伝説 水の音

 五月の雨。雨足が強く、ざあっという音を立てて降っている。地面には、すぐには沁み込まずにいる雨がうっすら残り、ぱしゃぱしゃ撥ねているのが見える。僕は縁側に坐って裸足をぶらぶらさせる。湿った生暖かい風が吹く。少し暑くて汗をかいているようだ。初夏の風は山や野原の土や植物の匂いを運んで来る。その匂いを感じながらこんな光景を脳裏に思い描いていた。
 雨がざあざあ降る中、男が山道を駆け下りて来る。笠をかぶり蓑を来て。草鞋は水浸しになり、足首は撥ね上がった泥で汚れている。林の向こうに視界が開けて、霧に霞んだ集落が現れる。ああもうすぐだ、と男はほっと胸を撫で下ろす。
 その頃の植物は、今よりも力強さがあったのではないか。人間と植物の間には、超えてはいけない境界のようなものがあって、自立した植物の生命力に近寄り難さ、というのか畏敬の念を持っていた。鬱蒼とした暗い森の中を一人で歩くようなときには一層、静かな空気の中に植物の精気が漲るのを感じただろう。
 今は違う。人間が植物を支配している、というより植物が人間に翻弄されているかのようだ。人間は、自己の目的のために植物を改良したり薬にしたりして来た。最近のバイオテクノロジーは植物を利用し尽くすかのごとくである。利用することが悪いのではない。ただ彼らの了解を得ていないのは自分勝手だと思うのだ。
 そんなことを考えながら、僕は雨が降るのを眺めていた。僕は座敷に戻り仰向けにごろんと寝転んだ。外が少し暗いので昼間からつけている蛍光灯の明かりを瞼に感じながら、しばらく天井を見つめていると眠くなって来た。
 ウトウトしかけていると羽音を立てながら何処からか蚊が飛んで来た。気になって耳を傾けていると案の定血を吸いに来た。腕に止まったところを見計らってペシッと叩いた。潰れた蚊の体内から出た赤い血がべとっとくっ付いた。たぶん先に誰かの血を吸って来たのだろう。潰れた蚊の姿をじっと見た。さっきまで生きていたのだ。ではいつ死んだのだろう。叩かれた瞬間か、それとも叩かれてしばらく経ってからであろうか。叩かれてからしばらくは足をぴくぴくさせたりしていることが経験上多いのだ。叩かれた直後には、まだ体は生きていたに違いない。生物が物体に変わってしまう瞬間が不思議なのだ。何かのテレビアニメのように、魂がふうっと体を抜けて何処かへ飛び去ってゆくとでも云うのだろうか。
 僕は寝転がった姿勢のまま腕を伸ばして卓上に放ってあるテレビのリモコンを掴んでスイッチを入れた。お笑いの二人組が司会のバラエティ番組の再放送らしきものがやっている。タレントさんたちはわいわい楽しそうに喋っている。番組があまり面白くなかったのでテレビを消して、外に目をやると雨が止んでいる。雨後の鳥の囀り声に誘われて、散歩にでも行ってみようかという気になった。
 玄関でサンダルをつっかけて外に出ると、もうっとした空気だ。いろいろな匂いが混じり合った雨の匂い。こういう何とも形容し難い匂いを、僕は水の匂いだと云っている。玄関から続く砂利道を歩いて敷地の外へ出ると、目の前はずーっと田んぼで、田植えされたばかりの苗が静かに水面に映っている。道端には紫露草の三角形の花が水に濡れている風情だった。
 家の前の通りを右に曲がって、道幅の狭い舗装された道路を、水溜まりを避けながらとぼとぼ歩き始めた。道路の左側には細い用水路が通っており、ときどき段差のついている場所で水が下に勢い良く流れ込み、ざぶざぶという大きな音を立てているのだった。そう、この音だ。近頃、水の音が僕を不思議な追憶へと駆り立てるようになっていた。昔のことを思い出すような、それも大昔の、水の中にいるような懐かしいイメージ……
 北の空の雲が晴れて、西にどんよりと残る雨雲が太陽の光を遮っているせいで、光が微妙な陰影を作り出し叙情的な景色である。こんな時の散歩は、人を切ない情感の世界へと引きずり込んでしまう。右手に小高くなった森の緑を眺めながら歩いて行くと、水車小屋に近付いて来た。この村にある三台の水車の内の一つである。水車は絶えず回転しながら水路の水を低い所から高い所に汲み上げている。滴り落ちる水が清新に感じられる。私たちの人生もこの水車のように絶え間なく回転しているのであろう、などと考えた。
 雨の音、水の流れる音、気泡の立つ音、こぼれ落ちる水、水しぶきの冷たさ、水の匂い……こうしたものに僕は感覚的になる。そしてどういうわけか遠い記憶へと意識が向けられてゆくのだ。僕はその記憶を手繰り寄せようとする、だがそれは内面の奥深くに存在する漠然とした感性なのであった。感性でありながら確かに現実に存在するもののように思われた。このような思いに囚われているときには、妙な幸福感があるのだった。


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