経験と学び

一般的に経験はたくさん積んだ方が良いとされますが、新しい体験にどんどん飛び込んで行く冒険的な人は必ず人間性が磨かれるという訳でもなさそうだし、どこへも行かずに一つ事をやり続ける職人的な人は全然成長がないという訳でもなさそうです。これはどう考えたらいいんでしょうか? 何も考えないで次から次へと新たな経験を重ねても成長は出来ないし、体験がなく頭の中で哲学するばかりでも成長は出来ないようです。何も理解する必要はないという哲学もありますが、成長したいと思うなら理解というのは重要です。モコモコした泡の中に宝物が埋もれているとして、別に探そうとしなくても宝物はあるにはあるわけです。泡の中に手を突っ込んで宝物を見つけ出して初めてそれが何か分かる、というのが理解するということだと思います。そういう意味で熟考するとか熟慮するといった態度は大事だと思うんです。で、一口に理解と言っても二通りあり、頭で理解するのと心の底から理解するのと違いがあります。精神世界の話を聞くチャンスがなければ人間は成長できないということでもありませんが、既に聞けたということは取り敢えず頭では理解できたことになります。で、その理解が実際に体験として分かるようになるまでに何十年と掛かるのが普通と言えるでしょう。何十年で分かったら優秀と言えるのかも知れません。で、心の底から理解したことを生き方を通して証明するという段階がそっから始まるわけです。生き方として見せることがなければ、誰もその理解が本物であるかどうか判断することが出来ません。人として完成するというのは、その人のやること為すことすべてが愛と調和を生み出して行く姿を見せるということではないでしょうか。