言葉と本物

一般的に言ってものごとをあまり深く考えない私たち日本人にとっては、哲学から始めるのはいいことだと思うんです。中等教育で、哲学者の難しい概念を教えるんじゃなく、人生をどう生きるかということを、正解はないという前提で自分の頭で考えさせる(つまり自分で考えるやり方を教える)授業をやったらいいと思います。で、いろんな哲学を頭で理解できたということは第一歩としていいんですが、それを言葉で語ることで満足してしまう傾向がこれまではあったわけです。言葉で説明できるのと、実際にそれを生かすのは全然別物だ、という実感が切実になって来ない限り、私たちは向上しないのではないでしょうか。クンダリニーが目覚めて権能獲得と言ってみたり、ワンネスを悟って全託と言ってみたり、結局はまったく同じ大安心の境涯のことを、一方は現象面から、一方は精神面から表現しているだけだろうと思うんですが、知的に考えたらどこをどうやっても矛盾しているようにしか聞こえないので、全然違う二つの道なんだろうと結論してしまうかも知れません。もしも間違ったことを教えられても、間違いに気づかないまま終わってしまうという状態です。覚者と一般人との大きな隔たりを埋める中間層を育てて行かないといけないと考えます。究極意識とか神通力までは分からなくても、人生は心の置きどころ言いますか、心的態度がすべてだと分かっているというのが、ここで言う中間層の人であります。雲を掴むような目覚めや悟りで人生大逆転を狙う人を増やすよりは、平凡であっても何はともあれ安心していられる人を増やす方がいい、というのがあいのほしの考え方であります。