資本主義とスピリチュアル

のちの時代になって今のスピリチュアル業界を振り返ると、いかにも資本主義的な内容が大部分を占めていたと評されるに違いありません。人間は霊的な存在であるというのがスピリチュアリティの大前提ですが、その教えは生身の人間が説くものであり、その人が生きている時代の色づけがなされることは至極当然と言えます。霊性の高さのみを語れば物質世界の存在意義はないことになり、この世での繁栄のみを語れば霊性はないことになります。この世を大調和世界に持って行くためには精神性と物質性の両方を理解する必要があるため、スピリチュアルティーチャーさんというものは本来的にダブルスタンダードで生きているように見えるのが当たり前なんであります。スピリチュアルな教えそのものは本質的に収入を得るための手段ではないのですが、スピリチュアルティーチャーさんも人間として生きて行かなければ活動が出来ません。が、往々にしてそれが行き過ぎてしまうようです。本格的な経済哲学が分からないのでごく初歩的な話になって申し訳ありませんが、資本主義社会の枠組みの中で勝ち組と言ったら、働かないであるいは自分の好きなことだけをして豊かで健康で文化的な生活を送れる人だと思うんです。(その生活を手に入れるためにしたかも知れない)権力闘争の話はここでは除外します。で、資本主義社会の中で成功しているように見える、要するに生活に余裕があるように見えるティーチャーさんというのが、今のスピリチュアル業界の一つのアイコンになっているようです。すると、楽して豊かな生活をしたいがためにその仕事をやっているように、終いには見えてしまう場合もあります。現実問題として、お金に困っているように見えるティーチャーさんの話なんか誰も聞きたがらないし信用しない、という理由もその背後にあります。いずれにせよ、この業界は(政治と同じくらい)本来の目的を簡単に見失ってしまいやすい環境にあると言えるでしょう。