二種類の見方

スピリチュアルに興味を持つのにも二パターンありまして、一つは自分が得する情報を求めて入るパターンと、もう一つは世のため人のためになりたくて入るパターンです。すべてを損得で考える人というのは多数派でして、自分が損させられるように思える教えは受け入れません。逆に、自分を犠牲にしてでも人の役に立ちたいと心から願う人というのはかなりの少数派ですが、自分だけが得するように思える教えを受け入れられない場合もあるのです。昔の覚者さん(例えばヴィヴェーカーナンダ師)はそこら辺のとこを弁えていたので、どっちから入っても対応できるように教えを説いていたわけですが、そうとは知らずに正反対の目的を持った人が同じ教典を読んでいるというのが一般的に起きていることです。意識は一つですべてが繋がっているという教えと、現実生活を豊かにするための教えと、一つの教典の中に両方含まれていますが、人それぞれどちらか一方が重要だと捉えていると思います。だけど、あくまであいのほしの考え方でしかありませんが、最終的には両方受け入れないと完成しません。今も昔も基本は変わりないのですが、人生どうなったって構わないとか、すべてを思い通りに実現したいとか、スピリチュアルティーチャーさんが両極端に偏らないように指導できるのが理想です。もっと言えば、国や文化によって特有のエゴの構造があって、まったく同じ教え方をしても、ところ変われば全然違う解釈をされる場合もあるので、その辺りの的確な理解と細やかな心配りが必要だと思います。相手が誰であろうがお構いなしに同じ言葉を繰り返すというのは、今となってはあまりにも古い方法になっていると申せましょう。