人生の答えと言いますか、正解を常に探しているようなところが私たちにはあります。それはやっぱり学校の試験問題で、一問一答には必ず正解があり、記述式には必ず模範解答なるものがあって、問題にはあらかじめ答えが用意されているはずだという風に、言い方は悪いですが条件づけられてしまったからだと思います。この傾向は日本だけに限りませんが、日本では特に、あらかじめ用意されているレールの上で品行方正でいられれば、社会生活の安定が保障されるかのような仕組みで動いているので、期待されている答えを見つけようとする誘因はなおさら強いように思われます。で、それがスピリチュアルな世界でも同じような感じになってしまうわけです。心の世界には感情があるので、簡単に割り切れるものでもなく答えが決まっているわけでもありません。正しい教えというのは必ず道徳的であって、表面上はそれに従って行かれればいいように見えます。だけど、人によっては正しい生き方に納得しない業の思いが潜在意識の中に溜まっていて、本心からではなく嫌々ながら従っているだけというケースも出て来ます。顕在意識と潜在意識に矛盾が生じているので、当然いわゆる「効果」が出ないということになり、結果的に正しい教えに出会っているにも関わらず「詐欺に遭った」という風に結論してしまったりします。正しい道というのがあるにしても、人それぞれ順序やアプローチの方法は違っていて然る可きです。これが正解のはずだと頭で考えていると、却って道の妨げになる場合があるので注意が必要だと思います。