共感

この会社に就職したらどうなるんだろうとか、この人と結婚したらどうだろうとか、人生の岐路にあって結果を先に知れたらいいのに、という思いは誰しも持つのではないでしょうか。スピリチュアルに片足突っ込んでるならなおさら、未来を当ててみたいと思うでしょう。で、まずは人間の思いの世界であれこれ予想するわけです。イメージがチラッと見えるとかそういうことも起こりますが、あくまで想像の世界ですから、希望的観測が入れば入るほどまったく見当外れになり、少し客観的になれているなら偶然当たる時もある、といった程度でしょう。次に、知識と経験から勘が働くという場合があります。潜在意識にある程度のデータがあり、そこから導き出される答えなので、頭で考えて予想するよりは当たると言えるでしょう。次に、響き合うという言い方をしたりしますが、愛や慈しみの気持ちが出ている時に突然起きる共感というのがあります。これは普通の人でも一生に一度くらいは限定的に経験し得るものですが、心が空っぽになると全面的に起きるようになるんだと思います。ここで言う心が空になるとは、何も考えてない瞬間があるという意味じゃなくて、人間の業想念を浄めて心が生存本能を超越した状態という意味です。ものごとそのものを見ていることになるので、共感によって得られた情報は、客観的に検証しても100パーセント合っていることになります。精神世界をやっている私たちは、この三つが入り混じった形で未来を予感していると言えるでしょう。本物の共感というのは不可抗力というのが適切な表現であって、そういう能力を得たいと思うのは本質的に的外れだと言えると思います。