楽しいだけじゃ物足りない

風に飛ばされるちり紙をひたすら追い掛けているというのが、これまでの私の人生の要約であります。追い掛けるそばからどんどん飛ばされるちり紙ですが、仮に捕まえられたとしても、そこに何かいいことが書かれているなんてことはあり得ません。そんなこと分かり切っているはずなのに、まだ追い掛けているわけです。人生のスピリチュアルな意義を追っているつもりなんですが、実のところ何をどうすればいいのかまるで分かっていないんです。突き詰めますと、自分は人とは違って特別だと思いたい性格が原因であったと思います。天界だの神界だのと呼ばれる別世界に自分の言動が影響を与えているみたいな、ニューエイジの大げさなコスモロジーに惹かれたのはそういう訳だったと思います。大げさであればあるほど、自分が特別になったような気分に浸れるからであります。自分が特別な役割を果たしていると真剣に思い込んで生きている(私のような)人が、実際にはまったく誰の役にも立っていないことはあり得ます。スピリチュアルなんてまったく考えもしないような人が明るく楽しく生きている方が、よっぽど多くの人に良い影響を与えているというのが事実ではないでしょうか。自分がスピリチュアルな世界に貢献していると思えないと物足りない理由は何ですか? ただ単に明るく楽しく生きているだけではダメですか? ちり紙を追いかけるのをやめて立ち止まったらどうなるのか、と考えたらやめられません。「12ステップのプログラム」じゃないんですが、人間の知性では前もって何も分からないと理解する必要があります。後は野となれ山となれです。スピリチュアルな世界観に頼らずに明るく楽しく生きていられるとしたら、実際とても素晴らしいことではないでしょうか。