あいのほしの瞑想

これからお話しすることは、数多ある瞑想についての考え方の一つに過ぎないことを、まず最初に言い添えておきます。で、あいのほしが考える瞑想というのは、何か特定の結果が期待できるものではなく、強いて言えば、単に「休む」ことであります。神秘体験とか、こういう体験が出来るはずだ期待して瞑想するとなると、それだけで本来の瞑想からは離れてしまうように思います。方法としては、理想を言えば背筋を伸ばし、足を組んでただ座るということになります。機能的な障害があったりして体の痛みに気を取られてしまうようなら、別にどんな姿勢でも構いません。で、何も考えないでそのまま座っていられるんであれば、それだけで完璧な瞑想です。難しい理屈を付け足す必要はありません。次に、何も考えない状態にはならなくても、座ってるうちに心が静かになるという人は、心を集中する訓練をします。ヴィヴェーカーナンダさんの『ラージャ・ヨーガ』という本に書いてある方法を参考にしているんですが、心を集中すべき場所は二つありまして、一つ目は頭のてっぺんから15センチくらい茎が伸びて黄金の蓮の花が咲いているイメージで、その蓮の花になっている感じで集中します。二つ目は胸の中心に炎が燃えているイメージで、その炎になっている感じで集中します。炎の色は何でもいいんですが、青がおすすめです。一度の瞑想で蓮の花と炎を同時にイメージするんじゃなくて、蓮の花なら蓮の花、炎なら炎のどちらか一つに集中します。イメージを使うんですが、映像をイメージする訓練じゃなくてあくまで心を集中する訓練なので、そのものに成り切るのがポイントであります。最後に、座っているといつの間にかくだらないことをあれこれ考えているという人は、その考えを紙に書く練習をします。「またくだらないことを考えてしまった」と書くという意味じゃなくて、具体的に何を考えていたか思い出して書くということです。すべての思考には理由がありますが、いい悪いを判断するためとか、心理を分析するためとかいうんじゃなくて、何の期待もせずにただ書き留めます。自分が何を考えているのか自分で認識することの意義を甘く見てはいけません。頭を休ませることが目的だとすれば、漫然と考えごとをしながら座ってるくらいなら昼寝でもする方がいいのです。自分の考えを認識することによって、理想を言えば心の中身が自然と整理されて、だんだん静かに座れるようになって来ると思います。