説明

スピリチュアルティーチャーさんにぶつけてみたい質問の代表格として、自分が人生で体験して来たこと—大体はよくない体験だと思うんですが—の説明を求めるというのがあります。で、その体験の意味はこうですと言われるのであれ、意味なんかないですと言われるのであれ、その回答に心から納得できることはまずないだろうと思います。言葉で説明しようとしたら、何であれそれは知的な解釈の一つに過ぎません。何かについて意見を言うということは、基本的には潜在意識の中にあるすべての経験から自動的に導き出される情動的な反応であるか、あるいは言葉の上で論理的に導き出される結論のどちらかでしょう。これではどこまで行ってもものごとの本質を捉えることは出来ません。哲学用語で観るという漢字を使って直観と言うそうですが、愛の目で見ることによってものごとと一体になり、直接知る・分かるという作用が、いわゆる人間の知性や論理の上位レベルにあるのです。これだとものごとの本質を知覚していることになり、解釈を差し挟む余地がなく間違いということがありません。事実確認をすれば100パーセント正しい、というのが直観であることの証明になります。私たちが本来スピリチュアルティーチャーさんに期待する答えはこれなのであります。小さい子供が何でも分かるわけではないのと一緒で、心を空っぽにすれば直ちに直観できて答えを得られるわけではないのは、みなさんも既にご存じの通りです。潜在意識の中身は一瞬ではきれいにならないですし、段階は人それぞれです。パッと何かを感じるというのは、たいてい感じるという漢字を使う方の直感で、過去の経験から来ます(いわゆる女の勘や野生の勘というのは、稀に直観である可能性もありますが、ほとんどは直感であると言えるでしょう)。観る方の直観には情動が伴いません。より繊細な知覚であって言葉で来るわけではないので、何か素晴らしいものを観てもそれを正確な言葉で表現できるようになるまで二十年三十年かかるのが普通だと思います。