教える

一般的に学校の先生と言ったら、学習指導要領に従って、一つ一つ順番に教えるのが役割と言えるでしょう。そこで、教師用のマニュアルといったものが一切なく、例えば音楽を教えるとして、あるのは一台のピアノのみで、超初心者に「音楽の本質」を伝えるとしたらどうやるでしょうか。記憶の中から、何年に誰それが何々という作品を作曲したという知識を披露したところで、あんまり意味を成さないでしょう。ピアノを弾いて、例えばベートーヴェンはこう、ショパンはこう、と実演する必要があります。楽譜を読めない相手にハーモニーやリズムといった基本概念をうまく説明できないといけません。要するに、身に付いたもの板に付いたものが相当なければ出来ないはずです。スピリチュアル業界では、本に書かれていることをそのまま話し、素性がばれないように一対一の関係を避けるような形式でも、もちろん教師は務まります。お金が目的なら、自分を実際以上に見せるためのマーケティング、ブランディング、パッケージングといったビジネスの手法がそのまま有効です。目に見えないし証明も出来ないこと教えるんですから、ビジネスモデルが破綻するまでにうまくすりゃ何十年もあるので、長い間儲けが見込めるわけです。でも、それではちと寂しい気がしますがいかがでしょうか。生き方を教えるんですから、一対一で伝えるのがやっぱり理想です。昔の覚者さんは偉かったなんて言うと、教師のハードルを上げようとしているように聞こえてしまいますが、あいのほしの意図はそうではありません。むしろこのレベルに達してないと教えてはいけないというような基準はない方がいいと思うんです。レベルが高い低いではなく、身に付いたものを人格から人格へありのままに伝えることを基本とすべきで、そこにイメージの偽装があってはならないと考えます。