スピリチュアルに興味を持つのは自尊心の低い人が多い、と指摘されることがよくあります。ある程度そういう面もあるかと思います。「私なんかダメ」という思いは、良く取れば謙虚さに繋がるものの、大概は何をやっても世の中に対して全然影響力がないという感覚に繋がり、結局は自分だけの楽しみを求めて生きて行けばいいやという生き方に結実してしまいます。すると、当然人間性は磨かれません。「何も起きていない」と教えるティーチャさんがいらっしゃいますが、その真意がどこにあるかは別にして、その線で行けば普通は同じ結果になり、やはり人間性は磨かれません。ところで、自然界の仕組みを見ますと、どれだけちっぽけに見える存在物であっても、何の影響もないものはありません。それどころか、例えば人間の血液中に0.000001パーセントしか含有されていない微量な化学物質が、それなしでは生きていられないというようなことがあり得ます。一億二千万人中の一人が何をやったってどうせ何も変わりゃしないという感覚で、怒ってみたり怨んでみたり悲しんでみたりしていたら、実際にはどれだけ大きく全体を害しているか知れません。自分が何を言おうが行おうが、否応なしに常に全体に影響を及ぼし続けているという自覚が、人間性を磨いて行くためには必要だと考えます。で、何のために人間性を磨くのかと言ったら、今は「世界平和」の一念で構わないのではないでしょうか。「人類は存続すべきかどうか」(反出生主義)とかの難しい哲学問題はとりあえず後回しにして、世界平和が実現してからゆっくり議論すればいいと思います。