸福」の実現は夢物語と考えられて来ました。

意識は常に拡大し続ける。

本当は、私たちの魂は成長し、意識は拡大するのが自然な姿です。インターネットの世界を覗いて見ると、利他的な活動を目指している人の数がとても多いことに勇気づけられます。今、人類は歴史の転換点を迎えています。文明が成熟し、利己主義を捨てて、これまで多くの人が求めてきた利他の精神へといよいよ集団でシフトする時が来た、ただそれだけのことです。ものの見方が多面的になるというのが意識の拡大の意味するところです。それは上演中の舞台で、主人公と同時に脇役も演じるようなものです。他の登場人物の感じ方や考え方が分かるようになって来ます。さらに、他の場所で他の人が演じている劇とも関わりが出て来ます。そのようにしてどんどん世界が拡がって行きます。人間関係は開放的で、変化が多くなります。意識が拡大するほど、私たちは寛容で優しくなり、利己心が原因で道を踏み外すことがなくなります。今からの生き方では、人生の全体図が見えるようになります。魂が成長すればするほど、人生の目的が明確になって来て、自分の意志をもっと反映したくなりますから、その度に人生を改めて設計し直す必要が出て来るというわけです。

宇宙には一つの流れがあります。すべてのものに共通して流れるエネルギーのようなものがあるのです。それが生命の本質であり、古来から神の恵みとか、宇宙意識とか、真如(しんにょ)とか、創造のインパルスとか、タオとかいろいろに呼ばれて来ていますが、同じものだと思います。私はそれをスピリットと呼んでいます。私たちは生きていますから、目には見えない何らかの力によって生かされていることを実感できますが、近代科学の世界では、そのような力の存在を前提に考えて来ませんでした。今ではスピリットの存在は散逸構造論として説明されています。

人は自ら癒される。

あなたが何もしなくても、秋になれば植物が実を付けます。あなたが黙っていても、夜が明けて朝が来ます。スピリットは善であり、人間の限られた知性ではとても理解することができないほど精妙に作用し、完全に信頼が置けるものです。悪は人間の心の中にだけ存在します。人間がスピリットを否定したり、信じられなくなると、自分の身を守るために何でもするようになり、悪が生じます。そういう意味では、悪は無知のなせる業と言えるのかも知れません。人間以外の自然の世界に悪が存在するかどうか観察してみてください。大きな流れに身を任せれば、私たちは必ず善い方向に進みます。ですから私はスピリットは善であると言っています。これも経験なくしては理解するのが難しい概念でしょう。一方、スピリットの流れに逆らって進むことも可能です。今までの生き方では、生命の本質についての知識を大人から教えられる機会がほとんどないため、人間社会に対する不信や抵抗が当たり前の現実になっています。自分自身さえも信じられなくなっています。それが不安や病気を作り出します。不信や抵抗がスピリットの流れをせき止めて、あらゆる困難な状況を生み出します。自分の内側を見て、自分自身や他者や社会への不信や抵抗を取り除くことさえできれば、エネルギーは自然に流れ出します。自分を癒すためには、宇宙を信頼すれば良いのです。今からの生き方では、私たちはエゴの小さなこだわりを捨てて、大きな流れを完全に信頼することを学びます。


さて今からの生き方は、霊的な修行の目的とされる「悟り」や「覚醒」とどんな関係があるのでしょうか? 悟りにはいろいろな定義がありますが、一般には自我による知覚の制限を超越して、真の実在に目を開くことを意味します。私の考えでは、人類の意識は全体としてまだ悟りを開く段階には達していません。と言うのも、人類が経験するべき素晴らしい時代はこれからやって来るからです。ある人が悟りに達するかどうかは、その人の自我が決めることではなく、その人の魂が決めます。魂が人間としての経験を積み重ねている段階では、悟りたいと思って霊的な修行をしたとしても悟ることは出来ません。例えば、魂の側では恋愛関係を経験しようとしているのに、自我の方が「いや、これはただの欲望だ」と勘違いして仏門に入ったりすると、かえって魂の成長を妨げてしまいます。悟りを得るタイミングはあなたの魂が決めます。魂がやりたいことをやり尽くした後に、その時は来るのです。いったん悟りを得たら、あなたの人間としての旅は終わり、新たに別の次元で意識を進化させるべく地球を離れることになります。いよいよ覚醒する準備が整ったら、あなたは人間として経験できるあらゆるものごとに一切執着しなくなるので、それと分かります。ですからその時までは、自らの魂と親密な対話を続けながら、意識を進化させるために生き続けるのです。そもそも誰もがそのために生まれて来ています。体験するためです! 今からの生き方を実践することで、あなたが自分をもっと良く知ることができるなら、あなたは意識の進化の道に乗っています。タイミングは人それぞれですが、いつかは悟りの境地へと辿り着きます。でも、この人生で覚醒する人もきっといるでしょう。


ここで「あいのほし」で使っている意識のモデルをご説明しましょう。私たちの意識の仕組みを理解することはとても役に立ちます。このモデルは、ある程度科学的根拠もありますが、大まかに理解できるように単純化してあります。このモデルは一つの考え方に過ぎないと思っていてください。

では図の下の部分にある大きな丸を見てください。そこには「魂あるいは無意識」と書いてあります。下で切れているのは、魂が比喩的に言ってものすごく大きいことを表しています。これがあなたの意識の本質であり、あらゆる記憶を保持しています。ちなみに、「あいのほし」では輪廻転生を前提にしていますが、生まれ変わりを胡散臭く感じるみなさんは信じなくても構いません。魂はあなたのすべての転生の記憶と、そこから得られた知恵を持っているため、とても賢い存在です。輪廻転生を信じないみなさんは、魂には自分の先祖の記憶が蓄えられていると考えて差し支えありません。あるいは、魂はユングの言う集合的無意識 (collective unconscious) であると考えても良いでしょう。いずれにせよ、突き詰めて行けば同じことです。魂の上部には「潜在意識」と書かれています。そこから細い道を通って上へ行くと、もう一つの小さな丸である「おしゃべりマシーン(自我)」に辿り着きます。おしゃべりマシーンとは、自我はおしゃべりが得意なので、冗談で付けた愛称です。脳波(頭に電極を取り付けて、電気変動を時系列で記録した波形)の状態で、おしゃべりマシーンにはβ(ベータ)波、細い道にはα(アルファ)波、魂の入口にはθ(シータ)波、魂にはδ(デルタ)波が、おおよそではありますけれど、それぞれ割り当てられています。

あなたが目覚めている時間帯では、あなたの意識の大部分を自我が占めています。自我は、始めのほうで触れた通り、社会のルールに適応して生きて行くために、脳が発達する過程で作られるあなたの性格のことです。自我の役割は、生身の人間として自分の安全を確保するために、肉体を維持管理する活動(食べる・飲む・清潔にする・運動するなど)、子孫を残すための生殖活動、身の危険を事前に察知すること、経済的に自立するために何をするべきかの価値判断といった、肉体の存続に関係することすべてです。自我は、もともとの性質から言って自己防衛的です。自我は、人間として生きて行く上で必要な機能ですが、精神性 (spirituality) とは何の関係もありません。実は、今までの生き方は、自我をベースにした生き方でした。生涯教育と言うように、自我はいろいろなものの見方を学んだり、経験を積んだりすることによって一生発達し続けますが、どこまで行っても「自分さえ良ければいい」のです。自分がある程度満足すれば、ではあなたもどうぞ、という風に他人に優しくなることもできます。でも、ご存じの通り、自我の現実の解釈には限界があって、窮地に立たされたり、いわれのない事件に巻き込まれたり、病気になったりしたときに、自分の内部に原因を見出すことができません。なぜって、自我はあなたの小さな一部分でしかないのですから、当然のことです。そこで、外の世界に解決策を見出そうとします。でも、自分が完全に納得する回答を見つけることはできないかも知れません。自我の視点から見ると、世界の紛争の解決策や、あらゆる病気の根本的な治療法を考え出すことは不可能に見えます。興味深いことに、世界で最も知性の発達した人たちが、いろいろ考えて研究して、最終的に辿り着く結論は、「理屈では説明できない何かが、確かに存在する」ということです。ですから、みなさんが今からの生き方を実践して行く動機となるのは、理屈では説明のつかない困難な問題に直面していたり、すでにそれを乗り越えて来たか、自我が高度に発達して、次の段階へ進む準備ができているかのどちらかだと思います。意外でしょうか? 魂の進化がある段階へ達した人だけが、今からの生き方を理解すると、みなさんは考えているでしょうか? あるいは、エゴが強い人は、今からの生き方を決して理解しないだろうと考えていますか? 最初から極めて進化した魂として生まれて来ている人は、私も含めて、みなさんの中にはいません。なぜなら、進化した魂は、啓発された両親の許に生まれて来るので、正すべき偏った考え方を持っておらず、こういう文章を読む必要性がないからです。彼らは人類の教師としてやって来ます。私が思うに、もし適切な教育を受けられるとしたら、人類の少なくとも半数以上が、今からの生き方をすんなりと受け入れる段階まで発達して来ています。意識には発達段階のパターンがあって、今からの生き方は、今までの生き方のちょっと上に存在しているだけなのです。大きな飛躍ではありますが、決して無理なことではありません。ではなぜ?と思うみなさんもいるかも知れません。確かに、自分勝手な理由で人類の意識の進化を妨害しようとする支配勢力があります。正しい情報を遮断することで、私たちが決して団結しないように、分離した状態に留めようと目論んでいます。私たちがお互いに助け合うことが進化への鍵です。

自我はとても賢いので、自分の限界に気づいてしまいます。「私はいつも自分の考えを持って来たし、それによって社会的に成功もした。でもなぜ私は、幸福ではないのだろう? 人生には考慮に入れなければならないもっと他のことがあるのだろうか?」「子供を産み育てることだけが、私の役割なのだろうか?」「まあいいだろう・・・どうすれば良いのか私には分からない。せいぜい人生楽しんで、長生きしよう。」自分自身を疑うなんて面白いと思いませんか? 私たちには、二つの意志があるのです。自我の意志と、魂の意志です。自我の意志は、局在的 (local) であり、常に肉体に結び付いています。魂の意志は、非局在的 (non-local) であり、この世に生まれて来た目的に結び付いています。子供の頃は、早く大人になってやりたいことをやろう!と思っていたのに、いざ大人になってみると、何をやりたかったのか忘れてしまうのですよね。生きていないとやりたいこともできないのですから、自我の意志によって、生活の基盤を固めるのは大事なことです。ではなぜ、自我は自分自身を疑う必要があるのでしょうか? 例えば、左耳からは「結婚したし、子供もできた。仕事もうまく行っている。世間的に見れば、ずいぶん幸せじゃないか。この幸運を、神に感謝しなければ」と聞こえて来て、右耳からは「やりたかったのはこれじゃない。小説を書きたいんだ」と聞こえて来るのを想像してみましょう。どちらが自我の声で、どちらが魂の声か分かりますか? ええそうです。自分の中で二つの意見が対立すると、精神的なストレスになります。これはとても良く起こることです。人によっては、うつ病になってしまいます。結局、魂の意志を実行しない限り、本物の喜びや、本当の達成感を味わうことはありません。お腹がいっぱいになると、とても幸せになりますが、しばらくするとまたお腹が減って来ます。それと同じで、自我の意志が成就すると、一時は幸福になりますが、長続きしません。常に深いところで「何かが違う」という感覚があるとすれば、あなたの自我が自分自身をごまかすことは決してできません。自分の中に二つの意見があって、満たされない何かを感じるとき、人によっては、魂の声を聞かないようにするために、より一層自我の欲望を追求し始めます。お金や、名誉や、恋愛を際限なく追い求めたりします。人によっては、自暴自棄になり、あらゆる種類の依存症を引き寄せます。人によっては、無気力になり、修行の道に入って、自分の選択を放棄します。でも、満たされません。みなさんは、そうではなくて、人生の本当の目的を見つけることに決めたのです。それは素晴らしい選択です。

肉体に関連しないあなたの意識が、潜在意識と無意識です。私は魂と呼んでいます。瞑想に熟達している人の脳波や、私たちが眠りに入る直前の脳波は、シータ波を示し、この状態で魂の入口と言える潜在意識になります。潜在意識の状態に留まるためには、多くの場合訓練が必要です。また、潜在意識から自我の意識に戻った時に、潜在意識での体験の記憶をほとんど思い出せません。自分が潜在意識にいる時には憶えているのですが、通常の自我の意識に戻って来たとたんに忘れてしまうのです。これは記憶が失われているのではなくて、自我と潜在意識の間に大きな隔たりがあるために起きることです。私たちが熟睡(ノンレム睡眠)している時は、無意識になっています。実は、無意識の状態では自我が完全に止まっており、意識が最も拡大しています。無意識で体験している現実は、自我の意識とはまったく異なる性質のものなので、自我は思い出すことができません。逆に、無意識は自我の体験を思い出すことができません。つまり、あなたが目覚めている時間帯は、三次元の世界に暮らしていますが、眠っている時間帯は、もっと壮大な世界に暮らしているということです。この二つの世界は、相互に関連しています。

あなたの魂は意志を持っています。あなたの物理的現実は、あなたの魂が肉体を使って見ている夢だ、と言ったら分かり易いでしょうか。魂は統合された一つの意識であり、明確な意図を持って、あなたの物理的現実を創造しています。私たちが生きているということは、すなわち目的を持って生きているということを意味します。魂は、少なくとも自我よりは遥かに賢い存在です。つまり、本当のあなたは賢いのです。「私には魂の意志はないみたいです。感じたことないもの」と思うみなさんもいるかも知れません。魂の意志があるというのは、あなたには天から与えられた特別な「使命」があるという意味ではありません。確かに特別な使命を持って生まれて来ている人もいますが、全員ではありません。魂は、成長するために個人的な経験を自ら選びます。人として生きることそのものが魂の糧となるので、際立った経験を何も選ばないこともあります。でも今の時期、大きくはないにせよ人類のために何か奉仕するものを持っている人が多いことも事実です。魂の意志はスピリットの働きでもありますから、限られた人間の知性を超えた観点から善の方向へ進みます。自分の魂が苦行を選ぶのではないかなどと心配しないでください。魂の意志の先には必ず、軽やかさと喜びがあるものです。魂の意志に従うかどうかは、常にあなたに選ぶ権利があります。これが自由意志と呼ばれるものです。「邪悪な目的を持つ魂もいるのではないでしょうか?」と質問するみなさんがいるかも知れません。はい、でもみなさんが想像するほど多くはないのです。他人が成長するのを妨害しようと意図する存在がいますが、みなさんはそういう魂と関わる必要はありません。そもそも、そういう妨害の試みはスピリットの働きに反しているのですから、結果的にうまく行くことはないのです。

もう一度図に戻りましょう。魂から矢印が出ていて、魂が現実を創造していることを示しています。それに対して、自我からの矢印は、自我が現実に反応していることを示しています。文字通り無意識のうちに、あなたはあらゆる現実を創造しています。何だか変でしょうか? 魂が物理的現実を創造して、自我はそれを肉体と感情を通して体験するのです。魂は人生の目的を最初から決めているので、それを一歩一歩、あたかも花弁を開くように機会として顕現させて行きます。あなたの魂が「まあいいや。目的は生まれてから決めることにしよう」と決めたと思っていますか? 自分探しのあてどもない旅に出る必要はありません。自我の側で準備が出来ると、人生の新たな局面が目の前に現れます。そういう風になっているのです。人生の目的は途中で変えることができるのでしょうか? いいえ、自我の意志で目的そのものを変更することはできません。それに、計画にはいろんな人がお互いに関わっているわけですから、気まぐれにコロコロ変えられると周りが迷惑してしまいます。それに、もともと大きい部分のあなた(魂)が自分で決めたことです。ですから自我の側から見た選択は、やるか・やらないかの二つしかありません。人間としてのあなた(自我)が、人生の目的とは全然違う方に進むことを選ぶことはできます。魂は自我の意志を最大限に尊重します。あなたの自我が望むならどんなことでも、魂はそれを体験できるようにサポートしてくれます。でも、自我の成長が完全に止まっている場合、せっかくの人生を無駄にしないために、魂が無理矢理ショッキングな出来事を引き寄せることはあります。何かを行動に移す必要があることを自我に知らせようとするのです。思い当たる節がある人もいることでしょう。今からの生き方とは、魂に添った生き方のことです。

自分の魂が悲惨な状況や辛い出来事を勝手に引き寄せるんじゃないかと不安になった人もいるでしょうか。確かに、魂が成長するためにどうしても避けられない場合、そういうこともあり得ます。でも、あなたはこの情報を読んでいるので、あなたには当て嵌まらないことが分かります。この手の情報を受け取ることができるなら、あなたは霊的に自立する段階へ到達しており、もはや無意識的に惨事を引き寄せることはないはずです。意識的に成長し続けることができるなら、極端な出来事を経験しないで済むのです。

図の細い道にあたる部分、ここはあなたがリラックスしている時に、意識がこの部分にあると考えてみてください。リラックスしていると、自分の自我としての意識と、それほど時間に束縛されていない潜在意識の、両方を意識することができます。ちょうど、ボーッとして好きな空想にふけっている状態に当たります。これから説明する方法では、このアルファ波の状態を活用します。意識が拡大するとは、おしゃべりマシーンが拡大したり、無意識が大きくなるのではなく、この細い道がだんだん太くなってゆく過程なのだと想像してみてください。自我は人間として生きるための限定された機能ですので、自我が一定以上に拡大することはできません。自我は、いろいろ知識を学ぶことができますが、自ずと限界があるので、結局は「自分はほとんど何も知らない」ということに気づくだけです。今の段階では、自我の意志と魂の意志はしばしば対立するかも知れませんが、あなたが成長し、意識が拡大した結果、この二つの意志は互いに矛盾することがなくなって、一つになります。最終的には、おしゃべりマシーンと魂は完全に協働するでしょう。

さてあなたは自我と魂の両方であり、自我と魂の相互作用により、無意識の領域から物理的現実を絶えず創り出していることをお話ししました。この全過程を可能にしている根源的エネルギーが、あなたのスピリットです。それはあらゆるものごとの背後に存在します。スピリットを、電気のような単なるエネルギーだと思わないでください。スピリットは、寛大に見守る父のエネルギーであり、無条件に愛し育む母のエネルギーであり、喩えるならば恋人同士の情熱と官能に一番近いと思います。とても甘美なエネルギーなのです。特定の意志はまったく持たないようでいて、「拡大し、すべてを一つに統合する」という方向性を持っています。スピリットは生命力です。スピリットは究極の愛です。スピリットは、あなたの所有物と言うより、あなたの本質そのものです。あなたは、肉体と自我を所有している魂とスピリットです。魂とスピリットより貴重な宝物は存在せず、あなたは既にその宝物を持っています。これは驚くべきことではないでしょうか? だとしたら、私たちは魂とスピリットの正しい使い方を習得すれば良いだけではないでしょうか。

このモデルにはありませんが、γ(ガンマ)波の超意識という状態もあります。超意識は覚醒した後の意識の状態と言われています。私には良く分かりませんので、興味のあるみなさんは調べてみてください。


さて意識のモデルについて長々とお話ししましたが、これから具体的な方法に入ります。私はこれからご紹介する、潜在意識にある制限的な信念を変えて、人生を設計し直す方法を「大人の特権」と名付けました。この方法は子供向けではないからです。あなたの自我が既に確立していて、感情的に安定している必要があります。

大人の特権には、二つのパートがあります。一つは、あなたの魂の意志を知る方法。もう一つは、潜在意識にある信念にアクセスして、それを変える方法です。


魂の意志を知る方法

これは一定期間、毎日行う必要があります。多くのみなさんにとって意外な方法かも知れません。

毎朝このように言って一日を始めてください。「私の最愛の魂よ、私が本当に経験したいと望んでいることをはっきり認識できるように、疑いようのない物理的現実や象徴やメッセージを通して、私の目の前に現してください。そしてそれが正しいことがはっきり分かるように、ハートのフィーリングで知らせてください。」

毎晩寝る前にこのように言ってください。「私の最愛の魂よ、私が本当に経験したいと望んでいることをはっきり認識できるように、夢の中の象徴やメッセージを通して、私に伝えてください。そして私がその夢をはっきり憶えていられるようにしてください。」

書かれている言葉通りでなくても構いません。あなた自身の言葉で言ってください。最も肝腎なことは、あなたが魂の意志を知ることを「望む」ことです。他の誰かがあなたの代わりにすることはできません。あなたが自発的に望まない限り、魂の意志を知ることはできません。そしてそれ以外に方法はないのです。シンプルですね?

あなたが魂の意志を知る準備ができていれば、言葉の通りに本当に知ることになります。もしこういう言葉を言うのに抵抗があるなら、単にあなたはまだ望んでいないというだけです。良い悪いはありません。

魂の意志には、例えば「こういう職業に就く」というような具体的な場合もあれば、「誰もが側に来て安心できるような、寛容な自分になる」というような抽象的な場合もあります。とにかく一人一人全然違うので、一般化することはできません。でも、魂の意志には必ず快いフィーリングが伴います。もしフィーリングが何もないなら、それは魂の意志ではありません。それは言葉や概念のようなものではなく、ハートの「感覚」なのです。それが魂の話し方です。魂の意志に従って行動するのは、スピリットの流れに乗ることでもありますから、楽しいことです。喜びなのです。退屈するなら、あなたは魂の意志に従って行動していません。これは大切なポイントですので、ぜひ憶えておいてください。

何かをしたい「衝動」を感じた場合はどうでしょうか? 衝動は、火山の爆発と同じように、内部の圧力を一気に解決するための感情の動きです。そういう意味では魂の意志の一部とも言えます。でも、ちょっと待ってください。衝動には、現実逃避や同じことの繰り返しが背後に隠れている場合もあります。「今すぐ仕事を辞める!」「昔やっていたことをもう一度やってみよう!」「今楽しめることをもっとやろう!」そういう性急な衝動は、どちらかと言うと、今までの生き方に属する可能性があります(そうではない可能性もあります)。以前持っていた情熱を取り戻そうとしているのかも知れません。意識が進化すると、以前と同じ状態に戻ろうとする方がかえって大きな苦痛になります。ですから、衝動に従って極端な行動を取る前に、次の「信念を置き換える方法」をやってみてください。ここで言っている快いフィーリングは、激しい情動とは違います。とても微妙で優雅なものです。今からの生き方では、目的地に辿り着くために、最も緩やかな道を通ります。ちなみになぜハート(胸)で感じるかというと、そこに魂があるからです。

遂に魂の意志を知ることが出来たら、いよいよ行動するわけですが、あせってはいけません。スピリットには適切なタイミングがあって、早過ぎてはいけないのです。魂の意志に従って行動しても、タイミングが早過ぎると、なお困難や抵抗があります。ですから再び、ハートの感覚を確かめてください。魂への質問はこうです:「今が行動するタイミングですか?」魂に「何月に引っ越すべきでしょうか?」と聞いたりしないでください。実は、魂もスピリットも、いつタイミングがやって来るか知りません。でも「今」がそのタイミングかどうかなら、確実に答えてくれるでしょう。タイミングが来ているとき、ハートは歌い出します! ですから、定期的にタイミングを確かめてください。あなたが魂の意志を適切なタイミングで実行に移すとき、ものごとはとてもスムーズに動きます。簡単で、周囲が協力的で、ものごとが魔法のように進むなら、そしてあなたが心から楽しんでいるのなら、あなたはスピリットの流れに乗っています! それから、他の多くの事とは違って、魂の意志を実行するには、決して遅過ぎることはない、ということを知ってください。


信念を置き換える方法

あなたが持っている信念の多くは、子供の頃に大人から教えられたものです。子供の頃は自我があまり発達していないので、見聞きしたことが吟味されることなしに、ダイレクトに潜在意識に入って行ってしまいます。ある考え方やものの見方や価値判断が潜在意識に入ると、それが信念となり、あなたの自我(顕在意識)の働きと魂(無意識)の働きの両方に影響を及ぼし始めます。

あなたの意識の主要な部分が自我(ベータ波)で占められているとき、つまり起きていて昼間の活動(家事・仕事・勉強・運動など)をしているとき、あなたは自分が保持している信念のほとんどに気づくことすら出来ません。信念は潜在意識の中に入っています。あなたが考えることと、あなたの信念が食い違っていることもよくあります。例えば、あなたは表面的には「男女が平等に社会的役割を選択できるようにするべきだ」と考えているかも知れませんが、深いところでは「女は家庭を守るべき存在だ」と信じています。でも、あなたは気づいていないので、自分を進歩的な人間だと思っています。そして、社会へ出て活躍する強い女性を尻目にかけ、なぜか面白くない自分の気持ちに戸惑ったりしているでしょう。「自分は進歩的な考えを受け入れているはずなのに、どうしてこうも腹立たしいのだろう。いや、そんなはずはない。私は腹を立ててなどいないんだ!」

潜在意識にゴムボールがぎゅうぎゅうに詰まっている様子を想像してみてください。「制限的」な信念をたくさん持っている人の潜在意識は、こんな風です。それは自我と魂の通信を妨げます。自我の認識を変質させ、魂が創造する世界を歪めてしまいます。制限的な信念は、現実の本質的理解を妨げ、あなたが欲しい現実を自由に創り出すためには障害になります。たくさんの嘘の欲望(幻想)であなたの目を曇らせます。制限的な信念とはどんな信念でしょうか。それは「本当に欲しいものは滅多に手に入らない」「お金は苦労して手に入れるもの。それ以外の手段で手にしたお金は汚い」「強い者がすべてを手に入れる。人生は勝たなければ無意味だ」「憐れな小市民には世界を変える力などない。権力に盾突けば痛い目を見ることになる」「人生は荒れ狂う海に浮かぶ小舟のようだ。運命は時に私たちを弄ぶ」「人生は闘いだ。本当に信頼できる人間はほとんど皆無に等しい」「もっと強くならなければ。病魔が非情にも私から命の炎を奪い去る前に」「人生に目的はないのだから、私を楽しませてくれるものにしがみついていなければ」といったものです。リストは延々と続きます。最初にお話しした大人のルールは、こういった信念ではないでしょうか? 要するに、「自分には変化を創り出すだけの十分な力がない」という発想に行き着きます。本当にそうでしょうか? 私たちが受け継いだ制限的な信念は、文化と呼ばれています。私たちは文化を大切にするように教育を受けますが、本当に成長しようと思ったら、古い信念を受け継いではいけません。でも、もう既に受け継いでしまいましたよね。私たちの文化の大きな特徴になっている、「男は女よりも偉いのだ」という信念は、人間の魂を汚します。日本は精神性の高い国だと信じているでしょうか。ええ、日本は他の国と同じ程度にスピリチュアルです。

信念というものは、すべて制限ですが、「比較的」制限のない信念というのもあります。文化は、すべてが制限というわけではなく、もちろん素晴らしい遺産もあります。日本人が誇りにして良い精神文化はたくさんあります。比較的制限のない信念とはどういうものか、自分で判断できるようになることが大切です。比較的制限のない信念とは、「内面の認識を変えさえすれば、瞬時に物理的現実に影響を及ぼすことができる」「すべての人が豊かになることを許すなら、お金は自由に流れ出す」「自分の体に気づいていることによって、健康を維持することができる」「準備ができれば、必要なものは向こうからやって来る」「知りたいと思えば知ることができる」「魂の意志を実行して天才になることができる」「自分以外の誰かに依存せずに幸せになることができる」といったものです。これらの信念は、制限的な信念よりも遥かに合理的かつ現実的であることに気づいてください! 制限のない信念は、夢や幻想の世界とは違います。例えば、「私は年間一兆円を稼ぎ出すことができる」とか「私は空を飛んで、アンドロメダ銀河へ行き、大天使と会って、天界のヒエラルキーの頂点に君臨し、地球を救う」とかの信念は、実際には制限的な信念です。不可能です! もしあなたが非現実的なほどたくさん欲しいなら、あなたは「私は持っていない」と信じています。あなたは無価値感の中に閉じ込められているのです。

例えば、あなたは新聞記者になりたいとしましょう。

ケース一:あなたは小学生の時、学校の先生に「あなたの文章はまとまりがないわね」と言われ、国語で悪い成績を取りました。それが原因で「自分は文章を書く仕事には向いていないかも知れない」と信じています。あなたが新聞記者になるという夢を持ったとき、その望みは「文章を書く仕事には向いていない」という潜在意識にある信念に阻まれて、魂まで届きません。あなたは学校へ行き、申し分のない知識と国語力を身に付けました。それから新聞社の就職試験を受けに行きますが、なぜか面接で落ちてしまいます。

ケース二:あなたは小学生の時、学校の先生に「あなたには無限の可能性がある。何でも好きなことをやりなさい」と教えられました。あなたは自分の国語力に関して何の疑問も信念も持っていません。あなたが新聞記者になるという夢を持ったとき、その望みはストレートに魂に伝わります。あなたは「できる」と信じています。すると、あら不思議! あなたは新聞記者の人と知り合います。それで記者になるためにはどういう勉強をすれば良いのか適切なアドバイスをもらいます。あなたはつつがなく準備を整え、新聞社の就職試験を受けに行きます。あなたは面接官と意気投合して和やかな雰囲気で面接を終えることができ、見事合格します。

何が起きているのでしょうか? これは信念がどのように働くかについての一例です。この単純な仕組みはどんなことにでも当て嵌まります。あなたが「自分にはできない」という制限的な信念を持っていなければ、あなたは「無意識の協力」と呼ばれる助けを得ることができます。つまり、あなたの魂が望みを現実にしてくれます。思い付くことが出来るなら、ほとんどどんなことでも実現可能です。この物理的現実では、外側の世界を思いのままに操作したり、二つの矛盾する望みを同時に叶えることは不可能です。でも、私は敢えて言いましょう、「あなたが現時点で想像できる以上のことを、あなたは実現するでしょう。」一瞬で出来るとは言いません。どれほど時間がかかるかは予測できませんが、不可能だという信念を捨て去ることが出来れば、必ず実現します。これは宇宙の法則ですが、そのことをあまり知らない私たちは、制限的な信念に挑戦する前に、早々と望みを諦めてしまいます。もったいないことだと思います。

信念を置き換えるのは、本当はできないと思っているのにできると信じ込む、ということではありません。できない、という信念をなくせば、新しい信念は自ずと生まれます。

この方法は、自分でも意識していない制限的な信念にまず気づくことと、それを意識的に新しい信念に置き換えることの両方を行います。リラックスしたアルファ波の状態で行います。ただ目を閉じるだけで、誰でもアルファ波の状態になりますから心配は要りません。それからあなたの人生の好きな分野を取り上げ、身体の感覚に注意を向けます。そこに制限的な信念が眠っています。あなたは身体の感覚と文字通り「対話」することになります。あなたの制限的な信念は、おそらく子供の姿で現れるでしょう。その信念を初めて受け入れた時の年齢のあなたの心の風景を再び見ることになるでしょう。その年齢で、感情的な成長が止まっているのです。イメージを頭の中で無理矢理作り出そうとしてはいけません。それよりもずっとシンプルなことです。あなたが許せば、「感じる」ことができます。感情も浮上しますが、あなたがそれに飲み込まれることはありません。あなたは感情をコントロール出来ます。若い頃のあなたではなくて、知らないおじいさんやおばあさんの姿が見えて来ても驚かないでください。あなたがその信念を受け入れたのは、「この人生」ではないかも知れません。すべては繋がっているのです。あなたは新しい信念を自分で考え、あなたが対話している相手に分かり易く伝え、心の風景の土の中に「種」として植えてもらうようにお願いします。多くのみなさんはこの方法を難しそうと思うかも知れません。でも、私が言わんとしていることが一旦伝われば、とても簡単であることが分かるでしょう。詳しいみなさんは、「これは、インナーチャイルドと同じですね」と思うでしょう。その通りです。この方法は、インナーチャイルドを癒すことよりももっと野心的であることに、みなさんは気づくことになるでしょう。

ではやってみましょう。


☆一時間くらいの間、完全に一人になれる時間と場所を見つけてください。誰にも干渉される可能性がない静かな場所です。電話は切っておきましょう。

☆ゆったりと椅子に腰掛けて、自分が知っている一番効果のある方法でリラックスします。音楽をかける場合は、歌ではないものを選んでください(歌詞が集中の妨げになります)。横になっても構いませんが、途中で眠らないように気を付けてください。眠くならないためにカフェイン入りの飲み物を飲まないようにしてください(カフェインは刺激物です)。

☆あなたの人生で今一番気になっている分野を一つ選びましょう。例えば、あなたは仕事が詰まらないと思っているとしましょう。この例では仕事を分野として選びます。

☆目を閉じてください。ここから先は、ずっと目を閉じたままでいてください。その分野についてしばらくボーッと考えてみましょう。例えば、職場にいるのを想像してみると良いでしょう。

☆体に意識を向けてください。どこかに違和感や不快感がありますか。たぶん、あるはずです。気づいてください。

例:体に意識を向けると、肩が緊張しています。胃がむかむかします。すねの辺りに少ししびれを感じます。

☆感じていることをできるだけ忠実に言葉にしてみましょう。口に出して言ってみるとさらに効果的です。

例:「肩が凝っています。胃がむかむかしています。すねの辺りに言葉にできない妙な感覚があります。」

☆体の感覚の中で、自分にとって一番慢性的な症状だと思われるものを一つ選びましょう。

例:胃のむかむかを選びます。

☆息を深く吸い込みながらその感覚を意識しましょう。十分に体の感覚に気づきましょう。

例:深呼吸しながら胃のむかむかを十分に感じます。

☆十分に意識したその感覚と、対話を始めましょう。その感覚が、あたかも人格のある相手のようなつもりで、話し掛けてください。このように聞いてください:「私に何か伝えたいメッセージがありますか?」

例:胃の感覚に話し掛けます。「私に何か伝えたいメッセージがありますか?」

☆言葉が聞こえて来るとか、何か映像が見えて来ることを期待しないでください。何が起こるか予測はつきませんが、確実に何らかの反応が返って来ます。ただリラックスして、待ってください。おそらく、どこからともなく急に何かが思い浮かんだり、何かを感じたりするでしょう。

例:始めは何も感じませんでしたが、急に、子供の頃に母親に叱られている場面が浮かんで来ます。

☆返って来た微妙な反応を、意識してつかまえてください。すると、もっと具体的になって行きます。

例:母親に言われたことを思い出します。「ぐずぐずしないの。さっさとやりなさい。」その時にまったく同じ胃のむかむかを感じたことを直観します。

☆具体的になって来たその感覚が相手だと思って、こう聞いてください:「あなたは何を信じていますか?」リラックスして待っていると、何らかの反応が返って来ます。その感覚ができる限り忠実に表現されるように、言葉に直して、口に出して言ってみましょう。

例:具体的になって来た子供の頃の記憶に向かって、問い掛けます。「あなたは何を信じていますか?」しばらく待っていると、小さな男の子としてのあなたが、「僕は何一つうまくできないんだ」と言っているような気がします。がっかりするような感覚があります。「私は何一つうまくできない」と口に出して言います。

☆論理的で優しい、分別のある大人として、あなたが今感じている心の風景に語り掛けます。あなたは今や大人で、その制限的な信念を持ち続ける必要はないことが分かると思います。心の風景を相手にして、分かり易く筋が通った言葉で、その信念がもはや正しくないことを説明してください。相手が子供なら、子供の言葉で話しましょう。

例:男の子に優しく語り掛けます。「君は母親に叱られて傷ついたかも知れない。それで自分のすべてがだめなんだと思い込んだんだね。でもそれは正しくないんだよ。大人になった君は、社会人として立派に働いている。のろまなんかじゃない。会社でだって、ずいぶん認められているんだよ。本当は、君がうまくできることはたくさんある。そうだよね?」

☆あなたが対話している相手と一緒に、成長した大人としての新しい信念を象徴する短い言葉を、考え出してください。創造性を遺憾なく発揮して、あなたが現時点で考えることが出来る、最も制限のない一文を作ります(かと言って、あなた自身が受け入れられないような非現実的な言葉を選ばないでください)。新しい信念が決まったら、相手にそれで良いかどうか聞いてください。もし答えがイエスなら、ハートに喜びの感覚がやって来ます。もし答えがノーだったら、もっと言葉を簡単にしてみてください。新しい信念を象徴する言葉の頭に「私の存在の全体性から」という言葉をくっ付けて、声に出して三回繰り返します。どうしても新しい信念が決まらない場合、この言葉を三回繰り返してください:「私の存在の全体性から、私はこの信念を変容させます。」あなたが対話している体の部分に、響かせてください。

例:男の子と対話をします。「君は自分がのろまだと信じているから、大人の僕は仕事でいつもプレッシャーを感じていて、先に進めないでいるんだよね。じゃあ、新しい信念はこれでどうだろう。『僕は人の意見に惑わされず、いつでも自分の才能を完全に発揮することができる。』分かるかな? それでどうだろう?」あなたはイエスのサインをハートの喜びとして受け取ります。「私の存在の全体性から、私は人の意見に惑わされず、いつでも自分の才能を完全に発揮することができます。」この言葉を声に出して三回繰り返します。・・・あるいは・・・今のところは、この感覚をどうしたら良いのかはっきり分かりかねています。「私の存在の全体性から、私は何一つうまくできないという信念を変容させます。」この言葉を声に出して三回繰り返します。

☆あなたが言った言葉が中に入っている種を想像してください。その種をあなたが対話している相手に渡し、それをどこか好きな場所の土の中に植えて来てくれるように頼みます。種を植え終わったら、もう一度戻って来てくれるようにお願いしてください。

例:想像の世界で男の子に種を渡し、こう伝えます。「この種を好きな場所の土の中に植えて来てくれるかな。植えたら戻っておいで。」

☆リラックスして、対話している相手が、種を植える作業を終えて戻って来るまで待ちましょう。すべてが完了したとき、あなたは何らかの合図を「感じる」でしょう。たぶん、それほど時間は掛からないでしょう。

例:男の子がにこやかに戻って来るのを感じます。

☆対話している相手にお礼を言って、お別れします。

例:男の子に「どうもありがとう。君のことを誇りに思っているよ」と伝え、想像の中で抱き締めます。「じゃあ、さようなら。」

☆深呼吸をして、ゆっくりと目を開けます。


残念ながら、この方法は一回ですべて解決というものではありません。一日に何度もやらないでください。そうではなくて、日を置いて、同じ分野に何度か取り組むと良いと思います。一回終わる度に、気づいたことをメモしておくことをおすすめします。すると、あなたの信念が実際に変化して行くのを実感できます。それから、ただのお水をたくさん飲んでください。感情の残りかすのようなものは、水と一緒に体の外へ出て行きます。

信念が変わると、すべてのことに影響を与えます。人間関係や、物理的現実が変化しますから、心しておいてください。

慣れて来ると、この方法の肝がつかめるようになると思います。細部にこだわる必要はありません。創造的になって、どんどんアレンジしてみてください。あなた独自の方法が出来上がるかも知れません。


これは新しい知識ではありません。実際、古い知識です。

私たちは、思考によって現実を構築する建築家です。厳密に言い換えれば、大脳新皮質 (cerebral neocortex) の神経細胞 (neuron) の接続によって構築される人格 (personality) を通して、量子場 (quantum field) と呼ばれる、すべての時間と空間が同時に存在する神秘的な場から、エネルギーを絶えず物質へと崩壊させています。それが私たちが現実と呼ぶものの性質です。

電磁コイルを一つ、思い浮かべてください。このコイルは、あなたのある一つの思考を象徴しています。どんな思考でも構いません。この電磁コイルが持つ極性によって、原子や分子が引き寄せられるのを想像してください。一定の時間が経つと、ひとまとまりの原子や分子が凝縮して、回転が遅くなり、固体として現れるのを想像してください。

さて次に、このコイルの芯に、磁石を入れましょう。磁石は、あなたの感情の象徴です。磁石を芯にしたことで、この電磁コイルの引き寄せる力が、何万倍にも強くなるのを想像してください。

これは単にたとえ話に過ぎないのですが、現実の性質をうまく説明しています。

さて、私たちがどんな思考によって現実を建築しているのかを探ってゆくに当たって、一番基本的なところから始めましょう。人生の意義。あなたは、人生の意義、あるいは人生の意味をどう定義していますか? 紙と鉛筆を取り出して、あなたの人生の意義を書いてみてください。何か素晴らしい哲学談義を書くのではなくて、何かとても正直に、自分の人生の意義について「感じて」いることを書いてください。

考えていること、ではなくて、感じていることを書くことには重要な意味があります。あなたが感じていることは、あなたの基本的な信念を表しています。あなたが感じることは、あなたが受け入れていることであり、あなたにとっての現実なのです。私は、特にそれを感情性 (emotionality) と呼ぶことにします。

例えば、もしあなたが、「人生は退屈で詰まらないものだ」と「感じて」いるとします。すると、あなたはそのような観点から現実を創造していて、本当に人生が退屈です。「人生は退屈だ」と信じている人が、毎朝、喜びとともに飛び起きると思いますか? そういう風にはなりません。人生が退屈だと信じていれば、うつ病になるのが自然の成り行きです。ですから、まず人生の意義について、あなたが感じている内容を知る必要があります。

ある思考が、それに関連する体験の記憶と感情に結び付くと、信念になります。信念は、強力な電磁石です。信念は、似たような性質の現実をさらに引き寄せますから、それによって、自らをさらに強化するのです。

次に、自己の定義について、見てゆきましょう。あなたは、自分自身をどのように定義していますか? ここでも、あなたの考えではなくて、感じていることを書いてみてください。あなたは、自分自身をどう感じていますか? あなたは、自分自身に価値を感じていますか、それとも、感じていませんか?

もしあなたが、自分自身をちっぽけな存在だと感じているとしたら、自分の才能を素晴らしく発揮して生きることは無理だろうと思いませんか? 何か素晴らしい機会が目の前にやって来ても、あなたは無意識のうちに、それを避けてしまいます。信念はそのように働きます。

あなたが、人生の意義、自己の定義について何を感じているか知ることが、どれほど大事なことか分かって来るはずです。それらは、あなたの現実の基盤となる「基本的な信念」に属しています。基本的な信念とは、あなたが普通に感じていることです。自分にとってあんまり普通なことなので、その存在に気づくことがありません。あなたは、自分の基本的な信念と自己同一化 (self-identification) しているのです。

ある年齢、おそらくは十二歳くらいまでは、大脳新皮質の神経細胞には可塑性 (plasticity) があって、変化への柔軟性があります。例えば、ある年齢までは、環境に応じてどんな言語も習得することができます。ところが、ある年齢を過ぎるとそれができなくなります。神経細胞の可塑性が減少して、接続がかなり固定化されるからです。一般に、人格の形成期は、神経細胞の可塑性が減少することによって終わります。それ以降は、同じ思考を繰り返し行うようになるのです。ほとんどの人は、自分と自分の人格を同一視しますが、断じてそうではありません。誰が何と言おうが、違います。

私たちが生まれた時、赤ちゃんの時、私たちは人格を持ちません。ある年齢までは、人格にも可塑性があります。私たちが一般に人格と呼んでいるものは、両親(あるいは育ての親)、兄弟姉妹、友人、教師、憧れの存在などからほとんど無意識的に受け継いだ、感情性のことです。私たちが過大評価しているほどには、人格にはオリジナリティがありません。人格は、感情的な態度の「パッチワーク」のようなものです。ある年齢までは、人格自体に柔軟性がありますが、それ以降はある程度固定化されます。では、人格が固定化される以前に存在するのは、一体「誰」なのでしょうか?

人格が固定化される以前にも、もちろん意識はありますし、個性もあります。そこにあるのは、魂の膨大な可能性です。小さい子供を見ていると、一人一人、個性的ではないでしょうか。私たちは大人になるにつれて、没個性的になるのではないでしょうか。私たちは、子供には無限の可能性があることを直観的に知っています。それには、科学的な妥当性があります。人格が固定化されていなければ、自由に思考することができ、変化や成長の機会が無限に広がっているわけです。

私たちは、大人になるにつれ、過度に感情的に条件付けられてしまい、過度に社会に適応して、変化を恐れるようになります。本来、人格は常に変化してゆくものです。子供は、外部のいろいろな影響を受け入れて、その都度人格を成長させてゆきますが、大人になると、柔軟性がなくなって、「自分はこれまで、ずっとこういう自分だった」というフリをし始めます。もちろん、勘違いです。あなたは人格ではありません。そもそも、私たちが自己同一化している人格というものは存在しません。自分と人格を同一視してしまえば、成長はありません。少しでも変化してしまうと、自分が自分じゃなくなってしまうという理由で、人格は変化を恐れます。人格もあなたの創造物で、あなたの一部だと言えますが、ずっと変わらない本質だけが、本当の「あなた」です。

もし、あなたが過去の記憶をすべて失ったとしたら、あなたの人格に何が起こるでしょうか? あなたの人格は、過去の記憶で構成されていますから、過去がなくなれば、人格も消えるのです。では、過去がなくなり、人格が消えたら、あなたはあなたではなくなるのでしょうか? いいえ、です。

もっと深く入って行きましょう。家族について。あなたにとって、家族とは何ですか? どんな意味がありますか? あなたが家族について「感じて」いることを書いてみてください。あなたの家族に対する感情的な態度が、あらゆる人間関係にも反映しますので、それを知ることは重要です。

さて、人生の意義、自己の定義、家族の三点について、あなたの信念を書いてみたでしょうか。ではそのリストを、まったく「あなたのことではない」と仮定してみましょう。どこかにいる、別の人が持っている信念のリストだと思ってみてください。カウンセラーになったつもりで。そして、このリストを見ながら、その人の人生の状況が今どうなっているか、これからどうなってゆくのか、予想してみてください。客観的に、論理的に。このような信念を持っている人の人生は、どんなだと思いますか? 何か新しい洞察が得られるでしょうか。

私が、声を大にして言いたいのは、次のことです。別に信じなくても構いません。

あなたは、あなたの思考と同じではありません。

あなたは、あなたの感情と同じではありません。

あなたは、あなたの信念と同じではありません。

あなたは、あなたの思考と感情と信念を、

意識的に変える能力を持っています。

もし、私たちの信念が現実を創造しているのであれば、一番最初に変えなければいけないのは「すべてのものごとは、私の思い通りにはならない」という信念ではないでしょうか。誰でも、程度の差こそあれ、持っている信念です。思い通りにならないと信じていれば、本当に思い通りにならないのではないでしょうか。ですから、私からの新しい提案はこれです。

すべてのものごとは、あなたの思い通りに実現して来ています。

伝説 水の音

 五月の雨。雨足が強く、ざあっという音を立てて降っている。地面には、すぐには沁み込まずにいる雨がうっすら残り、ぱしゃぱしゃ撥ねているのが見える。僕は縁側に坐って裸足をぶらぶらさせる。湿った生暖かい風が吹く。少し暑くて汗をかいているようだ。初夏の風は山や野原の土や植物の匂いを運んで来る。その匂いを感じながらこんな光景を脳裏に思い描いていた。
 雨がざあざあ降る中、男が山道を駆け下りて来る。笠をかぶり蓑を来て。草鞋は水浸しになり、足首は撥ね上がった泥で汚れている。林の向こうに視界が開けて、霧に霞んだ集落が現れる。ああもうすぐだ、と男はほっと胸を撫で下ろす。
 その頃の植物は、今よりも力強さがあったのではないか。人間と植物の間には、超えてはいけない境界のようなものがあって、自立した植物の生命力に近寄り難さ、というのか畏敬の念を持っていた。鬱蒼とした暗い森の中を一人で歩くようなときには一層、静かな空気の中に植物の精気が漲るのを感じただろう。
 今は違う。人間が植物を支配している、というより植物が人間に翻弄されているかのようだ。人間は、自己の目的のために植物を改良したり薬にしたりして来た。最近のバイオテクノロジーは植物を利用し尽くすかのごとくである。利用することが悪いのではない。ただ彼らの了解を得ていないのは自分勝手だと思うのだ。
 そんなことを考えながら、僕は雨が降るのを眺めていた。僕は座敷に戻り仰向けにごろんと寝転んだ。外が少し暗いので昼間からつけている蛍光灯の明かりを瞼に感じながら、しばらく天井を見つめていると眠くなって来た。
 ウトウトしかけていると羽音を立てながら何処からか蚊が飛んで来た。気になって耳を傾けていると案の定血を吸いに来た。腕に止まったところを見計らってペシッと叩いた。潰れた蚊の体内から出た赤い血がべとっとくっ付いた。たぶん先に誰かの血を吸って来たのだろう。潰れた蚊の姿をじっと見た。さっきまで生きていたのだ。ではいつ死んだのだろう。叩かれた瞬間か、それとも叩かれてしばらく経ってからであろうか。叩かれてからしばらくは足をぴくぴくさせたりしていることが経験上多いのだ。叩かれた直後には、まだ体は生きていたに違いない。生物が物体に変わってしまう瞬間が不思議なのだ。何かのテレビアニメのように、魂がふうっと体を抜けて何処かへ飛び去ってゆくとでも云うのだろうか。
 僕は寝転がった姿勢のまま腕を伸ばして卓上に放ってあるテレビのリモコンを掴んでスイッチを入れた。お笑いの二人組が司会のバラエティ番組の再放送らしきものがやっている。タレントさんたちはわいわい楽しそうに喋っている。番組があまり面白くなかったのでテレビを消して、外に目をやると雨が止んでいる。雨後の鳥の囀り声に誘われて、散歩にでも行ってみようかという気になった。
 玄関でサンダルをつっかけて外に出ると、もうっとした空気だ。いろいろな匂いが混じり合った雨の匂い。こういう何とも形容し難い匂いを、僕は水の匂いだと云っている。玄関から続く砂利道を歩いて敷地の外へ出ると、目の前はずーっと田んぼで、田植えされたばかりの苗が静かに水面に映っている。道端には紫露草の三角形の花が水に濡れている風情だった。
 家の前の通りを右に曲がって、道幅の狭い舗装された道路を、水溜まりを避けながらとぼとぼ歩き始めた。道路の左側には細い用水路が通っており、ときどき段差のついている場所で水が下に勢い良く流れ込み、ざぶざぶという大きな音を立てているのだった。そう、この音だ。近頃、水の音が僕を不思議な追憶へと駆り立てるようになっていた。昔のことを思い出すような、それも大昔の、水の中にいるような懐かしいイメージ……
 北の空の雲が晴れて、西にどんよりと残る雨雲が太陽の光を遮っているせいで、光が微妙な陰影を作り出し叙情的な景色である。こんな時の散歩は、人を切ない情感の世界へと引きずり込んでしまう。右手に小高くなった森の緑を眺めながら歩いて行くと、水車小屋に近付いて来た。この村にある三台の水車の内の一つである。水車は絶えず回転しながら水路の水を低い所から高い所に汲み上げている。滴り落ちる水が清新に感じられる。私たちの人生もこの水車のように絶え間なく回転しているのであろう、などと考えた。
 雨の音、水の流れる音、気泡の立つ音、こぼれ落ちる水、水しぶきの冷たさ、水の匂い……こうしたものに僕は感覚的になる。そしてどういうわけか遠い記憶へと意識が向けられてゆくのだ。僕はその記憶を手繰り寄せようとする、だがそれは内面の奥深くに存在する漠然とした感性なのであった。感性でありながら確かに現実に存在するもののように思われた。このような思いに囚われているときには、妙な幸福感があるのだった。

植物日記

土の感触を忘れてしまってから、生きることが難しくなってきた。
気が付いたときには、迷子になっていた。
虚空を泳いでいて、帰る場所が見当たらない。
私はずっと泣いていた。

どんなことがあっても地球が食べさせてくれる。
そういう支えを感じてはじめて私は生きて行くことができる。

もう一度土と繋がりたい。
その願いが強くなった。


植物は
手を伸ばせばそこにいて
涙を拭ってくれる
優しい女性の抱擁のようだ

それなのに私はただ立っていて
待っていて
叫んでいる


例えば
赤い実がなっている
オレンジ色の花が風に揺れている
焚火の煙が青空に上っている
線香の匂いがする
秋の日に

部屋の外には光が溢れている
澄んだ驚き
自分一人じゃもったいない
誰かに伝えたい


いつも心に引っ掛かっている

美しいプラスチックが
土に還る日は来るのだろうかと

100万台のテレビや冷蔵庫や
車やビデオデッキは
どこへ消えてしまうのだろうかと

100万本の殺虫剤や洗剤や塗料は
どこに流されているのかと

本当は知っている
土を通して
私の血の中へ流れ込んでいることを


太陽があった。

光だけが存在していて
目の前にあるものは影が織りなす幻に思える

遠くから、あるいは頭の奥底から聞こえてくる
懐かしい響きが呼んでいる
それは小さな陽光を伴っている

私はここにいるのだろうか。


ある日突然、ドアが叩かれた。

一人で生きて行けるということも、私は一人であるということも間違っていた。
傲慢だった。

私は知った。どうしても愛が必要なことを。
空気と同じように、どこにでも存在するたくさんの愛が。

自分を愛することを学ぶために私は生きている。