資本主義のゲーム

みんな自分の利益だけを考えて生きて行くのは当たり前だし、その何がいけないの? という世の中なわけです。哲学的にはプロテスタンティズムが産業革命や資本主義の起動力になったというような話(マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)もありますが、たぶんその通りなんだろうと思います。基本的にお金を持てば持つほど、さらに儲かる仕組みが作られたわけです。お金を稼げる人になることが社会的に正しいとされます。だけど、社会的に立派とされるステータスの高い職業に就いている人や、便利な発明品の特許料で巨額の収入を得ている人に限って、大概は厭世的になったり自己嫌悪に陥ると相場が決まっているというのはどういう訳か、考えたことがあるでしょうか。資本主義のゲームというのは当然、能力の高い人ほど有利にプレイできるものです。勝ち組になれてかなりのお金が取れるようになる過程は、すごく面白いわけです。これは酔っぱらって麻雀をしているようなもので、冷静な判断はついてないけど楽しむことは楽しめている、という状態です。酔いが醒めて正気に返ってみると、方々に敵が出来ていたりして、のっぴきならない状況にはまり込んでしまっていることに気づいたりします。すると、そこから先は楽しいどころか苦しみの連続になるわけです。そういう人生はひどくむなしいものです。プロテスタンティズムが奨励した勤労や貯蓄が、神への奉仕という当初の理念をさっさと失って、功利そのものが目的にすり替わってしまったのと同じように、ステータスの高い仕事や科学的発明から理想が失われて、お金になることは何でも正しいと考えられるようになったことが、現代の不幸の一因になっているのではないでしょうか。便利だけれども最終的には人を不幸にする発明品というものがあります。儲かるけれども人を不幸にする仕事をする人はあまり幸せにはなれない、というのはまぎれもない事実です。かと言って、自分だけの利益を求めることに何の興味もなくなってしまうと、世の中ひどく生きづらいものです。でも、理想を言えばそこがスピリチュアルの出発点であるべきだと思います。功利を捨てて世間からは落伍者と呼ばれながらも、どうにか生きて人の幸せのために尽くそうと奮闘するみなさんに、心から拍手を送りたいと思います。生きているためには功利を完全に捨てることはできない、そこがジレンマですね。昔の覚者もみんな悩んだところだと思います。


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