浮き世離れ

スピリチュアリティというのは高尚なものを扱う、という理解で間違いないんですが、私が思うに、せっかく高尚な気づきを得られても、それを誰にも伝えずにいると、いつの間にか自己満足的な考えに堕してしまうものです。何らかの気づきを得たことで、いわゆる人間生活に全然興味を持てなくなってしまい、誰かに何かを伝えようにも透明人間になったみたいに全然伝わらない、という状況は実在します。過去に多くの覚者がそのような状態になり、世の中に何らインパクトを与えることなく終わってしまったように思われます。スピリチュアリティがそういうものだとしたらとても寂しいと私は思います。仕事をしない、結婚もしない、もちろん子供もいない、という三拍子揃った覚者は透明人間化まっしぐらですし、稀に強烈なカリスマで世の中にインパクトを与えたとしても、本当の意味で人間社会を支える力にはなり得なかった、というのが私の個人的な感想です。あんまり高尚だと私たちが関わりを持てませんし、浮世離れした感じだと私たちは面白い作り話としか受け取りません。これからの時代の覚者は、仕事をしている、結婚もしている、子供もいる、の三拍子が揃っているべきだとまでは言いませんが、実際、覚者と言えども相手あっての役割であることを忘れてはいけないと思います。最終結果が孤独であったり独り善がりになったりすることだったら、その道は本当の道とは言えません。