言葉と感情

外国の言葉を学ぶというのは、私たち日本人が特に力を入れてやって来たことの一つではないでしょうか。他の国と比べても日本の翻訳物の水準はかなり高いように思われます。ところが、言葉というのは背景にある気持ちと言うか感情が理解されて初めて完成するものであって、日本では多くの場合その感情的理解が欠如しており、それゆえいわゆる異文化コミュニケーションが不得手だという定評を頂戴してしまっている現状です。それもそのはず、第一に感情的理解がなければ外国語の習得は完成しないという一般認識が今の今までなかったこと、第二にどうすれば感情的理解を得られるかという具体的な方法があまり語られて来なかったことが原因と思われます。どの外国語も習得してない私が言う資格はないかも知れませんが、やっぱりその国の演劇や音楽を、その国の人たちがどういう気持ちで観たり聴いたりしているのか想像しながら鑑賞する、というのが一番やり易い方法だろうと思います。それもいわゆるカルト的な作品から入るのではなく(それも一つの理解ではありますが)、その国で最も大衆的に親しまれている古典から始める必要があるかと思います。例えばフランスならモリエールの演劇とかエディット・ピアフの歌とかを外す訳には行かないでしょう。スピリチュアリティについてもまったく同じことが言えまして、言葉の上で理解したらそれで完成したと思っている人が多いのです。実際に覚者に出会って初めて感じることというのは実在するんであります。