企画書「精神世界ガイド」

要点

スピリチュアル版ミシュランガイドの創設を企画します。混迷を極める現代の情報社会では、興味本位の範疇を越えて、本格的に人生の指針を得ようとスピリチュアリティの門を叩いても、これほどたくさんの選択肢があると、本当に自分に合った道を見つけることは難しいのではないでしょうか。初心者が、最初から最良の情報に辿り着くことは稀です。「生徒の準備が出来たとき、教師が現れる」というのは一種の神話であって、現実には、たまたま声高に宣伝していた教師や団体に成り行きで関わって行き、それが実は、自分が本当に求めていた道とは違っていたことに気づくまでに、何十年と労力やお金を無駄にしてしまう人が多いのではないでしょうか。 詐欺まがい、カルトまがいの教師や団体に関わってしまうと、経済的な被害を受けるだけならまだマシで、最悪のケースでは、「人生を奪われた」と言えるほどの悪影響が及びます。質が高く、信頼の置ける教師や団体を紹介する誠実なガイドブックが、是非とも必要な現状ではないでしょうか。そのガイドブックには、博物趣味的にいろいろな情報をただ収集したのではなく、そこから抽出したスピリチュアリティのエッセンスが、端的に明示されているべきではないでしょうか。この企画は本として出版するのが適当でしょうが、予算次第では、インターネット上のみでの公開という選択肢もあります。もちろん、企画者は非営利目的の第三者審査機関に徹することが理想です。

幸せとは

あらゆる種類のスピリチュアリティが一つの目的に集約するとしたら、それは「幸せでいる」ことに尽きるのではないでしょうか。スピリチュアリティ以前の幸せの基本条件として、まず、健康・愛情・(最低限の)経済の三つが満たされることが挙げられます。政治的、宗教的な服従を強制される環境の中で、集団催眠にかけられ、自由と幸福を得ていると思い込まされている状態とは区別され、それは内側から沸き上がる喜びや輝きがあるかないかで判断できます。スピリチュアリティは、それによって(誘導的、強制的に)健康・愛情・経済が脅かされたり、損なわれるものであってはいけないと考えます。その上で、スピリチュアリティでは、幸せには二つの方向性があるとされています。一つは、自己実現方向で、人間社会の繁栄のために何か貢献しようとする積極的態度の中に見出されます。もう一つは、自己消滅方向で、何かを成し遂げようと意志する主体そのものが脱落する過程の中に見出されます。しかし、すべての人が超能力者となり、欲しいものを何でも手に入れること、あるいは、すべての人が世捨て人となり、悟りが開けることが、スピリチュアリティの目的であるとは思いません。このプロジェクトでは、一つの仮定として、本当の幸せはどちらか一方ではなく、美徳とも言うべき両者のバランスにあるという立場を採ります。

先行する企画

先行する類似の企画に、別冊宝島さんの『精神世界マップ』、平河出版社さんの『精神世界の本』、荒俣宏さんの『世界神秘学事典』、ブッククラブ回さんの『スピリチュアルデータブック2007』などがあります。ただ、古典的名著を紹介するという形式だと、スピリチュアリティが単なる知的な探究であるという印象を強めてしまう虞があります。最も参考になる企画は、フランスの出版社 Almora による Guide Almora de la spiritualité で(最新版は2013年刊)、これは古典を掘り起こすことではなく、実践されることに主眼を置き、実地の調査をも含めて検証された、現代フランスの生きたスピリチュアリティの総目録になっています。

なお、日本の宗教法人に関する一次資料としては、文化庁が毎年発行している『宗教年鑑』があります。

評価方法

当該の教師・団体が発行する著作やインターネット上の公式サイトなどに一通り目を通します。その上で、もし予算が許せば、抜き打ち的にイベントやセミナーに参加し、詐欺まがい、カルトまがいの言動がないかどうかをチェックします。完璧な教師はいないのですから、審査上やむを得ない場合を除いては、試したり悪意のある質問をしたりといった挑戦的な行為は慎まなければなりません。大きな団体については、過去に名称を変えたり、裁判沙汰になったりしたことがあるかどうかもチェックします。明瞭な評価基準を設け、掲載するべきかどうかを総合的に判断します。評価するに当たっては、一般常識に加えて、宗教全般についての基礎的理解や、カルトの原理、サイコパスの心理についての基本的知識が必須になります。

評価基準

  • 内容。人の悩み苦しみを徹底的に洞察し、解決のための実際方法を明確に提示できているかどうかをチェックします。さらに、当該の教師自身が、人にインスピレーションを与えるような素晴らしい生き方を、実際にしているかどうかをチェックします。
  • 料金。今の日本には、精神世界・スピリチュアル業界の適正価格の相場がありません。そのため、心に悩みを抱える人たちに付け込む心理的商売が、野放しになっている状態です。当該の教師・団体が提供するサービスの対価が、一般常識に照らして法外な金額になっていないかどうかをチェックします。また、 当該の教師・団体の活動の根幹が、家元制度・上納金制度・資格商法・マルチ商法・ねずみ講の上に成り立っていないかをチェックします。政府が規制をかけざるを得ない事態になる前に、民間が率先して自浄能力を示して行きましょう。
  • 歴史。一般的に、長く続いているものほど信頼性が高いと言えます。ただし、伝統的な正統派だからと言って、盲目的に高く評価するようであってはいけません。
  • 成果。当該の教師や団体に関わりを持った人たちが、実際に変化し、幸せになっているかどうかをチェックします。
  • 知行合一(言行一致)の原則。美しい理想が語られるのみで、現実の行動を伴わない教えは虚しいものです。言葉と行為との間に、著しい矛盾が見られる教師や団体を、高く評価してはいけません。
  • 公平性の確保。執筆者・編集者が信奉する教義が、やたらと高く評価されないように、可能な限りダブルチェック、トリプルチェックを徹底する必要があります。執筆者・編集者の知り合いが、不適切に高く評価されないように配慮しなければなりません。また、このプロジェクト自体が、企画者の売名行為にならないように、配慮しなければなりません。

対象範囲

全世界を網羅することは現実的ではないので、日本国内で活動している教師、または日本に活動拠点を持っている団体に限定します。少なくとも二十年以上は安定した活動を続けており、なおかつ際立った成果を上げている教師や団体を中心に取り上げることが望まれます。いかに優れているように見えても、活動開始から十年も経っていないような教師や団体を、安易に取り上げるべきではありません。

  • 伝統宗教。仏教、神道、キリスト教、ヒンドゥー教(ヨガ哲学)、イスラム教、ユダヤ教、先住民文化(シャーマニズム)など。何千年もの伝統は、それだけ多くの検証に耐えて来たと考えられるので、王道だと思います。
  • 神秘主義思想。歴史的に見て、神秘主義はスピリチュアリティの最大の源泉とも言えますが、神秘のヴェールは最大の煙幕にもなり得ます。おとぎ話のようで現実味のない団体には、疑問を呈するべきです。
  • 心理学・心理療法・脳科学。精神の健康は誰にとっても重要ですし、そこが入り口になる人たちも多くいると思います。
  • ヒーリング。医学的検証に耐え、スピリチュアリティに連なるものであれば、取り上げるべきです。
  • 自己啓発。ビジネスの成功哲学にも、スピリチュアリティに繋がって行くものがあります。
  • 新興宗教。敬遠されがちな分野ですが、もし卓越した教義を持ち、運営方法も穏当であるなら、取り上げるべきです。
  • 超能力者・霊能者。科学的検証にオープンであり、なおかつ著しい社会的(影響力ではなく)貢献があるなら、取り上げるべきです。
  • 霊媒(チャネリング)。チャネリングによる伝達は、一般的に信憑性が低いと考えられますが、年月を経て情報の有効性が証明されているなら、取り上げるべきです。
  • 文学・哲学。実践するという点では疑問の余地があるものの、純粋な文学・哲学の中にも目を見張る内容のものがあります。
  • 芸術家・音楽家。美しさはスピリチュアリティに繋がります。
  • 武術。伝統的な武術にはスピリチュアリティが内包されている場合が多いので、取り上げるべきです。
  • エコロジー。先住民文化と共鳴する環境哲学の中には、優れたものがあります。

対象外とするべき範囲

非常識で無責任な教師や団体は、取り上げるべきではありません。トラブルを回避するために、敢えて悪評を掲載するよりも、評価できない教師・団体は最初から掲載しないという方針を採ります。 評価できると判断した場合でも、(取材とは違うので、掲載許可を貰う必要はないとは思いますが、)メディアへの露出を望まない教師や団体を、一方的に掲載するべきではありません。また、次のような特徴を持つ教師・団体は、そもそもスピリチュアリティとは何の関係もないため、対象範囲外とします。

  • 過激な教師や団体。宇宙には善悪も意味もないので何をやっても構わないとする教え、幻覚剤を用いる実験、黒魔術、悪魔崇拝、常軌を逸した儀式や修行を伴う超越思想など。
  • 霊的伝統の枠組みを悪用し、明らかに金銭やマインドコントロールを主目的としている教師や団体。
  • 社会不適応的な傾向を持つ人に、まやかしの希望を与えて依存させることで成り立っている教師や団体。
  • 理屈がどうであれ、信者に家族を捨てることを奨励する教師や団体。
  • 脱退しようとする人に対して、恫喝や脅迫をする教師や団体。
  • 諸悪の根源は政治経済システムにあるなどとし、反体制的な言動が目立つ教師や団体。
  • 自らが一番優れていると主張し、他を悪しざまにけなす教師や団体。
  • まったくのデタラメではないものの、明らかに大袈裟な「奇跡」「究極」「世界初」「革命」「何もかも上手く行く」などの表現を用いたり、明らかに話を盛っている体験談や有名人の推薦文を持ち出したりして、誠意を欠いた宣伝広告を行う教師や団体。
  • 性的な関係が入り乱れている教師や団体。
  • 本名や都合の悪い過去の経歴を隠そうとする教師。
  • 悪意はないものの、(エゴは実在しないので)自分には責任がないという哲学のもと、気まぐれな言動で人を惑わす教師。
  • 自らを過信し、絶対に間違いを認めようとせず、人に頭を下げることを知らない教師。
  • 「信じる信じないはあなた次第」という、結果が検証されることを最初から視野に入れていない、その場限りの占いや人生相談。
  • 一般に存在を公表していない秘密結社や、一般に公開してはいるものの、上級者サークルに入るにはイニシエーションを受ける決まりになっている、秘密めいた団体。
  • フランスの1995年の報告書でセクト指定されている団体とその関連。

改訂について

一度は信頼が置けると判断した団体が、主催者が変わった途端に豹変することもあるため、数年に一度は全面改訂する必要があります。言うまでもなく、権威主義に陥り、賄賂を貰って掲載するなどという暴挙に出てはなりません。万が一、高く評価していた教師や団体が、社会的な問題を引き起こした場合には、心ならずも片棒を担いでしまったことを謝罪し、責任を取るのが当然です。(それだけ審査を慎重に行わなければならないということです。)

協賛者募集

ご報告:募集は締め切りました。

あいのほしの基本方針

  • 若い世代が、これから世界中の人々のありとあらゆる思想や生き方に接するときに、それに惑わされず対応して行けるだけの、基本的な理解の枠組みを提供すること。
  • 一人一人が自己認識に辿り着くきっかけを提供すること。
  • 方法や結果ではなく、直の出会いを大事にすること。
  • これから教育または医療の仕事に就く利用者にインスピレーションを与えること。
  • 心の繋がりを通じて、教育関係者のネットワークを作ること。
  • 利用者のプライバシーを保護し、オンラインで私的なデータを保存しないこと。
  • 利用者のコミュニティで性的な関係を求めないこと。
  • ありとあらゆる思想に対して中立を保ち、教える立場に立たないこと。
  • 自分の意見に過ぎないことを、真実であると勝手に裁断しないこと。
  • みだりに過去の霊的な伝統や高名な先生方の教えに言及しないこと。
  • どうにでも解釈できる曖昧で非論理的な表現で、何か特別なことを知っているかのように語ったり、いかにも神秘的に聞こえる体験をでっち上げたりして、自己演出したり、ウソをついたりしないこと。
  • 売名のために著名人やマスメディアを利用しようとしないこと。

大人のための教養講座

スピリチュアルな教育について、気をつけたいこと
トラウマの再体験
再構成家族
日本語
事勿れ主義
本当に欲しいもの
男らしさ、女らしさ
人間関係
真剣さ
信念体系に取り組む
言葉とシンボル
自分を信じる

ニューエイジ入門

※フィクションですので本気にしないでください。


あなたがまだ小さな子供だった頃・・・世界は驚きに満ちていました。

両親や、その代わりをしてくれる人たちや、面倒を看てくれる大人たちに、ものごとや世界の仕組みを尋ねてみては、その不思議さにわくわくします。

自分にはいろいろな可能性があり、何にでもなれると思います。

でも、ふとした瞬間に、両親や周りの大人たちが不安そうな表情をしたり、泣いたり、他の誰かを非難したり、争ったりするのに気づきます。

あなたはとてもこわくなります。

あまり楽しそうには見えません。

大人たちはみんな、我を忘れて自分の役割を真剣に演じているのに気づきます。

世界のことをもっと教えてもらうにつれ、ますますこの世界が大きくて複雑なゲームであることを実感します。

大人たちの真剣さが肌で伝わって来るのです。

なりたいものになるのはそんなに簡単じゃないのかも知れない、とあなたは思い始めます。

大人たちのゲームに参加するには、難しいルールをたくさん憶えなければいけないのだと分かります。

あなたはいつか大人になりたいと思っているので、大人のルールを勉強することに決めます。

そしていつの間にか、自分のことや、一番大切なこと—愛の真実—を忘れて、大人になり・・・今に至ります。


「自我の目覚め」とは、子供が大人のルールを憶え始めることを意味します。子供は自発的にものごとの仕組みを理解しようとし、早く大人になりたがったりしますが、社会のルールはある程度大人に強制されて憶えるものでもあります。「自我」や「性格」は、この世界のルールに適応して生きて行くために、言葉を憶え始めるあたりから、脳が発達する過程で作り出されるものです。言うなれば、その場しのぎのインターフェイスなのです。ところが、私たちは後から作り出された自我や性格の方を、いつからか自分自身だと思い込んで、本来の自分—魂—を忘れてしまいます。本来自分が持っている愛を、外の世界、すなわち他人の中に見つけようとし始めます。恋愛関係の中に永遠の愛を見つけようとしてもあまりうまく行きません・・・そうではないでしょうか? 一時は手に入れた!と思っても、いつの間にか失っているという具合です。大人になって心無い決断や行動をすることを「魂を売る」と言ったりしますが、本当に魂を売ることはできません。私たちはどんな時も魂を持っているということを忘れているだけです。

あなたは、この世界は壮大なゲームのようなもので、誰もが自分の役割を演じるのだということにうすうす勘づいていたはずです。でも、ゲームのルールそのものを疑っても良いということは誰も教えてくれませんでした。だからあなたはルールに従うことにしたのです。そうでしたね? 実際は、ルールは変更可能です。変えられないルールなど一つもありません。多くの私たちは、この世界の既成事実にあまりにも馴染み過ぎていて、それを絶対的な真実として受け入れています。そのことについては、なるべく考えないようにしています。ルールに従わない人は、この世界では、罰を受けます。この世界を変えようと苦闘する活動家もいます。ゲームのプレイヤーでありながら、内部の何かを変えようと試みると、ルールを破って無理矢理進まなくてはいけない場面があったりして、非常な混乱や抵抗が起きます。それはとても困難な方法です。ルールを変える方が、むしろ簡単なのです。ルールを変えて、エネルギーの効率性が上がれば、ものごとはとても速く動き出します。私はルールを変えて人生を設計し直す方法について具体的にお話しします。それは自らの内に深く降りてゆくことについてです。ルールはまず個人の中で変えなければいけません。それから、おそらくは世界人口の一パーセントくらいの人がルールを変えることを選択するとしたら、世界の枠組みに影響を及ぼし始めることができると思います。すべては個人の選択によります。今は、ものすごい数のみなさんが霊的な知識を求めている時代です。ですから人類をより善いステージへと押し上げるチャンスです。人生を自らの意志で設計し直すための知識は、まず自分が体験してマスターする必要があり、それから人から人へ、親から子へと大切に伝えられるべきものです。ですから世界を進路変更するにはとても時間が掛かるものだということです。


現在起きつつある意識のパラダイムシフトは、科学の世界でニュートン物理学から量子物理学へとシフトしつつあることと直接関係があります。ニュートン物理学のモデルでは、まず意識と物質を切り離します。計測可能であり、実験によって再現可能な現象だけを、現実として受け入れます。異なる力と力の関係が最も重要であり、科学的探究は人間の外側へ、外側へと向かって行くのです。ところで、量子物理学では、意識と物質が一つに結び付きます。「観察者効果 (observer effect) 」と言って、観察者の意識が実験の結果に影響を及ぼすことが認められています。量子物理学のモデルでは、不確実なエネルギーについての理解があり、現実はそれほど固定したものではなくなります。原子のもとになる素粒子などより小さなもの、人間の内側へ内側へと向かって行きます。意識が物質に影響を及ぼすということについて少し考えてみると、それが科学にとっていかに大きな衝撃であるか分かると思います。そしてこの科学界の認識の変化こそが、私たちの生き方に決定的な転換をもたらす文化的背景なのです。

これまで、大部分の私たちの意識は自分の外側にある世界へと向けられて来ました。外へ外へと探求して行く傾向があったのです。これを「今までの生き方」と呼んでみましょう。今までの生き方は、ニュートン的です。今までの生き方では、直線的な時間をもとに人生を設計します。目標を設定して、それをうまく達成するために計画を立てます。人生は勝負であり、自由競争を勝ち抜いて幸せを手にするには、目標に向かって一歩一歩、勤勉に努力しなければいけません。苦難や抵抗に遭ったなら、力ずくで道を切り開きます。道を譲ってしまったら、他の誰かが自分の替わりにその道を行くだけのことです。力と力の駆け引きを憶えるかも知れません。人生の評価基準は、目に見えるものや金額や点数など、自分の外側にあって計測可能な基準を使います。人生は足し算のように、たくさん持っていたり、点数が高ければ高いほど幸せだと考えます。あなたは人生のどこかの時点で、こういう生き方に疑問を抱いたはずです。もしそうじゃなかったら、この本を読んだりしないでしょうから。なぜなら、この生き方では、成功できる人の数は限られていて、席の争奪戦になり、しかも往々にして、自分の目標に向かって突き進んでいく過程で他人を不幸に陥れることに、おそらくあなたは気が付いたことでしょう。今までの生き方では、幸せの基盤を限られた地球資源の上に置いている以上、みんなが幸せになることが不可能なのです。自分の外側にある現実世界を思い通りに操作しようとしたら、並外れた知性や力が要求されます。それはとても疲れる作業です。あなたは疲れ果てたり、退屈したかも知れません。そんな時に、いわゆる霊的な知識との衝撃的な出会いを経験したはずです。それが精神世界の本であったか、スピリチュアルなセミナーであったか、あるいは宗教であったか、みなさんそれぞれ違うでしょうが、とにかく、「私が知りたかったのはこれだ!」とか「なぜだか分からないけど、私にはこれが真実だと分かる!」という体験をしたはずです。それはまさに新しい世界へ第一歩を踏み出した、決して忘れることのできない瞬間でした。あなたをその瞬間に連れ出したのは、何を隠そうあなたの人生経験でした。たぶん人には分からないような苦労があったはずです。中でも、あなたを一番悩ませた問題が、他でもないあなたの家族だったのではないでしょうか。多くのみなさんにそういう傾向があります。経験があるからこそ、あなたは霊的な知識に含まれる真実を感じ取ることができるのです。もしあなたがまだ第一歩を踏み出していないなら、この話を単なる冗談だと思うだけでしょう。霊的な知識と初めて出会うことによって、必然的に意識の大きな飛躍 (quantum leap) が起こります。すると人生観が変わり、それまでに人生の目標として定めていたものがあなたの中で価値を見失って、何の情熱もない時期が訪れます。情熱のない時期は、私の印象では、あなたが新しい真実に基づいて「人生を設計し直す」まで続くようです。


さていろいろな本やホームページで語られている目新しい情報があります。あなたもそのうちのいくつかを既に知っているでしょう。これらの情報は、「新しいエネルギー (the New Energy) 」と呼ばれる現象と密接な関係がありますが、時間という観点から見ると、別に新しくはありません。それは古代から連綿と伝えられて来ている生き方でもあるからです。区別するために、それを「今からの生き方」と呼ぶことにしましょう。今からの生き方は、量子的です。意識と物質がお互いに影響を与え合うという事実を認めることによって、あらゆる現実の解釈を再構成します。詰まるところ意識が現実を創造するということです。

信念が現実を構築する礎材である。

もう何度も耳にした言葉ではないでしょうか。これが最も基本的な理解です。例えばあなたが子供の頃に、「男は家族を養うために黙って働くものだ」と聞かされたとしましょう。あなたがそれをルールとして受け入れたとしたら、いつの間にか、大人になり、仕事を見つけ、結婚し、家族のために黙って働く自分を発見するでしょう。信念はそんな風に無意識的に作用します。あなたが幸せであれば何の問題もありません。でも、もしかしたらあなたは芸術家になりたかったのに、その道を選択する自由がなかったと感じているとしたらどうでしょう。自由な選択ができないというのは、常に問題なのです。「信念が現実を構築する礎材である」という考え方は、理論というよりむしろ実体験に基づいたものです。人生経験が少ない人は、これを理解することができません。どんなにうまく説明しても納得してもらえないでしょう。理解の基盤になるような体験がないのですから、仕方のないことです。みなさんは、良くも悪くも、人生は自分が信じた通りになっていることが見えると思います。自分の中にあるルールや限界を超えるような出来事は、望まない限り決して起きなかったはずです。あるいは、意識が現実を引き寄せるのを日常的に体験しているかも知れません。頭に思い浮かべていた人に、奇跡的なタイミングでばったり会うというような体験が、一度ならず何度も起こるなど。いわゆるシンクロニシティですね。直線的な時間の観念が崩れたかも知れません。

今までの生き方では、何かを創造するには、まず外へ出て何かを始める必要がありました。今からの生き方では、まったく違う方法で創造し始めます。

立ち止まって内側を見る。

多くのみなさんは、今までのやり方とあまりに違うので、最初は戸惑います。外へ出て、行動したくなります。今からの生き方は、自分の内側を見つめるために、一日中瞑想するとか、何も行動しないということを意味しません。そんな極端な生き方ではないのです。そうではなくて、自分の中にあって、魂の糧となるような真に満ち足りた人生を経験するのを妨げている障害物を、一つ一つ消し去ってゆくことによって、あなたのエネルギーに自由な動きを取り戻すということなのです。引き算のように、あなたの中で行き詰まり、役に立たなくなっている不毛なルールを取り除いてゆくことによって、エネルギーの効率性を上げます。すると、それまで絶対に必要だと思っていたものが必要なくなったりして、よりシンプルなライフスタイルが実現します。例えば、あなたは人から評価されるためには頑張らないといけないと信じているかも知れません。子供の頃に、両親に無条件に褒めてもらえなかったのが原因かも知れません。すると、あなたは努力家で、常に頑張ることを要求される職場で働いていたりします。敢えて自分に全然向いていない職種を選んでいたり、他人に任せておけば良いことを自分で片付けようとするかも知れません。チャレンジすることが大好きなら、何の問題もありません。でも、努力しないと不安になり、何度も何度も同じような行動パターンにはまり込んでいることに気づいているなら、信念を見直すべき時なのかも知れません。そもそもあなたが頑張ることで、誰が得をしているのでしょうか? 本当にあなたの成長に役立っていますか? あなたの古い信念は、よく検討した上で、変更することができます。そうした下準備のあとで行動を始めると、ものごとが俄然スムーズに進みます。昔経験しなければならなかったような苦闘をしなくても良くなります。

今からの生き方では、人生の評価基準を心の豊かさに置きます。もちろん経済的な豊かさも重要な基準の一つであることには変わりありませんが、多ければ多いほど幸せとは限りません。心の豊かさとは主観的な体験であり、数多くの要素と有機的に結び付いています。健康、経済、家族、愛情、環境、芸術、自己表現、社会の成熟・・・それは個人で完結する範囲を超越して、全体へと繋がってゆきます。

すべては繋がっている。

私たちは、自分の意識や行為が誰かに影響を与えることに気づいています。お互いに影響し合います。結局、自分一人の幸せなどというものは存在しません。ごちそうを一人で食べてもおいしくないのと同じですね。宇宙は全体で一つになる有機体です。個人の欲望を限りなく増幅して行った時に何が起こるでしょうか。それが今までの生き方であり、その結果が「持続不可能 (unsustainable) 」な世界です。今からの生き方では、人と協力し合うことを学びます。コミュニケーションが大切です。良いコミュニケーションには、力や、いかなる形の強制も存在できません。力で押すのではなく、輪を広げるのですね。誰もが幸せを求めているということを理解するのは重要です。今からの生き方を身に付けるためには、自分以外の人をもっと信頼するのに役に立つ機会は何でも利用する必要があります。家庭がコミュニケーションを学ぶ基本的な場所です。家族との関わりを通して、私たちはお互いを信頼することを学びます。

人生に目的はあるのでしょうか。私たちには生きる目的が必要です。今までの生き方の中にも、目的はもちろんありました。ほとんどの場合、それは個人的幸福に根差した具体的なもので、これを達成したら、その次、その次、という風に幾分直線的なプロセスでした。一つの目的に一生を捧げることも珍しくありませんでした。これは一つのドラマチックな劇の主人公を演じるのに似ています。自分の目的に適う人とだけ積極的に関わる傾向があるため、人間関係は閉鎖的です。一方、今からの生き方では、ものの見方を個人から全体の幸福へと拡大することそのものが目的になります。これまでの歴史では、人間は生来利己的であり、「最大多数の最大幸福」の実現は夢物語と考えられて来ました。

意識は常に拡大し続ける。

本当は、私たちの魂は成長し、意識は拡大するのが自然な姿です。インターネットの世界を覗いて見ると、利他的な活動を目指している人の数がとても多いことに勇気づけられます。今、人類は歴史の転換点を迎えています。文明が成熟し、利己主義を捨てて、これまで多くの人が求めてきた利他の精神へといよいよ集団でシフトする時が来た、ただそれだけのことです。ものの見方が多面的になるというのが意識の拡大の意味するところです。それは上演中の舞台で、主人公と同時に脇役も演じるようなものです。他の登場人物の感じ方や考え方が分かるようになって来ます。さらに、他の場所で他の人が演じている劇とも関わりが出て来ます。そのようにしてどんどん世界が拡がって行きます。人間関係は開放的で、変化が多くなります。意識が拡大するほど、私たちは寛容で優しくなり、利己心が原因で道を踏み外すことがなくなります。今からの生き方では、人生の全体図が見えるようになります。魂が成長すればするほど、人生の目的が明確になって来て、自分の意志をもっと反映したくなりますから、その度に人生を改めて設計し直す必要が出て来るというわけです。

宇宙には一つの流れがあります。すべてのものに共通して流れるエネルギーのようなものがあるのです。それが生命の本質であり、古来から神の恵みとか、宇宙意識とか、真如(しんにょ)とか、創造のインパルスとか、タオとかいろいろに呼ばれて来ていますが、同じものだと思います。私はそれをスピリットと呼んでいます。私たちは生きていますから、目には見えない何らかの力によって生かされていることを実感できますが、近代科学の世界では、そのような力の存在を前提に考えて来ませんでした。今ではスピリットの存在は散逸構造論として説明されています。

人は自ら癒される。

あなたが何もしなくても、秋になれば植物が実を付けます。あなたが黙っていても、夜が明けて朝が来ます。スピリットは善であり、人間の限られた知性ではとても理解することができないほど精妙に作用し、完全に信頼が置けるものです。悪は人間の心の中にだけ存在します。人間がスピリットを否定したり、信じられなくなると、自分の身を守るために何でもするようになり、悪が生じます。そういう意味では、悪は無知のなせる業と言えるのかも知れません。人間以外の自然の世界に悪が存在するかどうか観察してみてください。大きな流れに身を任せれば、私たちは必ず善い方向に進みます。ですから私はスピリットは善であると言っています。これも経験なくしては理解するのが難しい概念でしょう。一方、スピリットの流れに逆らって進むことも可能です。今までの生き方では、生命の本質についての知識を大人から教えられる機会がほとんどないため、人間社会に対する不信や抵抗が当たり前の現実になっています。自分自身さえも信じられなくなっています。それが不安や病気を作り出します。不信や抵抗がスピリットの流れをせき止めて、あらゆる困難な状況を生み出します。自分の内側を見て、自分自身や他者や社会への不信や抵抗を取り除くことさえできれば、エネルギーは自然に流れ出します。自分を癒すためには、宇宙を信頼すれば良いのです。今からの生き方では、私たちはエゴの小さなこだわりを捨てて、大きな流れを完全に信頼することを学びます。


さて今からの生き方は、霊的な修行の目的とされる「悟り」や「覚醒」とどんな関係があるのでしょうか? 悟りにはいろいろな定義がありますが、一般には自我による知覚の制限を超越して、真の実在に目を開くことを意味します。私の考えでは、人類の意識は全体としてまだ悟りを開く段階には達していません。と言うのも、人類が経験するべき素晴らしい時代はこれからやって来るからです。ある人が悟りに達するかどうかは、その人の自我が決めることではなく、その人の魂が決めます。魂が人間としての経験を積み重ねている段階では、悟りたいと思って霊的な修行をしたとしても悟ることは出来ません。例えば、魂の側では恋愛関係を経験しようとしているのに、自我の方が「いや、これはただの欲望だ」と勘違いして仏門に入ったりすると、かえって魂の成長を妨げてしまいます。悟りを得るタイミングはあなたの魂が決めます。魂がやりたいことをやり尽くした後に、その時は来るのです。いったん悟りを得たら、あなたの人間としての旅は終わり、新たに別の次元で意識を進化させるべく地球を離れることになります。いよいよ覚醒する準備が整ったら、あなたは人間として経験できるあらゆるものごとに一切執着しなくなるので、それと分かります。ですからその時までは、自らの魂と親密な対話を続けながら、意識を進化させるために生き続けるのです。そもそも誰もがそのために生まれて来ています。体験するためです! 今からの生き方を実践することで、あなたが自分をもっと良く知ることができるなら、あなたは意識の進化の道に乗っています。タイミングは人それぞれですが、いつかは悟りの境地へと辿り着きます。でも、この人生で覚醒する人もきっといるでしょう。


ここで「あいのほし」で使っている意識のモデルをご説明しましょう。私たちの意識の仕組みを理解することはとても役に立ちます。このモデルは、ある程度科学的根拠もありますが、大まかに理解できるように単純化してあります。このモデルは一つの考え方に過ぎないと思っていてください。

では図の下の部分にある大きな丸を見てください。そこには「魂あるいは無意識」と書いてあります。下で切れているのは、魂が比喩的に言ってものすごく大きいことを表しています。これがあなたの意識の本質であり、あらゆる記憶を保持しています。ちなみに、「あいのほし」では輪廻転生を前提にしていますが、生まれ変わりを胡散臭く感じるみなさんは信じなくても構いません。魂はあなたのすべての転生の記憶と、そこから得られた知恵を持っているため、とても賢い存在です。輪廻転生を信じないみなさんは、魂には自分の先祖の記憶が蓄えられていると考えて差し支えありません。あるいは、魂はユングの言う集合的無意識 (collective unconscious) であると考えても良いでしょう。いずれにせよ、突き詰めて行けば同じことです。魂の上部には「潜在意識」と書かれています。そこから細い道を通って上へ行くと、もう一つの小さな丸である「おしゃべりマシーン(自我)」に辿り着きます。おしゃべりマシーンとは、自我はおしゃべりが得意なので、冗談で付けた愛称です。脳波(頭に電極を取り付けて、電気変動を時系列で記録した波形)の状態で、おしゃべりマシーンにはβ(ベータ)波、細い道にはα(アルファ)波、魂の入口にはθ(シータ)波、魂にはδ(デルタ)波が、おおよそではありますけれど、それぞれ割り当てられています。

あなたが目覚めている時間帯では、あなたの意識の大部分を自我が占めています。自我は、始めのほうで触れた通り、社会のルールに適応して生きて行くために、脳が発達する過程で作られるあなたの性格のことです。自我の役割は、生身の人間として自分の安全を確保するために、肉体を維持管理する活動(食べる・飲む・清潔にする・運動するなど)、子孫を残すための生殖活動、身の危険を事前に察知すること、経済的に自立するために何をするべきかの価値判断といった、肉体の存続に関係することすべてです。自我は、もともとの性質から言って自己防衛的です。自我は、人間として生きて行く上で必要な機能ですが、精神性 (spirituality) とは何の関係もありません。実は、今までの生き方は、自我をベースにした生き方でした。生涯教育と言うように、自我はいろいろなものの見方を学んだり、経験を積んだりすることによって一生発達し続けますが、どこまで行っても「自分さえ良ければいい」のです。自分がある程度満足すれば、ではあなたもどうぞ、という風に他人に優しくなることもできます。でも、ご存じの通り、自我の現実の解釈には限界があって、窮地に立たされたり、いわれのない事件に巻き込まれたり、病気になったりしたときに、自分の内部に原因を見出すことができません。なぜって、自我はあなたの小さな一部分でしかないのですから、当然のことです。そこで、外の世界に解決策を見出そうとします。でも、自分が完全に納得する回答を見つけることはできないかも知れません。自我の視点から見ると、世界の紛争の解決策や、あらゆる病気の根本的な治療法を考え出すことは不可能に見えます。興味深いことに、世界で最も知性の発達した人たちが、いろいろ考えて研究して、最終的に辿り着く結論は、「理屈では説明できない何かが、確かに存在する」ということです。ですから、みなさんが今からの生き方を実践して行く動機となるのは、理屈では説明のつかない困難な問題に直面していたり、すでにそれを乗り越えて来たか、自我が高度に発達して、次の段階へ進む準備ができているかのどちらかだと思います。意外でしょうか? 魂の進化がある段階へ達した人だけが、今からの生き方を理解すると、みなさんは考えているでしょうか? あるいは、エゴが強い人は、今からの生き方を決して理解しないだろうと考えていますか? 最初から極めて進化した魂として生まれて来ている人は、私も含めて、みなさんの中にはいません。なぜなら、進化した魂は、啓発された両親の許に生まれて来るので、正すべき偏った考え方を持っておらず、こういう文章を読む必要性がないからです。彼らは人類の教師としてやって来ます。私が思うに、もし適切な教育を受けられるとしたら、人類の少なくとも半数以上が、今からの生き方をすんなりと受け入れる段階まで発達して来ています。意識には発達段階のパターンがあって、今からの生き方は、今までの生き方のちょっと上に存在しているだけなのです。大きな飛躍ではありますが、決して無理なことではありません。ではなぜ?と思うみなさんもいるかも知れません。確かに、自分勝手な理由で人類の意識の進化を妨害しようとする支配勢力があります。正しい情報を遮断することで、私たちが決して団結しないように、分離した状態に留めようと目論んでいます。私たちがお互いに助け合うことが進化への鍵です。

自我はとても賢いので、自分の限界に気づいてしまいます。「私はいつも自分の考えを持って来たし、それによって社会的に成功もした。でもなぜ私は、幸福ではないのだろう? 人生には考慮に入れなければならないもっと他のことがあるのだろうか?」「子供を産み育てることだけが、私の役割なのだろうか?」「まあいいだろう・・・どうすれば良いのか私には分からない。せいぜい人生楽しんで、長生きしよう。」自分自身を疑うなんて面白いと思いませんか? 私たちには、二つの意志があるのです。自我の意志と、魂の意志です。自我の意志は、局在的 (local) であり、常に肉体に結び付いています。魂の意志は、非局在的 (non-local) であり、この世に生まれて来た目的に結び付いています。子供の頃は、早く大人になってやりたいことをやろう!と思っていたのに、いざ大人になってみると、何をやりたかったのか忘れてしまうのですよね。生きていないとやりたいこともできないのですから、自我の意志によって、生活の基盤を固めるのは大事なことです。ではなぜ、自我は自分自身を疑う必要があるのでしょうか? 例えば、左耳からは「結婚したし、子供もできた。仕事もうまく行っている。世間的に見れば、ずいぶん幸せじゃないか。この幸運を、神に感謝しなければ」と聞こえて来て、右耳からは「やりたかったのはこれじゃない。小説を書きたいんだ」と聞こえて来るのを想像してみましょう。どちらが自我の声で、どちらが魂の声か分かりますか? ええそうです。自分の中で二つの意見が対立すると、精神的なストレスになります。これはとても良く起こることです。人によっては、うつ病になってしまいます。結局、魂の意志を実行しない限り、本物の喜びや、本当の達成感を味わうことはありません。お腹がいっぱいになると、とても幸せになりますが、しばらくするとまたお腹が減って来ます。それと同じで、自我の意志が成就すると、一時は幸福になりますが、長続きしません。常に深いところで「何かが違う」という感覚があるとすれば、あなたの自我が自分自身をごまかすことは決してできません。自分の中に二つの意見があって、満たされない何かを感じるとき、人によっては、魂の声を聞かないようにするために、より一層自我の欲望を追求し始めます。お金や、名誉や、恋愛を際限なく追い求めたりします。人によっては、自暴自棄になり、あらゆる種類の依存症を引き寄せます。人によっては、無気力になり、修行の道に入って、自分の選択を放棄します。でも、満たされません。みなさんは、そうではなくて、人生の本当の目的を見つけることに決めたのです。それは素晴らしい選択です。

肉体に関連しないあなたの意識が、潜在意識と無意識です。私は魂と呼んでいます。瞑想に熟達している人の脳波や、私たちが眠りに入る直前の脳波は、シータ波を示し、この状態で魂の入口と言える潜在意識になります。潜在意識の状態に留まるためには、多くの場合訓練が必要です。また、潜在意識から自我の意識に戻った時に、潜在意識での体験の記憶をほとんど思い出せません。自分が潜在意識にいる時には憶えているのですが、通常の自我の意識に戻って来たとたんに忘れてしまうのです。これは記憶が失われているのではなくて、自我と潜在意識の間に大きな隔たりがあるために起きることです。私たちが熟睡(ノンレム睡眠)している時は、無意識になっています。実は、無意識の状態では自我が完全に止まっており、意識が最も拡大しています。無意識で体験している現実は、自我の意識とはまったく異なる性質のものなので、自我は思い出すことができません。逆に、無意識は自我の体験を思い出すことができません。つまり、あなたが目覚めている時間帯は、三次元の世界に暮らしていますが、眠っている時間帯は、もっと壮大な世界に暮らしているということです。この二つの世界は、相互に関連しています。

あなたの魂は意志を持っています。あなたの物理的現実は、あなたの魂が肉体を使って見ている夢だ、と言ったら分かり易いでしょうか。魂は統合された一つの意識であり、明確な意図を持って、あなたの物理的現実を創造しています。私たちが生きているということは、すなわち目的を持って生きているということを意味します。魂は、少なくとも自我よりは遥かに賢い存在です。つまり、本当のあなたは賢いのです。「私には魂の意志はないみたいです。感じたことないもの」と思うみなさんもいるかも知れません。魂の意志があるというのは、あなたには天から与えられた特別な「使命」があるという意味ではありません。確かに特別な使命を持って生まれて来ている人もいますが、全員ではありません。魂は、成長するために個人的な経験を自ら選びます。人として生きることそのものが魂の糧となるので、際立った経験を何も選ばないこともあります。でも今の時期、大きくはないにせよ人類のために何か奉仕するものを持っている人が多いことも事実です。魂の意志はスピリットの働きでもありますから、限られた人間の知性を超えた観点から善の方向へ進みます。自分の魂が苦行を選ぶのではないかなどと心配しないでください。魂の意志の先には必ず、軽やかさと喜びがあるものです。魂の意志に従うかどうかは、常にあなたに選ぶ権利があります。これが自由意志と呼ばれるものです。「邪悪な目的を持つ魂もいるのではないでしょうか?」と質問するみなさんがいるかも知れません。はい、でもみなさんが想像するほど多くはないのです。他人が成長するのを妨害しようと意図する存在がいますが、みなさんはそういう魂と関わる必要はありません。そもそも、そういう妨害の試みはスピリットの働きに反しているのですから、結果的にうまく行くことはないのです。

もう一度図に戻りましょう。魂から矢印が出ていて、魂が現実を創造していることを示しています。それに対して、自我からの矢印は、自我が現実に反応していることを示しています。文字通り無意識のうちに、あなたはあらゆる現実を創造しています。何だか変でしょうか? 魂が物理的現実を創造して、自我はそれを肉体と感情を通して体験するのです。魂は人生の目的を最初から決めているので、それを一歩一歩、あたかも花弁を開くように機会として顕現させて行きます。あなたの魂が「まあいいや。目的は生まれてから決めることにしよう」と決めたと思っていますか? 自分探しのあてどもない旅に出る必要はありません。自我の側で準備が出来ると、人生の新たな局面が目の前に現れます。そういう風になっているのです。人生の目的は途中で変えることができるのでしょうか? いいえ、自我の意志で目的そのものを変更することはできません。それに、計画にはいろんな人がお互いに関わっているわけですから、気まぐれにコロコロ変えられると周りが迷惑してしまいます。それに、もともと大きい部分のあなた(魂)が自分で決めたことです。ですから自我の側から見た選択は、やるか・やらないかの二つしかありません。人間としてのあなた(自我)が、人生の目的とは全然違う方に進むことを選ぶことはできます。魂は自我の意志を最大限に尊重します。あなたの自我が望むならどんなことでも、魂はそれを体験できるようにサポートしてくれます。でも、自我の成長が完全に止まっている場合、せっかくの人生を無駄にしないために、魂が無理矢理ショッキングな出来事を引き寄せることはあります。何かを行動に移す必要があることを自我に知らせようとするのです。思い当たる節がある人もいることでしょう。今からの生き方とは、魂に添った生き方のことです。

自分の魂が悲惨な状況や辛い出来事を勝手に引き寄せるんじゃないかと不安になった人もいるでしょうか。確かに、魂が成長するためにどうしても避けられない場合、そういうこともあり得ます。でも、あなたはこの情報を読んでいるので、あなたには当て嵌まらないことが分かります。この手の情報を受け取ることができるなら、あなたは霊的に自立する段階へ到達しており、もはや無意識的に惨事を引き寄せることはないはずです。意識的に成長し続けることができるなら、極端な出来事を経験しないで済むのです。

図の細い道にあたる部分、ここはあなたがリラックスしている時に、意識がこの部分にあると考えてみてください。リラックスしていると、自分の自我としての意識と、それほど時間に束縛されていない潜在意識の、両方を意識することができます。ちょうど、ボーッとして好きな空想にふけっている状態に当たります。これから説明する方法では、このアルファ波の状態を活用します。意識が拡大するとは、おしゃべりマシーンが拡大したり、無意識が大きくなるのではなく、この細い道がだんだん太くなってゆく過程なのだと想像してみてください。自我は人間として生きるための限定された機能ですので、自我が一定以上に拡大することはできません。自我は、いろいろ知識を学ぶことができますが、自ずと限界があるので、結局は「自分はほとんど何も知らない」ということに気づくだけです。今の段階では、自我の意志と魂の意志はしばしば対立するかも知れませんが、あなたが成長し、意識が拡大した結果、この二つの意志は互いに矛盾することがなくなって、一つになります。最終的には、おしゃべりマシーンと魂は完全に協働するでしょう。

さてあなたは自我と魂の両方であり、自我と魂の相互作用により、無意識の領域から物理的現実を絶えず創り出していることをお話ししました。この全過程を可能にしている根源的エネルギーが、あなたのスピリットです。それはあらゆるものごとの背後に存在します。スピリットを、電気のような単なるエネルギーだと思わないでください。スピリットは、寛大に見守る父のエネルギーであり、無条件に愛し育む母のエネルギーであり、喩えるならば恋人同士の情熱と官能に一番近いと思います。とても甘美なエネルギーなのです。特定の意志はまったく持たないようでいて、「拡大し、すべてを一つに統合する」という方向性を持っています。スピリットは生命力です。スピリットは究極の愛です。スピリットは、あなたの所有物と言うより、あなたの本質そのものです。あなたは、肉体と自我を所有している魂とスピリットです。魂とスピリットより貴重な宝物は存在せず、あなたは既にその宝物を持っています。これは驚くべきことではないでしょうか? だとしたら、私たちは魂とスピリットの正しい使い方を習得すれば良いだけではないでしょうか。

このモデルにはありませんが、γ(ガンマ)波の超意識という状態もあります。超意識は覚醒した後の意識の状態と言われています。私には良く分かりませんので、興味のあるみなさんは調べてみてください。


さて意識のモデルについて長々とお話ししましたが、これから具体的な方法に入ります。私はこれからご紹介する、潜在意識にある制限的な信念を変えて、人生を設計し直す方法を「大人の特権」と名付けました。この方法は子供向けではないからです。あなたの自我が既に確立していて、感情的に安定している必要があります。

大人の特権には、二つのパートがあります。一つは、あなたの魂の意志を知る方法。もう一つは、潜在意識にある信念にアクセスして、それを変える方法です。


魂の意志を知る方法

これは一定期間、毎日行う必要があります。多くのみなさんにとって意外な方法かも知れません。

毎朝このように言って一日を始めてください。「私の最愛の魂よ、私が本当に経験したいと望んでいることをはっきり認識できるように、疑いようのない物理的現実や象徴やメッセージを通して、私の目の前に現してください。そしてそれが正しいことがはっきり分かるように、ハートのフィーリングで知らせてください。」

毎晩寝る前にこのように言ってください。「私の最愛の魂よ、私が本当に経験したいと望んでいることをはっきり認識できるように、夢の中の象徴やメッセージを通して、私に伝えてください。そして私がその夢をはっきり憶えていられるようにしてください。」

書かれている言葉通りでなくても構いません。あなた自身の言葉で言ってください。最も肝腎なことは、あなたが魂の意志を知ることを「望む」ことです。他の誰かがあなたの代わりにすることはできません。あなたが自発的に望まない限り、魂の意志を知ることはできません。そしてそれ以外に方法はないのです。シンプルですね?

あなたが魂の意志を知る準備ができていれば、言葉の通りに本当に知ることになります。もしこういう言葉を言うのに抵抗があるなら、単にあなたはまだ望んでいないというだけです。良い悪いはありません。

魂の意志には、例えば「こういう職業に就く」というような具体的な場合もあれば、「誰もが側に来て安心できるような、寛容な自分になる」というような抽象的な場合もあります。とにかく一人一人全然違うので、一般化することはできません。でも、魂の意志には必ず快いフィーリングが伴います。もしフィーリングが何もないなら、それは魂の意志ではありません。それは言葉や概念のようなものではなく、ハートの「感覚」なのです。それが魂の話し方です。魂の意志に従って行動するのは、スピリットの流れに乗ることでもありますから、楽しいことです。喜びなのです。退屈するなら、あなたは魂の意志に従って行動していません。これは大切なポイントですので、ぜひ憶えておいてください。

何かをしたい「衝動」を感じた場合はどうでしょうか? 衝動は、火山の爆発と同じように、内部の圧力を一気に解決するための感情の動きです。そういう意味では魂の意志の一部とも言えます。でも、ちょっと待ってください。衝動には、現実逃避や同じことの繰り返しが背後に隠れている場合もあります。「今すぐ仕事を辞める!」「昔やっていたことをもう一度やってみよう!」「今楽しめることをもっとやろう!」そういう性急な衝動は、どちらかと言うと、今までの生き方に属する可能性があります(そうではない可能性もあります)。以前持っていた情熱を取り戻そうとしているのかも知れません。意識が進化すると、以前と同じ状態に戻ろうとする方がかえって大きな苦痛になります。ですから、衝動に従って極端な行動を取る前に、次の「信念を置き換える方法」をやってみてください。ここで言っている快いフィーリングは、激しい情動とは違います。とても微妙で優雅なものです。今からの生き方では、目的地に辿り着くために、最も緩やかな道を通ります。ちなみになぜハート(胸)で感じるかというと、そこに魂があるからです。

遂に魂の意志を知ることが出来たら、いよいよ行動するわけですが、あせってはいけません。スピリットには適切なタイミングがあって、早過ぎてはいけないのです。魂の意志に従って行動しても、タイミングが早過ぎると、なお困難や抵抗があります。ですから再び、ハートの感覚を確かめてください。魂への質問はこうです:「今が行動するタイミングですか?」魂に「何月に引っ越すべきでしょうか?」と聞いたりしないでください。実は、魂もスピリットも、いつタイミングがやって来るか知りません。でも「今」がそのタイミングかどうかなら、確実に答えてくれるでしょう。タイミングが来ているとき、ハートは歌い出します! ですから、定期的にタイミングを確かめてください。あなたが魂の意志を適切なタイミングで実行に移すとき、ものごとはとてもスムーズに動きます。簡単で、周囲が協力的で、ものごとが魔法のように進むなら、そしてあなたが心から楽しんでいるのなら、あなたはスピリットの流れに乗っています! それから、他の多くの事とは違って、魂の意志を実行するには、決して遅過ぎることはない、ということを知ってください。


信念を置き換える方法

あなたが持っている信念の多くは、子供の頃に大人から教えられたものです。子供の頃は自我があまり発達していないので、見聞きしたことが吟味されることなしに、ダイレクトに潜在意識に入って行ってしまいます。ある考え方やものの見方や価値判断が潜在意識に入ると、それが信念となり、あなたの自我(顕在意識)の働きと魂(無意識)の働きの両方に影響を及ぼし始めます。

あなたの意識の主要な部分が自我(ベータ波)で占められているとき、つまり起きていて昼間の活動(家事・仕事・勉強・運動など)をしているとき、あなたは自分が保持している信念のほとんどに気づくことすら出来ません。信念は潜在意識の中に入っています。あなたが考えることと、あなたの信念が食い違っていることもよくあります。例えば、あなたは表面的には「男女が平等に社会的役割を選択できるようにするべきだ」と考えているかも知れませんが、深いところでは「女は家庭を守るべき存在だ」と信じています。でも、あなたは気づいていないので、自分を進歩的な人間だと思っています。そして、社会へ出て活躍する強い女性を尻目にかけ、なぜか面白くない自分の気持ちに戸惑ったりしているでしょう。「自分は進歩的な考えを受け入れているはずなのに、どうしてこうも腹立たしいのだろう。いや、そんなはずはない。私は腹を立ててなどいないんだ!」

潜在意識にゴムボールがぎゅうぎゅうに詰まっている様子を想像してみてください。「制限的」な信念をたくさん持っている人の潜在意識は、こんな風です。それは自我と魂の通信を妨げます。自我の認識を変質させ、魂が創造する世界を歪めてしまいます。制限的な信念は、現実の本質的理解を妨げ、あなたが欲しい現実を自由に創り出すためには障害になります。たくさんの嘘の欲望(幻想)であなたの目を曇らせます。制限的な信念とはどんな信念でしょうか。それは「本当に欲しいものは滅多に手に入らない」「お金は苦労して手に入れるもの。それ以外の手段で手にしたお金は汚い」「強い者がすべてを手に入れる。人生は勝たなければ無意味だ」「憐れな小市民には世界を変える力などない。権力に盾突けば痛い目を見ることになる」「人生は荒れ狂う海に浮かぶ小舟のようだ。運命は時に私たちを弄ぶ」「人生は闘いだ。本当に信頼できる人間はほとんど皆無に等しい」「もっと強くならなければ。病魔が非情にも私から命の炎を奪い去る前に」「人生に目的はないのだから、私を楽しませてくれるものにしがみついていなければ」といったものです。リストは延々と続きます。最初にお話しした大人のルールは、こういった信念ではないでしょうか? 要するに、「自分には変化を創り出すだけの十分な力がない」という発想に行き着きます。本当にそうでしょうか? 私たちが受け継いだ制限的な信念は、文化と呼ばれています。私たちは文化を大切にするように教育を受けますが、本当に成長しようと思ったら、古い信念を受け継いではいけません。でも、もう既に受け継いでしまいましたよね。私たちの文化の大きな特徴になっている、「男は女よりも偉いのだ」という信念は、人間の魂を汚します。日本は精神性の高い国だと信じているでしょうか。ええ、日本は他の国と同じ程度にスピリチュアルです。

信念というものは、すべて制限ですが、「比較的」制限のない信念というのもあります。文化は、すべてが制限というわけではなく、もちろん素晴らしい遺産もあります。日本人が誇りにして良い精神文化はたくさんあります。比較的制限のない信念とはどういうものか、自分で判断できるようになることが大切です。比較的制限のない信念とは、「内面の認識を変えさえすれば、瞬時に物理的現実に影響を及ぼすことができる」「すべての人が豊かになることを許すなら、お金は自由に流れ出す」「自分の体に気づいていることによって、健康を維持することができる」「準備ができれば、必要なものは向こうからやって来る」「知りたいと思えば知ることができる」「魂の意志を実行して天才になることができる」「自分以外の誰かに依存せずに幸せになることができる」といったものです。これらの信念は、制限的な信念よりも遥かに合理的かつ現実的であることに気づいてください! 制限のない信念は、夢や幻想の世界とは違います。例えば、「私は年間一兆円を稼ぎ出すことができる」とか「私は空を飛んで、アンドロメダ銀河へ行き、大天使と会って、天界のヒエラルキーの頂点に君臨し、地球を救う」とかの信念は、実際には制限的な信念です。不可能です! もしあなたが非現実的なほどたくさん欲しいなら、あなたは「私は持っていない」と信じています。あなたは無価値感の中に閉じ込められているのです。

例えば、あなたは新聞記者になりたいとしましょう。

ケース一:あなたは小学生の時、学校の先生に「あなたの文章はまとまりがないわね」と言われ、国語で悪い成績を取りました。それが原因で「自分は文章を書く仕事には向いていないかも知れない」と信じています。あなたが新聞記者になるという夢を持ったとき、その望みは「文章を書く仕事には向いていない」という潜在意識にある信念に阻まれて、魂まで届きません。あなたは学校へ行き、申し分のない知識と国語力を身に付けました。それから新聞社の就職試験を受けに行きますが、なぜか面接で落ちてしまいます。

ケース二:あなたは小学生の時、学校の先生に「あなたには無限の可能性がある。何でも好きなことをやりなさい」と教えられました。あなたは自分の国語力に関して何の疑問も信念も持っていません。あなたが新聞記者になるという夢を持ったとき、その望みはストレートに魂に伝わります。あなたは「できる」と信じています。すると、あら不思議! あなたは新聞記者の人と知り合います。それで記者になるためにはどういう勉強をすれば良いのか適切なアドバイスをもらいます。あなたはつつがなく準備を整え、新聞社の就職試験を受けに行きます。あなたは面接官と意気投合して和やかな雰囲気で面接を終えることができ、見事合格します。

何が起きているのでしょうか? これは信念がどのように働くかについての一例です。この単純な仕組みはどんなことにでも当て嵌まります。あなたが「自分にはできない」という制限的な信念を持っていなければ、あなたは「無意識の協力」と呼ばれる助けを得ることができます。つまり、あなたの魂が望みを現実にしてくれます。思い付くことが出来るなら、ほとんどどんなことでも実現可能です。この物理的現実では、外側の世界を思いのままに操作したり、二つの矛盾する望みを同時に叶えることは不可能です。でも、私は敢えて言いましょう、「あなたが現時点で想像できる以上のことを、あなたは実現するでしょう。」一瞬で出来るとは言いません。どれほど時間がかかるかは予測できませんが、不可能だという信念を捨て去ることが出来れば、必ず実現します。これは宇宙の法則ですが、そのことをあまり知らない私たちは、制限的な信念に挑戦する前に、早々と望みを諦めてしまいます。もったいないことだと思います。

信念を置き換えるのは、本当はできないと思っているのにできると信じ込む、ということではありません。できない、という信念をなくせば、新しい信念は自ずと生まれます。

この方法は、自分でも意識していない制限的な信念にまず気づくことと、それを意識的に新しい信念に置き換えることの両方を行います。リラックスしたアルファ波の状態で行います。ただ目を閉じるだけで、誰でもアルファ波の状態になりますから心配は要りません。それからあなたの人生の好きな分野を取り上げ、身体の感覚に注意を向けます。そこに制限的な信念が眠っています。あなたは身体の感覚と文字通り「対話」することになります。あなたの制限的な信念は、おそらく子供の姿で現れるでしょう。その信念を初めて受け入れた時の年齢のあなたの心の風景を再び見ることになるでしょう。その年齢で、感情的な成長が止まっているのです。イメージを頭の中で無理矢理作り出そうとしてはいけません。それよりもずっとシンプルなことです。あなたが許せば、「感じる」ことができます。感情も浮上しますが、あなたがそれに飲み込まれることはありません。あなたは感情をコントロール出来ます。若い頃のあなたではなくて、知らないおじいさんやおばあさんの姿が見えて来ても驚かないでください。あなたがその信念を受け入れたのは、「この人生」ではないかも知れません。すべては繋がっているのです。あなたは新しい信念を自分で考え、あなたが対話している相手に分かり易く伝え、心の風景の土の中に「種」として植えてもらうようにお願いします。多くのみなさんはこの方法を難しそうと思うかも知れません。でも、私が言わんとしていることが一旦伝われば、とても簡単であることが分かるでしょう。詳しいみなさんは、「これは、インナーチャイルドと同じですね」と思うでしょう。その通りです。この方法は、インナーチャイルドを癒すことよりももっと野心的であることに、みなさんは気づくことになるでしょう。

ではやってみましょう。


☆一時間くらいの間、完全に一人になれる時間と場所を見つけてください。誰にも干渉される可能性がない静かな場所です。電話は切っておきましょう。

☆ゆったりと椅子に腰掛けて、自分が知っている一番効果のある方法でリラックスします。音楽をかける場合は、歌ではないものを選んでください(歌詞が集中の妨げになります)。横になっても構いませんが、途中で眠らないように気を付けてください。眠くならないためにカフェイン入りの飲み物を飲まないようにしてください(カフェインは刺激物です)。

☆あなたの人生で今一番気になっている分野を一つ選びましょう。例えば、あなたは仕事が詰まらないと思っているとしましょう。この例では仕事を分野として選びます。

☆目を閉じてください。ここから先は、ずっと目を閉じたままでいてください。その分野についてしばらくボーッと考えてみましょう。例えば、職場にいるのを想像してみると良いでしょう。

☆体に意識を向けてください。どこかに違和感や不快感がありますか。たぶん、あるはずです。気づいてください。

例:体に意識を向けると、肩が緊張しています。胃がむかむかします。すねの辺りに少ししびれを感じます。

☆感じていることをできるだけ忠実に言葉にしてみましょう。口に出して言ってみるとさらに効果的です。

例:「肩が凝っています。胃がむかむかしています。すねの辺りに言葉にできない妙な感覚があります。」

☆体の感覚の中で、自分にとって一番慢性的な症状だと思われるものを一つ選びましょう。

例:胃のむかむかを選びます。

☆息を深く吸い込みながらその感覚を意識しましょう。十分に体の感覚に気づきましょう。

例:深呼吸しながら胃のむかむかを十分に感じます。

☆十分に意識したその感覚と、対話を始めましょう。その感覚が、あたかも人格のある相手のようなつもりで、話し掛けてください。このように聞いてください:「私に何か伝えたいメッセージがありますか?」

例:胃の感覚に話し掛けます。「私に何か伝えたいメッセージがありますか?」

☆言葉が聞こえて来るとか、何か映像が見えて来ることを期待しないでください。何が起こるか予測はつきませんが、確実に何らかの反応が返って来ます。ただリラックスして、待ってください。おそらく、どこからともなく急に何かが思い浮かんだり、何かを感じたりするでしょう。

例:始めは何も感じませんでしたが、急に、子供の頃に母親に叱られている場面が浮かんで来ます。

☆返って来た微妙な反応を、意識してつかまえてください。すると、もっと具体的になって行きます。

例:母親に言われたことを思い出します。「ぐずぐずしないの。さっさとやりなさい。」その時にまったく同じ胃のむかむかを感じたことを直観します。

☆具体的になって来たその感覚が相手だと思って、こう聞いてください:「あなたは何を信じていますか?」リラックスして待っていると、何らかの反応が返って来ます。その感覚ができる限り忠実に表現されるように、言葉に直して、口に出して言ってみましょう。

例:具体的になって来た子供の頃の記憶に向かって、問い掛けます。「あなたは何を信じていますか?」しばらく待っていると、小さな男の子としてのあなたが、「僕は何一つうまくできないんだ」と言っているような気がします。がっかりするような感覚があります。「私は何一つうまくできない」と口に出して言います。

☆論理的で優しい、分別のある大人として、あなたが今感じている心の風景に語り掛けます。あなたは今や大人で、その制限的な信念を持ち続ける必要はないことが分かると思います。心の風景を相手にして、分かり易く筋が通った言葉で、その信念がもはや正しくないことを説明してください。相手が子供なら、子供の言葉で話しましょう。

例:男の子に優しく語り掛けます。「君は母親に叱られて傷ついたかも知れない。それで自分のすべてがだめなんだと思い込んだんだね。でもそれは正しくないんだよ。大人になった君は、社会人として立派に働いている。のろまなんかじゃない。会社でだって、ずいぶん認められているんだよ。本当は、君がうまくできることはたくさんある。そうだよね?」

☆あなたが対話している相手と一緒に、成長した大人としての新しい信念を象徴する短い言葉を、考え出してください。創造性を遺憾なく発揮して、あなたが現時点で考えることが出来る、最も制限のない一文を作ります(かと言って、あなた自身が受け入れられないような非現実的な言葉を選ばないでください)。新しい信念が決まったら、相手にそれで良いかどうか聞いてください。もし答えがイエスなら、ハートに喜びの感覚がやって来ます。もし答えがノーだったら、もっと言葉を簡単にしてみてください。新しい信念を象徴する言葉の頭に「私の存在の全体性から」という言葉をくっ付けて、声に出して三回繰り返します。どうしても新しい信念が決まらない場合、この言葉を三回繰り返してください:「私の存在の全体性から、私はこの信念を変容させます。」あなたが対話している体の部分に、響かせてください。

例:男の子と対話をします。「君は自分がのろまだと信じているから、大人の僕は仕事でいつもプレッシャーを感じていて、先に進めないでいるんだよね。じゃあ、新しい信念はこれでどうだろう。『僕は人の意見に惑わされず、いつでも自分の才能を完全に発揮することができる。』分かるかな? それでどうだろう?」あなたはイエスのサインをハートの喜びとして受け取ります。「私の存在の全体性から、私は人の意見に惑わされず、いつでも自分の才能を完全に発揮することができます。」この言葉を声に出して三回繰り返します。・・・あるいは・・・今のところは、この感覚をどうしたら良いのかはっきり分かりかねています。「私の存在の全体性から、私は何一つうまくできないという信念を変容させます。」この言葉を声に出して三回繰り返します。

☆あなたが言った言葉が中に入っている種を想像してください。その種をあなたが対話している相手に渡し、それをどこか好きな場所の土の中に植えて来てくれるように頼みます。種を植え終わったら、もう一度戻って来てくれるようにお願いしてください。

例:想像の世界で男の子に種を渡し、こう伝えます。「この種を好きな場所の土の中に植えて来てくれるかな。植えたら戻っておいで。」

☆リラックスして、対話している相手が、種を植える作業を終えて戻って来るまで待ちましょう。すべてが完了したとき、あなたは何らかの合図を「感じる」でしょう。たぶん、それほど時間は掛からないでしょう。

例:男の子がにこやかに戻って来るのを感じます。

☆対話している相手にお礼を言って、お別れします。

例:男の子に「どうもありがとう。君のことを誇りに思っているよ」と伝え、想像の中で抱き締めます。「じゃあ、さようなら。」

☆深呼吸をして、ゆっくりと目を開けます。


残念ながら、この方法は一回ですべて解決というものではありません。一日に何度もやらないでください。そうではなくて、日を置いて、同じ分野に何度か取り組むと良いと思います。一回終わる度に、気づいたことをメモしておくことをおすすめします。すると、あなたの信念が実際に変化して行くのを実感できます。それから、ただのお水をたくさん飲んでください。感情の残りかすのようなものは、水と一緒に体の外へ出て行きます。

信念が変わると、すべてのことに影響を与えます。人間関係や、物理的現実が変化しますから、心しておいてください。

慣れて来ると、この方法の肝がつかめるようになると思います。細部にこだわる必要はありません。創造的になって、どんどんアレンジしてみてください。あなた独自の方法が出来上がるかも知れません。


これは新しい知識ではありません。実際、古い知識です。

私たちは、思考によって現実を構築する建築家です。厳密に言い換えれば、大脳新皮質 (cerebral neocortex) の神経細胞 (neuron) の接続によって構築される人格 (personality) を通して、量子場 (quantum field) と呼ばれる、すべての時間と空間が同時に存在する神秘的な場から、エネルギーを絶えず物質へと崩壊させています。それが私たちが現実と呼ぶものの性質です。

電磁コイルを一つ、思い浮かべてください。このコイルは、あなたのある一つの思考を象徴しています。どんな思考でも構いません。この電磁コイルが持つ極性によって、原子や分子が引き寄せられるのを想像してください。一定の時間が経つと、ひとまとまりの原子や分子が凝縮して、回転が遅くなり、固体として現れるのを想像してください。

さて次に、このコイルの芯に、磁石を入れましょう。磁石は、あなたの感情の象徴です。磁石を芯にしたことで、この電磁コイルの引き寄せる力が、何万倍にも強くなるのを想像してください。

これは単にたとえ話に過ぎないのですが、現実の性質をうまく説明しています。

さて、私たちがどんな思考によって現実を建築しているのかを探ってゆくに当たって、一番基本的なところから始めましょう。人生の意義。あなたは、人生の意義、あるいは人生の意味をどう定義していますか? 紙と鉛筆を取り出して、あなたの人生の意義を書いてみてください。何か素晴らしい哲学談義を書くのではなくて、何かとても正直に、自分の人生の意義について「感じて」いることを書いてください。

考えていること、ではなくて、感じていることを書くことには重要な意味があります。あなたが感じていることは、あなたの基本的な信念を表しています。あなたが感じることは、あなたが受け入れていることであり、あなたにとっての現実なのです。私は、特にそれを感情性 (emotionality) と呼ぶことにします。

例えば、もしあなたが、「人生は退屈で詰まらないものだ」と「感じて」いるとします。すると、あなたはそのような観点から現実を創造していて、本当に人生が退屈です。「人生は退屈だ」と信じている人が、毎朝、喜びとともに飛び起きると思いますか? そういう風にはなりません。人生が退屈だと信じていれば、うつ病になるのが自然の成り行きです。ですから、まず人生の意義について、あなたが感じている内容を知る必要があります。

ある思考が、それに関連する体験の記憶と感情に結び付くと、信念になります。信念は、強力な電磁石です。信念は、似たような性質の現実をさらに引き寄せますから、それによって、自らをさらに強化するのです。

次に、自己の定義について、見てゆきましょう。あなたは、自分自身をどのように定義していますか? ここでも、あなたの考えではなくて、感じていることを書いてみてください。あなたは、自分自身をどう感じていますか? あなたは、自分自身に価値を感じていますか、それとも、感じていませんか?

もしあなたが、自分自身をちっぽけな存在だと感じているとしたら、自分の才能を素晴らしく発揮して生きることは無理だろうと思いませんか? 何か素晴らしい機会が目の前にやって来ても、あなたは無意識のうちに、それを避けてしまいます。信念はそのように働きます。

あなたが、人生の意義、自己の定義について何を感じているか知ることが、どれほど大事なことか分かって来るはずです。それらは、あなたの現実の基盤となる「基本的な信念」に属しています。基本的な信念とは、あなたが普通に感じていることです。自分にとってあんまり普通なことなので、その存在に気づくことがありません。あなたは、自分の基本的な信念と自己同一化 (self-identification) しているのです。

ある年齢、おそらくは十二歳くらいまでは、大脳新皮質の神経細胞には可塑性 (plasticity) があって、変化への柔軟性があります。例えば、ある年齢までは、環境に応じてどんな言語も習得することができます。ところが、ある年齢を過ぎるとそれができなくなります。神経細胞の可塑性が減少して、接続がかなり固定化されるからです。一般に、人格の形成期は、神経細胞の可塑性が減少することによって終わります。それ以降は、同じ思考を繰り返し行うようになるのです。ほとんどの人は、自分と自分の人格を同一視しますが、断じてそうではありません。誰が何と言おうが、違います。

私たちが生まれた時、赤ちゃんの時、私たちは人格を持ちません。ある年齢までは、人格にも可塑性があります。私たちが一般に人格と呼んでいるものは、両親(あるいは育ての親)、兄弟姉妹、友人、教師、憧れの存在などからほとんど無意識的に受け継いだ、感情性のことです。私たちが過大評価しているほどには、人格にはオリジナリティがありません。人格は、感情的な態度の「パッチワーク」のようなものです。ある年齢までは、人格自体に柔軟性がありますが、それ以降はある程度固定化されます。では、人格が固定化される以前に存在するのは、一体「誰」なのでしょうか?

人格が固定化される以前にも、もちろん意識はありますし、個性もあります。そこにあるのは、魂の膨大な可能性です。小さい子供を見ていると、一人一人、個性的ではないでしょうか。私たちは大人になるにつれて、没個性的になるのではないでしょうか。私たちは、子供には無限の可能性があることを直観的に知っています。それには、科学的な妥当性があります。人格が固定化されていなければ、自由に思考することができ、変化や成長の機会が無限に広がっているわけです。

私たちは、大人になるにつれ、過度に感情的に条件付けられてしまい、過度に社会に適応して、変化を恐れるようになります。本来、人格は常に変化してゆくものです。子供は、外部のいろいろな影響を受け入れて、その都度人格を成長させてゆきますが、大人になると、柔軟性がなくなって、「自分はこれまで、ずっとこういう自分だった」というフリをし始めます。もちろん、勘違いです。あなたは人格ではありません。そもそも、私たちが自己同一化している人格というものは存在しません。自分と人格を同一視してしまえば、成長はありません。少しでも変化してしまうと、自分が自分じゃなくなってしまうという理由で、人格は変化を恐れます。人格もあなたの創造物で、あなたの一部だと言えますが、ずっと変わらない本質だけが、本当の「あなた」です。

もし、あなたが過去の記憶をすべて失ったとしたら、あなたの人格に何が起こるでしょうか? あなたの人格は、過去の記憶で構成されていますから、過去がなくなれば、人格も消えるのです。では、過去がなくなり、人格が消えたら、あなたはあなたではなくなるのでしょうか? いいえ、です。

もっと深く入って行きましょう。家族について。あなたにとって、家族とは何ですか? どんな意味がありますか? あなたが家族について「感じて」いることを書いてみてください。あなたの家族に対する感情的な態度が、あらゆる人間関係にも反映しますので、それを知ることは重要です。

さて、人生の意義、自己の定義、家族の三点について、あなたの信念を書いてみたでしょうか。ではそのリストを、まったく「あなたのことではない」と仮定してみましょう。どこかにいる、別の人が持っている信念のリストだと思ってみてください。カウンセラーになったつもりで。そして、このリストを見ながら、その人の人生の状況が今どうなっているか、これからどうなってゆくのか、予想してみてください。客観的に、論理的に。このような信念を持っている人の人生は、どんなだと思いますか? 何か新しい洞察が得られるでしょうか。

私が、声を大にして言いたいのは、次のことです。別に信じなくても構いません。

あなたは、あなたの思考と同じではありません。

あなたは、あなたの感情と同じではありません。

あなたは、あなたの信念と同じではありません。

あなたは、あなたの思考と感情と信念を、

意識的に変える能力を持っています。

もし、私たちの信念が現実を創造しているのであれば、一番最初に変えなければいけないのは「すべてのものごとは、私の思い通りにはならない」という信念ではないでしょうか。誰でも、程度の差こそあれ、持っている信念です。思い通りにならないと信じていれば、本当に思い通りにならないのではないでしょうか。ですから、私からの新しい提案はこれです。

すべてのものごとは、あなたの思い通りに実現して来ています。


伝説 水の音

 五月の雨。雨足が強く、ざあっという音を立てて降っている。地面には、すぐには沁み込まずにいる雨がうっすら残り、ぱしゃぱしゃ撥ねているのが見える。僕は縁側に坐って裸足をぶらぶらさせる。湿った生暖かい風が吹く。少し暑くて汗をかいているようだ。初夏の風は山や野原の土や植物の匂いを運んで来る。その匂いを感じながらこんな光景を脳裏に思い描いていた。
 雨がざあざあ降る中、男が山道を駆け下りて来る。笠をかぶり蓑を来て。草鞋は水浸しになり、足首は撥ね上がった泥で汚れている。林の向こうに視界が開けて、霧に霞んだ集落が現れる。ああもうすぐだ、と男はほっと胸を撫で下ろす。
 その頃の植物は、今よりも力強さがあったのではないか。人間と植物の間には、超えてはいけない境界のようなものがあって、自立した植物の生命力に近寄り難さ、というのか畏敬の念を持っていた。鬱蒼とした暗い森の中を一人で歩くようなときには一層、静かな空気の中に植物の精気が漲るのを感じただろう。
 今は違う。人間が植物を支配している、というより植物が人間に翻弄されているかのようだ。人間は、自己の目的のために植物を改良したり薬にしたりして来た。最近のバイオテクノロジーは植物を利用し尽くすかのごとくである。利用することが悪いのではない。ただ彼らの了解を得ていないのは自分勝手だと思うのだ。
 そんなことを考えながら、僕は雨が降るのを眺めていた。僕は座敷に戻り仰向けにごろんと寝転んだ。外が少し暗いので昼間からつけている蛍光灯の明かりを瞼に感じながら、しばらく天井を見つめていると眠くなって来た。
 ウトウトしかけていると羽音を立てながら何処からか蚊が飛んで来た。気になって耳を傾けていると案の定血を吸いに来た。腕に止まったところを見計らってペシッと叩いた。潰れた蚊の体内から出た赤い血がべとっとくっ付いた。たぶん先に誰かの血を吸って来たのだろう。潰れた蚊の姿をじっと見た。さっきまで生きていたのだ。ではいつ死んだのだろう。叩かれた瞬間か、それとも叩かれてしばらく経ってからであろうか。叩かれてからしばらくは足をぴくぴくさせたりしていることが経験上多いのだ。叩かれた直後には、まだ体は生きていたに違いない。生物が物体に変わってしまう瞬間が不思議なのだ。何かのテレビアニメのように、魂がふうっと体を抜けて何処かへ飛び去ってゆくとでも云うのだろうか。
 僕は寝転がった姿勢のまま腕を伸ばして卓上に放ってあるテレビのリモコンを掴んでスイッチを入れた。お笑いの二人組が司会のバラエティ番組の再放送らしきものがやっている。タレントさんたちはわいわい楽しそうに喋っている。番組があまり面白くなかったのでテレビを消して、外に目をやると雨が止んでいる。雨後の鳥の囀り声に誘われて、散歩にでも行ってみようかという気になった。
 玄関でサンダルをつっかけて外に出ると、もうっとした空気だ。いろいろな匂いが混じり合った雨の匂い。こういう何とも形容し難い匂いを、僕は水の匂いだと云っている。玄関から続く砂利道を歩いて敷地の外へ出ると、目の前はずーっと田んぼで、田植えされたばかりの苗が静かに水面に映っている。道端には紫露草の三角形の花が水に濡れている風情だった。
 家の前の通りを右に曲がって、道幅の狭い舗装された道路を、水溜まりを避けながらとぼとぼ歩き始めた。道路の左側には細い用水路が通っており、ときどき段差のついている場所で水が下に勢い良く流れ込み、ざぶざぶという大きな音を立てているのだった。そう、この音だ。近頃、水の音が僕を不思議な追憶へと駆り立てるようになっていた。昔のことを思い出すような、それも大昔の、水の中にいるような懐かしいイメージ……
 北の空の雲が晴れて、西にどんよりと残る雨雲が太陽の光を遮っているせいで、光が微妙な陰影を作り出し叙情的な景色である。こんな時の散歩は、人を切ない情感の世界へと引きずり込んでしまう。右手に小高くなった森の緑を眺めながら歩いて行くと、水車小屋に近付いて来た。この村にある三台の水車の内の一つである。水車は絶えず回転しながら水路の水を低い所から高い所に汲み上げている。滴り落ちる水が清新に感じられる。私たちの人生もこの水車のように絶え間なく回転しているのであろう、などと考えた。
 雨の音、水の流れる音、気泡の立つ音、こぼれ落ちる水、水しぶきの冷たさ、水の匂い……こうしたものに僕は感覚的になる。そしてどういうわけか遠い記憶へと意識が向けられてゆくのだ。僕はその記憶を手繰り寄せようとする、だがそれは内面の奥深くに存在する漠然とした感性なのであった。感性でありながら確かに現実に存在するもののように思われた。このような思いに囚われているときには、妙な幸福感があるのだった。

植物日記

土の感触を忘れてしまってから、生きることが難しくなってきた。
気が付いたときには、迷子になっていた。
虚空を泳いでいて、帰る場所が見当たらない。
私はずっと泣いていた。

どんなことがあっても地球が食べさせてくれる。
そういう支えを感じてはじめて私は生きて行くことができる。

もう一度土と繋がりたい。
その願いが強くなった。


植物は
手を伸ばせばそこにいて
涙を拭ってくれる
優しい女性の抱擁のようだ

それなのに私はただ立っていて
待っていて
叫んでいる


例えば
赤い実がなっている
オレンジ色の花が風に揺れている
焚火の煙が青空に上っている
線香の匂いがする
秋の日に

部屋の外には光が溢れている
澄んだ驚き
自分一人じゃもったいない
誰かに伝えたい


いつも心に引っ掛かっている

美しいプラスチックが
土に還る日は来るのだろうかと

100万台のテレビや冷蔵庫や
車やビデオデッキは
どこへ消えてしまうのだろうかと

100万本の殺虫剤や洗剤や塗料は
どこに流されているのかと

本当は知っている
土を通して
私の血の中へ流れ込んでいることを


太陽があった。

光だけが存在していて
目の前にあるものは影が織りなす幻に思える

遠くから、あるいは頭の奥底から聞こえてくる
懐かしい響きが呼んでいる
それは小さな陽光を伴っている

私はここにいるのだろうか。


ある日突然、ドアが叩かれた。

一人で生きて行けるということも、私は一人であるということも間違っていた。
傲慢だった。

私は知った。どうしても愛が必要なことを。
空気と同じように、どこにでも存在するたくさんの愛が。

自分を愛することを学ぶために私は生きている。