極端と拒絶

極端なことを言う人って嫌がられるか面白がられるかのどっちかだと思うんですが、スピリチュアルってとかく極端な話が多いわけです。哲学の議論としては極論を持ち出す方が切れ味が鋭い訳で、悟り系では「始めからあなたはいない」とか「意味なんてない」といった話であったり、願望実現系では「一週間以内に大金が入る」とか「三日以内に恋人と結ばれる」といった話が多用されます。そういう風潮に対して私がとやかく言う資格はないのですが、一つ気になるのは、極端なことを主張しているティーチャーさんの心の中には、何かへの強い拒絶の気持ちが根底にあるように見受けられることです。あるティーチャーさんが他のティーチャーさんを揶揄したりそれとなく侮辱したり、果ては両者が実際に言い争ったりする場面に出くわすこともあります。これがかつては宗教戦争にまで発展した心の動きなんだろうと思います。何のための宗教活動なのかが見失われている、という笑うに笑えない状況が今日まで続いて来たわけです。伝統宗教の文脈の中では、我欲に溺れる人間の言い訳を一刀両断にする教えというのは長い目に見れば真実と言えるのですが、長期的な目で見た正しさとティーチャーさんが取る態度は分けて考える必要があります。スピリチュアルな教えというのは考えではなくそのティーチャーさんがどういう生き方をしているかにあるので、考えだけが一人歩きしている場合には、それこそ極端に言えば政治思想に分類するべきではないでしょうか。ものすごく頭のいい人以外は理解できない複雑な教義を持つ道よりは、誰にでも理解できる簡単な実践方法を持つ道の方がいい、とあいのほしでは考えております。