死んだらどうなるのでしょうか? これは誰にとっても切実な疑問だと思います。なぜなら、(絶対とは言いませんが)私たちはいずれ今の人生における死を迎える運命にあるからです。死んだ後に私たちの身に起こることについて、私が知る限りの情報を現実に即してお話ししましょう。

私たちの多くが死を恐れています。ほとんどの場合、私たちは輪廻転生する存在なので、何度も死を経験して来ているにも関わらず、そのことをまったく忘れてしまっています。かつての死がトラウマを伴う体験であった場合、その瞬間の記憶を呼び戻すのは難しいことです。あまりにも死に対する恐怖心が強いなら、臨死体験についての本を読むことが役に立ちます。臨死体験をした人は共通して、死を恐れる必要がなくなったと話しています。

もしあなたが、人生は一度切り、自分が死んだらおしまいと信じているとしたら、残念ながら、私はそれは事実ではないと言わなければいけません。別に信じて欲しいというつもりはないのですが、どのみちあなたは死んでも自分の意識が消えていないという現実に直面することになるだけです。それに、もし本当にあなたが死んだらすべてが終わってしまうのであれば、最初から宇宙は存在していないはずです。その方が論理的な考えではないでしょうか?

死ぬ時に何を経験するのかは人それぞれ違います。あなたが信じている通りになるのです! 何だかいい加減に聞こえるかも知れませんが、本当のことです。しかしもちろん、死後の世界にも私たちの世界と同様に、ある種の構造はあります。

まずあなたが死後の世界の存在を信じていない場合をご説明しましょう。死に際して、あなたの意識は眠りに落ちる時のように(まさに同じです)薄れて、暗闇の中に入って行きます。その間、あなたの魂は肉体を崩壊させるのですが、あなた自身はそのプロセスにまったく気づかないでしょう。あなたは何もない暗闇の中で静かにしています。するとある時点で、次のことに気が付きます。「あれ? 私はまだ自分を意識している。これはどういうことか?」でも周りには何もありません。暗闇しかありません。あなたはますます混乱し、不安になります。しかしご心配なく、あなたはこの文章を読んでいます。もしあなたがこういう状況に陥ったなら、「誰かいますか?」と叫んでください。すると、急に視界が明るくなり、あなたのよく知る人(あなたよりも前に亡くなっている人)が助けに来てくれるでしょう。

もしあなたが信仰を持っていて、最後の審判の日にキリストが降臨するまでお墓の中で待たなければいけないと信じていたら、本当にその通りになります。あなたは自分の体の外に出ることになりますので、自分のお葬式に出席するでしょう。日本では火葬が主なので、仕方がないので自分のお墓の石の上にでも座って待つことにするでしょう。同じ信仰の友達と一緒に待つことになるかも知れません。キリストは本当にやって来ますが、あなたがその人物を信じるかどうかはまた別の話です。なぜなら、あなたはキリストの顔を知らないからです。本当に審判を受けることになって、あなたは神に自分がした善い行いや悪い行いを話すのですが、あなたが天国に行くか地獄に行くかは、あなたが何を信じているかで決まります。もしあなたが、内心慈悲深い神の救済を信じているとしたら、話はとてもスムーズになります。あなたは自分の罪深い行いを正直に告白しますが、神はこのように答えるでしょう。「あなたの罪は許されています。もっと詳しくご説明しましょう。」神の使者たちがあなたの人生に目的があったことや、あなたが学んだことについて詳しく説明してくれるでしょう。何も心配することはありません。しかしあなたが、内心自分は地獄に堕ちるだろうと信じていたとしたら、別のことが起こります。神はあなたに、「分かっているだろうが、お前は地獄行きだ」と言うでしょう。あなたは悪魔たちに地獄へ連行されるでしょう。でもあなたはこの文章を読んでいるので、心配には及びません。もし地獄に連れて行かれそうになったら、こう宣言してください。「私は自分を許します。私は天国へ行くことを選びます。」本当の神は審判を下すことはない、ということについて熟考してみてください。何か他の教義を信仰している場合も、同じようにあなたの信じている通りのことが起こります。

死ぬ時に、後に残した家族のことが極端に気懸かりだったり、自分を貶めた人々に復讐することを誓っていたり、人間生活が与えてくれた快楽に中毒していたりすると、あなたはいわゆる「地縛霊」になってしまいます。突然の事故などで自分が死んでしまったことに気づかず、しばらくの間地縛霊になってさ迷っている人もいます。と言うのも、地上の人生に強い執着を持っていると、死後も体を持ち続けるからです。もちろん肉体からは離れるのですが、赤外線の体で地上を歩くことが出来るのです。この赤外線の体は自分の肉体とそっくりで、少しばかり自由に動き回れて、食べなくても生きられるくらいの違いしかありません。あなたの側からは地上の人たちがよく見え、話し掛けることも出来ますが、不思議なことに、特殊な霊能を持った人以外は、誰もあなたの姿が見えないし声も聞こえません。透明人間と同じですね。そういう状態でものごとに影響を及ぼそうと努力しても、うまく行くことはありません。実際にはあなたは既に別の次元にいるのです。日本語では「幽界」と呼ばれている領域です。あなたに気づいてくれる霊感の強い人に出会うかも知れませんが、逆に光の方向に行くように説得されるかも知れません。すると確かに光のトンネルがあるのが見えるのですが、あなたは行きたくありません。あなたの心配が愛する家族のことだったら、あなたはいわゆる守護霊団の一員に迎えられ、地上の家族を守ったり導いたりするための一連のテクニックの訓練を受けることになるでしょう。そういう選択もあります。そこは地上を見下ろすような位置にあり、とても色が鮮やかに見えるのが特徴です。美しい建物や自然が豊富にあって、住んでいる存在も多く、自由で素敵な所です。この世界でもあなたは肉体に似た美しい光の体を持ち続けています。でも、(守護霊にもいろいろ種類がありますが)主に地上生活をサポートする役割の守護霊団の世界は、これからお話しする「天国」とは異なるということを憶えておいてください。あなたはいつでも光のトンネルを通って天国へ行く選択をすることが出来ます。死後も魂は成長の道を辿るのです。天国へは行かずに守護霊団の世界から再び人間に転生して来ることも可能ですが、もはやお勧め出来ない選択です。なぜなら、守護霊といえども、創造についての理解は依然として価値判断に基づいたものだからです。

科学的な人は、「そんなことはあり得ない。人間の思考は前頭葉の働きであり、記憶は海馬に記録されているはずではないか」云々と論じられるのではないでしょうか。それもそうですし、正しい姿勢です。でも現実には、記憶は魂に記録されており、脳がないのに思考できてしまうという現実に直面して、驚くことになるでしょう。死後も記憶は残り続けます。信じる必要はありませんが、本当のことなのです。

人間は死してから「霊」になる、と考える人がいると思いますが、それは少し違います。人間は生きている間から既に霊的な存在であり、霊界というものは特別存在しません。言い換えれば、地上も霊界の一部です。ちょうど私たちがしていることのように、生きている間に可能な限り精神を向上し、霊的な知識を理解し、愛する能力を拡大することが大切です。結局、それによって死んだ後にどの領域へ自分を導くことになるかが決まるからです。

さてここまでお話ししたことはすべて一般的なケースなのですが、この文章を読んでいるみなさんにとっては、別なことが起きることが予想されます。それは天国への直線コースです。みなさんの心の受容性が愛という現実に開いているからです。この地上以外に「故郷」があることを感じられるなら、あなたはこのコースを辿ります。

あなたはおそらく赤外線の体で外に出ることはないでしょう。あなたは(とてもリアルですが)夢うつつの状態で明るい場所に現れます。三途の川を信じていたら、まず川を渡るでしょう。あなたは向こう側がとてつもなく明るいトンネルのような道を歩いて行きます。まるでそうすることが当然のように感じるからです。風のような音が聞こえます。光を見ていると、不思議なほど恐怖心がなくなり、いい気持ちになります。あなたは光に迎えられ、光と一体になります。しばらくすると、あなたの良く知る人か、一目見ただけで親しみを感じずにはいられないような天使が、一人か二〜三人で出迎えてくれます。ちなみにこの存在は、生きている間にあなたを指導してくれていた高次元の霊的存在です(守護霊とは違います)。そこで、その霊的存在に見守られながら、あなたは自分独りで人生のすべてを振り返ります。それが必要なことなので、「見せられる」のです。ここで重要なのは、あなたは単に自分の人生を見るだけでなく、あなたと関わったすべての人の立場からも見ることになるということです。あなたは自分の行いの結果、他人がどう感じていたかを自分で体験するのです。面白いですね? すべてが繋がっていたことを体験します。人生のある時点で、あなたが別の選択をしていたらどうなっていたのか、ということもすべて見ることが出来ます。ときに辛い作業ですが、私たちは長い時間をかけてこの作業を完了させなければいけません。その後、私たちは天国に迎えられ、そこでずっと生活することも出来ますし、次の転生の準備をすることも出来ます。あなたは自分自身の全体性を「思い出します」。天国は圧倒的に自由な場所で、どんな体を纏うことも好きに出来ますし、好きな場所に住むことも、好きな仕事をすることも、何でも出来ます。会いたかった人と再会できる可能性もあります。そこは苦痛や悲しみといったものがなく、喜びに溢れた場所です。しかし、私たちの多くは自分が「やり残した」と感じる仕事を成し遂げるために、また地上へ戻ることを選びます。生まれ変わることを選ばず、多次元的に意識を進化させる人もいます。私たち一人一人は非常に個性的な存在で、個性的な意識の進化の道を歩んでいるのです。

私たちが最善のかたちで死を迎えるために、何が出来るでしょうか? 誤解のないように言いますが、自殺や安楽死のことではありません。自然死のことをお話ししています。そもそも死は、一つの人生で計画したことを遣り遂げた直後に、舞台から去り故郷へ帰るための自然なプロセスだったのです。しかし現代では、霊的な「常識」が大方失われているため、人生に目的があるのかさえ確信が持てず、いつ訪れるかも分からない死に抵抗するようになってしまいました。悲しいことですが、死に抵抗すればするほど苦しみも大きくなります。

あらゆる病気の根源は自己否定です。少し単純化し過ぎているかも知れませんが・・・若くして事故や難病などで亡くなる人の場合は違います。これには必ず霊的な計画が関与しています。本人が自覚していることもあります。もちろん罰を受けているのではありません(まったく違います)。私たちは自己否定的なあらゆる観念を取り除かなければなりません。これが一番先にするべきことです。

ほんの数十年前までは、私たちにとって自己の全体(魂)に繋がることはとても難しかったので、とにかく無我夢中で人生を生き抜くしかなかったわけですが、今は意識が自己の全体に繋がるまで拡大するのがますます容易になって来ています。それに新しいエネルギーのおかげで、いわゆるカルマや遺伝的制約を誰でも比較的簡単に解消することが出来るようになっています。カルマや遺伝的制約を解除すると、自分で選ばない限り何もものごとが起こらなくなり、人間関係やあらゆる人生の諸問題による苦しみが激減します(そのかわり、それまで自分が持っていたものも大分失ってしまいます)。本当に有り難い時代なのです。ですから多次元にまで意識を拡大し始めることが次に取るべき選択です。

「多次元にまで意識を拡大する」という言葉の意味は、自分自身の異なる側面を「思い出す」ということです。霊能者や超能力者にならなければいけないという意味ではありません(おのずと能力は開いて行きますが)。必ずしも体外離脱をして別の次元を訪れるという意味でもありません(いずれは体験することになりますが)。ある種の霊的な訓練の中には、人間としての自己(エゴ)や肉体を否定して、どこかの意識の高みへと到達しようとするものもあります。それでうまく行く場合もあるのでしょうが、私が提案したいのは、今いる自分を拡大するという方法です。自分のいかなる部分も否定する必要はありません。これは全然危険を伴わないやり方です。

具体的にどうすれば良いのかをお話しします。あなたが「体験したい」と心から望んでいる新しい現実についての知識を「受け容れて」ください。例えば、過去世を思い出すとか、未来を見るとか、体外離脱をするとか、チャネリングをするとか、興味があって、あなたの現実を多次元にまで拡大してくれそうな体験を選びます。本を読んだり、セミナーに出席したり、映画を観たり、友達と交流したり、情報源は何でも構いません。そしてその体験が自分に値するものだということを「知って」ください。あなたはその体験に向けて自分の脳を準備していることになります。脳がその体験を受け容れられるまで十分に準備されると、実際にそれが「起こります」。とてもシンプルな原理ですね。

これが死とどう関係するのでしょうか。私たちが様々な自己の側面を思い出し始めると、やがて自分は一個の肉体に閉じ込められている存在ではないのだということを確信できるようになります。すると死を迎えるのがますます容易になって行きます。それだけでなく、生きることにますます価値を見出せるようになるのです。

Email : midrashim@ainohoshi.fr

精神世界