変容

「変容する」という言葉があります。色々な意味で使われますが、「愛の星 友の会」では良い意味で「昨日とは別の自分になる」という意味で使います。これは単に自分自身についての見方を改めるというだけに止まりません。芋虫が蝶に姿を変えるように、実際にものごとの変化を伴う場合のことです。私たちの才能が大きく花開くこと、それが変容です。

私たちはこの世界に差し出すための自分だけの才能を持って生まれて来ていると言われていて、それは本当のことです。自分の意志の力だけでその才能を開花させられる人もいますが、種々の障害物のせいで自分だけでは出来ない人もいます。一生眠らせたままの人もいます。障害物の一番の代表は、「そもそも自分の才能が何なのか分からない」というものです。それもそのはず、多くの場合その才能は具体的なものではないからです。それは「きめ細やかな気配り」とか「集中力」とか「諦めずに続ける」とか「ユーモアのセンス」といった才能かも知れません。自分にとっては当たり前のことが、実はとてもすごいのだということに気づいていないだけかも知れませんね。そういう能力を生かしながら、何でも好きな仕事を選べば良いのです。選択の自由があるというのは素晴らしいことです。もちろん、とても具体的に、例えばスポーツ選手になるために生まれて来ているという人もいます。それはそれで、自分の道をまっすぐに歩いて行けば良いのです。もう一つの障害物に、「いろんな才能があり過ぎて、どれにすれば良いのか迷う」というのがあります。贅沢な悩みですね。様々な過去世で発達させた能力を色々持って来ているわけです。そういう場合は、自分が心から楽しめるものを一つ選べば良いと思います。楽しいことが幾つかあったら、全部やりましょう。ここで、あなたが一番「人からの評価が高いもの」を選んだら、おそらくは後悔することになるでしょう。楽しくないなら、あまり良い仕事は出来ません。才能を生かすと言っても、みんながみんな世界レベルの仕事をするという訳ではありません。世界レベルの人が偉いということでもありません。単に役割が違うだけです。才能に恵まれて大きな仕事をしているからといって、偉そうな態度を取ってはいけません。比較的ささやかな役割をしているからといって、肩身の狭い思いをする必要は全然ありません。霊的な観点からすると、職業の貴賎という考え方は完全に間違っています。神の前ではすべての存在が全体に貢献します。あなたが誰であろうと、神の炎を宿した神聖な存在であることに変わりはありません。

変容は新しいことを始めるということでもあります。人生が退屈に思えたり、今まで楽しかったことが楽しめなくなって来たら、そろそろ変容を選ぶ時期です。何も難しいことではありません。昨日は出来なかったことが今日は出来るようになって、それが自分にとって嬉しいことだったら、それがまさに変容です。例えば、昨日まではうまく作れなかったオムレツが、今日はうまく焼けて嬉しかった、これはあなたが変容したということでしょうか? もちろんそういうことです!

私たちは誰でも変容を経験したことがあります。子供の頃は、毎日が変容の連続です。昨日まで言葉を喋れなかったのが、今日初めて母親と会話した。自転車に乗れるようになった。逆上がりが出来るようになった。色々あります。本当にすごいことです。でもあなたは言います、「でもそれはほとんど誰にでも出来ることばかりです。」ええそうかも知れません。でも私は、あなたも変容の方法を良く知っているということを指摘したいのです。

変容の極意は「ごっこ遊びが本当になる」ということです。私たちは、大人になる段階でごっこ遊びを忘れてしまいます。子供はお医者さんごっことかおままごととかして遊びます。その役になり切って遊ぶわけです。あなたは思います、「でもそれは、本当に医者になることとは違います。」いいえ、同じなのです。医者になるためには勉強しなければならない、それはそうです。でもそれが楽しくて、嬉しいことでなかったら、どうやって勉強のための原動力を得るのでしょう? 人間は、誰でもごっこ遊びをしているものです。

あなたが子供の頃、もし「いくら練習しても言葉が喋れなかったらどうしよう? 自分にそれだけの才能がなかったらどうしよう?」と疑問に思ったとしたらどうなっていたでしょうか? あなたは学び、練習しました。楽しくて、遊びました。自分が言葉を喋れるということを疑ったことは一度もありませんでした。あなたは芋虫から蝶になったのです。奇跡が起きたも同じことです。大人だけが「出来なかったらどうしよう?」と考えるのです。

本来、学ぶことは楽しいことです。小学校低学年位までは、学ぶことは楽しいことであると教えられている子は勉強も良く出来ます。一方、周囲に学ぶことについてネガティブな感じ(義務感)を植え付けられている子は勉強が嫌いになります。それくらいの違いしかありません。それ以上の年齢になると、この文化では競争とか色々あるので、競争心が強い人や、プライドが高い人や、(愛情が不足しているので)人から認められたいという欲求が強い人が勉強して良い成績を取ります。要するにエゴが強い人です。そういう人たちが社会に出て要職に就くので、ますますこの文化を歪めてしまっています。

話が脇にそれましたが、私たちはこの原理を利用して何にでもなりたいものになることが出来ます。ごっこ遊びをしながら、学んで、練習して、「疑わない」ということです。科学的なあなたは言います、「でも遺伝的な向き不向きがあります。遺伝的に不利な立場にいる人たちは、いくら信じて努力しても出来ないことがあります。それに、例えば百メートルを四秒で走るなんてことは、絶対に不可能なことです。」確かに、遺伝的制約はあります。例えば近親者に優秀なスポーツ選手がいれば、あなたは身体能力に秀でていて、他の人と比べればずっと簡単にスポーツ選手になれるかも知れません。それは本当のことです。しかし霊的な観点から言うと、遺伝子も多次元構造を持っています。私たちの遺伝子には過去・現在・未来のあらゆる時空間に存在する全人類の情報が含まれています。かなりの話の飛躍ですね。それは分かっています。どこかの誰かが出来たことなら、その情報を遺伝子から取り出すことが可能です。あなたが「可能だ」と思えば、その部分の遺伝子が活性化し、利用可能になるのです。そうだとしたらあなたに不可能なことはありますか? おそらく何もないでしょう。「そんなバカな!」とあなたは言うでしょう。ええそうです。でも、誰もが不可能と思うことを、ふつうに「可能だ」と思い、本当に実現した人たちは歴史上たくさんいるのです。あなたも何人かご存じでしょう。

私たちが自分を愛さなければならない理由はここにもあります。自分を愛していないなら、自分が変容することを許すことも出来ず、成長が止まってしまいます。

変容にも個人的成長に関するものから人類全体に寄与するものまで色々種類があります。自動車学校についてお話ししましょう。自動車を上手に運転することは本当はかなり難しいことであるにも関わらず、現代ではほとんどの人が出来てしまいます。なぜなら、多くの人が習得したことで集合意識が練り上げられているので、「私にも出来るはずだ」と確信し易く、運転に関する遺伝子にアクセスするのが容易だからです。出来る人が増えるほど、容易になって行きます。私たちが難しい日本語の読み書きを修得できるのも同じ理由です。

では、例えば「瞬間移動する」という能力についてはどうでしょうか。出来る人はほとんどいません。私は物理は得意ではありませんが、量子物理学によれば、意識の力を使って瞬間移動することは理論的には「可能です」。理論的に可能ならば、いずれ可能になると考えるのは妥当なことでしょう。あなたが瞬間移動する能力を習得しようと決心しても、周りにはそれが出来る人は一人もいないかも知れません。あなたがそれを可能であると確信するには、相当な勇気が要ります。だから難しいのです。誰も出来なかったことが出来るようになると、あなたは宇宙に多大な貢献をしたことになります。これが冒険に満ちた人生の最大の醍醐味ではないでしょうか。子供のような素直な熱中がそういう場所まで連れて行ってくれます。将来、小学校で瞬間移動の方法が教えられ、ほとんどの人が出来るようになる時代が来るでしょう(本気で言っています)。意識はこのようにして常に進化し続けています。私たちは昨日とは別の自分を受け容れることが出来るのです。

Email : midrashim@ainohoshi.fr

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