八島義郎先生に寄せて

体の中からすべてのものが洗い落され、何もかも透過されてしまったまるで別の自分が今ここに立っている。ここは白雪皚々(はくせきがいがい)、目のとどく限りどこまでも白く、どこまでも透きとおっていて、物音ひとつしないところである。ここは今まで誰ひとり来たこともない未踏の場所……恐る恐る足をふみ出すと、はじめての足あとがつく、はじめての私の足あとが。戦(おののき)の一歩、一歩が果しない未知の地平をおし拡げる。

山本幹雄『現代のカリスマ 八島義郎と萬華の世界(全)』自費出版、1984年

美を崇拝し、心の華を咲かせる道を説いた人物がここにいる。分類上は神道系とされているが、あまり神道っぽくはない新興宗教「誠成公倫(せいせいこうりん)」の開祖、八島義郎(1914-2010)である。何を隠そう私自身、十代の頃に縁あって八島師の教えに触れる好遇を得たのであった。その頃すでに人数が多く、直接指導を受ける機会には恵まれなかったが、今振り返ってみれば、人生最大の贈り物を与えられたと思える。個人的事情があり誠成公倫からは離れてしまったが、八島師がもうこの世にいない以上、再度入信を希望してはいない。人生の初期に素晴らしい教えを受けたにも関わらず、いまだに箸にも棒にも引っ掛からない自分を恥ずかしいと言う他はないが、ほんの少しでもましな人間になれるように努力することが、師への恩返しになると考えている。

八島師は旗本の家系に才気煥発な長男として生まれた。にも関わらず「夢のお告げ」を信じた両親は次男に家督を継がせることに決め、家を追い出されてしまう。芸術家を志し、父親の斡旋で仏師(職人)の弟子としてキャリアをスタートさせた。何人かの師匠の下で着実に腕を磨き独立、二十代半ばにして天才彫刻家として美術史に名を残す評価を得るに至る(雅号は八島遙雲)。そこへ来て日米開戦、多くの日本人にとってそうであったように、八島師の人生もにわかに暗転を始める。開戦から数えて約15年もの間、何をやっても仕事がうまく行かず、結婚生活にも失敗し、大阪府豊能郡能勢町の山中で、一山なんぼの土産物用の木彫りを作りながら、三人の子供を抱えての壮絶な極貧生活に転落してしまう。どんな分野でも一流になれるほどの抜群の能力と、誰にも負けない根性とを併せ持ち、誰にも頼らず真面目に生きて来たという自負が彼にはあった。それなのに、なぜこうなってしまったのか・・・仕事や子育ての合間を縫って、命懸けの哲学研究が始まった。煎じ詰めれば他でもない、人呼んで孤高の芸術家という、徹底的で好き嫌いが激しく、他人を遠ざける傾向のあった自らの性格こそが、自分をどん底にまで追い込んだ根本原因であったことを、彼は静かに受け入れる。そこからは自らの心と真正面から向き合い、それまでとは正反対の、屈託がなく明るくオープンで、誰とでも本心からにこやかに関わって行ける人間に生まれ変わるという、彼独自の「行」に取り組んだのである。するとある時点で、自分の体がなくなってしまったようになり、八島師を訪ねて来る人の健康状態や事情がすっかり「写り」、我が事として実感されたあとスーッと抜けて行くようになった。それだけでなく、なんとその人の運命までもが好転するという(師本人が予想だにしなかった)前代未聞の作用が発現したのである。遺伝に起因する悪感情が浄化され消え去る浄滅(じょうめつ)と呼ばれる現象が起きるのであった(これを禊祓の真諦とか真正のカルマ・ヨーガと見ることもできる)。さらに加えて、健康・経済・愛情の三条件を満たす、どこまでも現実的な幸せを期成するなら従うべき法則があることを究明するに至り・・・具体的には、自分を大切にし万事楽しんで生きる、両親に感謝の気持ちを向ける、夫婦仲を改善する(相手のよい面を見て尊重し支える)ようどこまでも努力する、子供は褒めて育てる、美しいものに触れ純粋できれいな感情を使うように心を磨き上げる、人の輪の中に積極的に入り誰とでも真心と調和の精神で接する、正しい言葉遣い・幅広い教養・品格(マナー)を身に付ける、依頼心(誰かが何とかしてくれるだろうと甘える気持ち)をなくす、素直になり猜疑心(どうせ裏があるのだろうと何かにつけ悪意に受け取る態度)を持たない、過去に囚われてものごとを悲観しない、人を見下したり排除する類いのこだわりやプライドを持たない、自分さえよければいいという我欲を滅する、人を喜ばせることを自分の喜びにする、といった方法論を教えた(困難な境遇にいるほどやりがいがあると言うべきである)。

その後の経緯は世の常と言うべきか、評判が評判を呼んで、集まって来る人の数が爆発的に増え、最終的には師の目が行き届く範疇を遥かに超えてしまっていたことを、個人的な感想として付け加えておかなければならない。だが、八島師の歩んだ人生は一つの歴史的事実であり、彼から確かに恩恵を受けたと言う何万人もの証人がいるのである。